実はこの一年、仕事と家庭の両立や、
今後の生き方に、ずっと悩み続けていました。
限られた時間の中でしか働けない時短社員という雇用形態。
他の人より先に退社する肩身の狭さ。
いつもどこかで孤独を感じていて、
自分だけどんどん取り残されていく気がして、
心にぽっかり穴が空いた気持ちでいっぱいでした。
きっとこれは働くママの誰もが通る道なんだと思います。
最近は特に忙しかったので、残業も致し方なく、閉園時間を過ぎて怒られ平謝りする日々…
子供には寂しい思いをさせ、夕飯も寝かしつけも遅くなり健康面が心配に。
帰宅後は娘が泣いて抱っこを求めてきても構ってやれる余裕なし。
家族のために美味しいご飯を作ろうという気持ちは、いつの間にかどこかに行ってしまい、
早く何か作らなければ!という焦燥感のみで、とにかく毎日が戦争。。
夫にお迎えをお願いしたり、負担をかける事も多く、お互い相当イライラしていたので喧嘩もよくしていました。
3年前、夫の転勤が決まったと同時に、2人目の妊娠が発覚
当時は自分の仕事や出産を考慮し、夫は1年単身赴任をする事になりました。
妊娠中であんまり抱っこもしてあげられず、当時まだ2歳の息子にはとても寂しい思いをさせてしまいました。
親の近くで出産したいという自分勝手な希望と、
当時は自分が企画提案した商品の開発の最中だったので、すぐに会社を辞めて
家族で関東に引っ越すという選択肢は自分の中ではありませんでした。
この商品の発売を見届けたら退職しようとは覚悟していたのですが、
そんな時、育休後は東京の営業所で復帰しては?というお話がありました。
この時点では、自分がどういった業務内容になるのかは未定でしたが、
引越し後は子供がいながらの再就職はなかなか難しいだろうなぁ、と感じていた私としてはとても有り難かったのです。
関東に引越し後は、保活や幼稚園の見学などもしましたが、
4月に運良く保育園が決まり、晴れて新しい環境で仕事復帰となりました。
配属されたのは営業部なので、営業未経験の私ができる事といえば、
前職(グラフィックデザイナー)の経験を活かしたDTPデザイン業務しかありません。
最初のうちは、与えられた仕事を確実にこなす事に全力を注いでいました。
自分の家庭の都合で引っ越したのに、復帰させていただける事に本当に感謝しており、
かつて憧れていた東京で働ける事に喜びさえ感じていました。
しかし、数ヶ月が経った頃。
頭の中は常に悶々としていました。
ある日、息子が熱を出して会社を休んだ時に、
自宅でのデザイン作業を引き受けることになりました。(サービス残業です)
私が仕事をしている時に、別の部屋で息子がハサミを使い指を切ってしまったのです。
そして私は、決められた時間内でしか働けないという事を忘れ、
いつしかこんな事を考えるようになりました。
今任されている仕事は、大事な子供を預けてまでする事なのか?と。
思い起こせば2013年の春。
1人目を出産して育休復帰した時は、0歳から愛する息子を預けて、
保育園で先生の腕の中で泣き叫ぶ我が子の声を背に、
そりゃもう後ろ髪を引かれる思いで毎朝泣きながら会社に行ったものです。
3歳児神話なども気にして、ネットで調べまくりました。
でもその頃は、企画部の仕事にやりがいを持って取り組めていたから、
母としての葛藤がありながらも、何とか続けてこれました。
そして、二度目の育休復帰となる2016年春。
東京という新天地で仕事復帰。
息子同様に、娘も0歳からの入園でしたが、
一人目の時ほどの、あの悲壮感はありませんでした。
(二人目はそんなものなのです。笑)
でも、以前ほどのやりがいは感じられない。。
人に相談すると、転職を勧められました。
でも私には、変な意地やプライドが邪魔をし、簡単には踏み切れなかったのです。
