「ソロモンの偽証」という小説は、
柏木という生徒の死が自殺であるのか他殺であるのか?
ということが大きな焦点になっています。
そして柏木を殺した、と疑われている生徒は<歩行少年>です。
これらを補導し、説教をし、見守っている警察官の、
<非行少年>についての考察が興味深いです。
ソロモンの偽証: 第I部 事件 上巻 (新潮文庫)/新潮社
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「非行少年たちって、
何かとても大きな事件を起こしてしまったり、
関わってしまったときに、
大人のようには、それを隠しておけないことが多いんです。
罪の意識に苛まれて、という場合もありますし、
その逆で、
自分のやったことを吹聴したいという誘惑に勝てない、ということもあります。
あるいは、自分のやったことを正当化して、
それを誰かに追認してもらいたいという気持ちもあるみたいに思えるんです。
一人で抱え込んでいられないんですね。
心の容量が、大人より少ないと言えばいいでしょうか。
だからどんな関わり方であれ、
彼らが柏木君の死にタッチするところがあったなら、
どうやったってそれが表情や態度に出てきたと思うんです。
繰り返しますが、それで心を傷めているのではなく、
それを<手柄>にー俺って凄いことやっちゃったぜ、
と思っている場合だとしても、ですよ」
SNSが発達して、自己開示や自己顕示がたやすくできる時代では、
こういった傾向はますます顕著になっていくのだろう。
少年犯罪で、
「なんでそんなことをベラベラしゃべっちゃうの?」
と思われることが多いのは、
ここに掲げた警察官の考察に近いのかもしれません。
一人で抱え込んでいられないのですよね~~、なるほど。