ふっとわいてくる イメージ
それそのものに ネガティブとか ポジティプがあるわけではない

けれども
疑いもなく
ある イメージにたいして
ネガティブなものと 決めつけている ことが ある

そうすると
そのような 選択肢を 選ぶ自分を 許すこともない
だから なんとか 解決しようとする
納得しようとする


きょうは
この 雨 とともに
一瞬一瞬のなかにある
ちょっとした こと
のなかにある
自分のなかで
疑いもなく
許可できたり
拒否している 感覚というものに
深く 感じ入る時間になっている。

そこにでてきた

ひとつのイメージ。

それは 離婚 というイメージ。

ときおり
わたしは 夫婦関係において
離婚をイメージすることがある。
そのとき、同時に、自分自身を責めてきていた。
相手を受け入れられない自分を未熟ととらえていたり
こどもたちのことを考えたらそんな選択肢は考えられない とか
もっと 変えられるはず
とか。

そして
今日
じっくりと 自分の中にある さまざまな 思いに丁寧に触れていく時間を持っていたら

離婚

ということ そのものに嫌悪感を持っている自分に気がついた。

離婚 そのものには ネガティブもポジティブもないのに。
なんの疑いもなく ネガティブなものにしていた何か。
それは この社会の常識というところから くるものだったかもしれない。
どこかで なにかが違う って 深いところで感じているのに
ネガティブなもの として 認識することが大多数というだけで
ネガティブなものとして みようとするのだ。
わたしのなかにある 鈍感さ
わたしのなかにある 身勝手さ

あぁ
どんなときも
わたしは しっていた 感じていたんだね



離婚
について
ただ
それを 離婚 として とらえる
こころの 隙間ができたような 感覚だ。


そしたら、
急に楽になっていた

つかえが とれたような 感覚。
つかえがとれて 水が たわわと流れていくような感覚を
自分の身体の中に感じて
あたたかみが増す。

ご心配なく。
離婚
するわけでは ないのです。

ただ
そんなイメージが浮かんでいるとき
いつもいつも なにやら 重たいものを感じていたので。
その 水源を辿ってみたら
見えてきた
すがすがしい 風景でした。