だから自分から仕事をやりがいのあるものにしたくて、色んな事を手当たり次第に提案しまくってしまいました。
何故かポンポンアイデアが湧いて止まらなくなっていたのですが、空回りも多々。。
翌年、営業企画という新たな組織が立ち上がり、私はそこに配属になりました。
それは転職を考えていた矢先の出来事でした。
さらに他部署の業務であるSNS担当やWebキャンペーン運営なども任され、営業企画と兼任で業務を担う事になりました。
これが自分にとって、デジタルマーケティングやWEBという新たな分野を勉強しようという意欲に繋がりました。
何とかこの分野で早く一人前になりたくて、専門書を買い漁りセミナーにも行きました。
しかし、同時期に夫の癌が見つかり、入院をする事になりました。
かなりショックではありましたが、病室でも病に屈する事なく忙しく仕事をする夫を見て、
自分も頑張ろうと思ってしまった。
私は退職後セミナーに行くために、病み上がりの夫に保育園のお迎えをお願いしたりしていました。
あり得ないですよね…
仕事に必死になりすぎて、家族に目を向ける余裕がありませんでした。。
今となっては、お互いこの頃は仕事しか見えていなかったんだと思います。
また、このSNS運営業務というのは、プレッシャーも半端なく、思いの外ハードでした。
これは実際に「中の人」として担当してみないと分からない事でした。
以来、常にスマホから目が離せない生活となりました。
時間外業務も止むを得ず、自宅で仕事をする事も多々ありました。
そのため子供をほったらかしにする時間も増えてしまいました。
夫に子供の前でスマホを見るのはやめろと言われる始末。。
それでも新たな分野で認められたい。
時短社員でも何とか評価されたい。
もう頭の中は仕事のことでいっぱい。
しかし自分の立ち位置は非常に曖昧で、部署としての役割が明確ではありません。
次第に、評価対象にならないデザイン業務のウェイトが業務時間のほとんどを占めるようになってきました。
仕事というものは、やりたい事ばかりできるわけではありません。
ただ、本当にこのままで良いのか?
これが本当に自分のしたいことなのか??
5年後自分はどうなっていたい?10年後は?
毎日保育園で頑張っている子供たちに、
胸を張ってママの仕事はコレだって言える?
仕事は好きだし、絶対に諦めたくないと思っていました。
ここまで頑張ってきたのだから簡単には投げ出したくない。
そんな気持ちでこれまで続けてきました。
でも頑張れば頑張るほど、家族に負担をかけている、という事も分かっていました。
私は自分の事ばかりに夢中で、
本当の意味では家族と向き合えていなかったのだと思います。
本当に大切なものを見失っていた気がします。
猪突猛進な性格が故に、自分のキャパシティを超えている事に、
身体が悲鳴を上げるまで気付かない。
実はこれ、2回目なんです。
以前は新入社員の時。
新人デザイナー時代は、業界的にも終電や徹夜が当たり前の世界。
毎日夜遅くまで仕事をしていた疲れからか、アトピー性皮膚炎を発症し、
毎日ステロイドを塗り続ける生活が1年続き、
脱ステロイドの全身リバウンドからの紫外線治療にも、さらに1年以上かかりました。
日焼けサロン行ったんかいと思うほど、全身真っ黒に!
当時も好きな仕事ができていたので、自分ではストレスと感じておらず、
病院のために会社を休みたくないと言っていたら、「もっと自分の身体を大事にしろ!」と、
父親に本気で怒られた事もありました。
親にはどれだけ心配をかけたことか。
その頃は自分の身体だからと、病院に通いながらも目の前の仕事に打ち込んでいました。
ただ、今は違います。
私には守るべきものがあります。
今、自分がきちんと向き合わなければいけない問題。
大切なもの。これからの生き方。
今回病気になって、自分自身を見つめ直すきっかけになりました。