静岡県知事選は静岡を守る闘いー流布されるウソに騙されないためのヒント |  政治・政策を考えるヒント!

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   政策コンサルタント 室伏謙一  (公式ブログ)

 現職の川勝平太候補と無所属で元柔道オリンピック銀メダリストの溝口紀子候補の一騎打ちとなった静岡県知事選挙、折り返し地点を過ぎて6月25日の投開票日まで1週間を切った。地元紙では川勝候補の優勢が伝えられているが、態度を決めていない無党派層も多く、まだまだ予断を許さない状況のようだ。

 

 度々川勝知事と対立を繰り返してきた自民党県連は、散々迷走した挙句に推薦候補を立てられず自主投票に。しかし、とにかく反川勝の狼煙を上げたい一部の支部は、いち早く立候補を表明した溝口紀子候補に雪崩を打って支持を表明した。もっとも、そこはさすが懐が深い自民党、良識ある支部は政策も主義主張もよく分からない候補を支持などできないと切り捨てたようだ。(何処の馬の骨とまでは言わなかったとは思うが・・・)

 

 さて、その溝口候補、柔道銀メダリストの他、静岡文化芸術大学教授や静岡県教育委員会委員といった経歴の持ち主であるが、銀メダル以外は川勝候補の引きによるもの。政策的な素養はゼロと言っていいだろう。もっとはっきり言えば、政治・行政についてはズブの素人。

 

 そして選挙戦での溝口候補の主張はと言えば、執拗な川勝県政批判。例えば、川勝知事は県下の市町村と仲が悪いというものがある。しかしこれは全くの事実無根で、むしろ県下のほとんどの市町村は川勝知事と良好な関係を保っているようだ。唯一仲が悪いのは静岡市。静岡型県都構想を巡る川勝知事と田辺市長との言い合いの動画を見たことがある方もいると思うが、つまるところ指定都市になったにも関わらず、静岡市民であるとともに静岡県民でもある住民に対して十分役割を果たしていない、県都であるにもかかわらず、それにふさわしい行政運営が行われていないといったことに業を煮やした川勝知事が、「静岡型県都構想」をはじめとする高めの球を投げて喝を入れ、図星を突かれた田辺市長はプライドとメンツと地位の確保を重視するあまり逆ギレしたというのが実態。それを溝口候補は針小棒大に、県全体がそうであるかのように吹きまくっているわけである。政策的に建設的な批判を行うというのであれば、首長選の論戦にふさわしいと言えるが、これでは相手を貶めるために嘘を振りまいているだけだ。

 

 そもそも溝口候補、彼女の主張を聞き、読んでいる限り、我が国の地方自治制度について全く理解できていない。したがって、どんなに県と市町村の関係について悪口を言ったとしても、逆に私はこうしますと言ったとしても、前提が間違っているのであるから全く意味をなさない。

 

 別の例として、防災対策がある。海岸線の長い静岡県、予想されている東海地震の津波対策は最重要課題の一つであり、その対策の一つが防潮堤の整備である。これについて、溝口候補は県内で防潮堤格差が生まれていると主張する。要は整備が進んでいるところと進んでいないところがあるということのようだが、川勝県政下の津波対策は、各地域の地形や住民の意思を尊重して進められている。例えば、防潮堤は整備するものの、「命の丘」と呼ばれる避難用の人工の丘陵の整備を優先する地域ではまずそれが行われている。(場合によっては他の公共施設とセットで行われている。行政の効率性や税金の使い道の効率性、今後の維持管理費用を考えれば、全く正しい考え方である。)これは防災とともに減災の発想によるものである。甚大な被害をもたらした東日本大震災では、想定を超える津波が押し寄せて防潮堤を乗り越え、破壊していった。助かった方々の中には近くの丘陵に命からがら駆け上った人も多かったと聞く。つまり、防潮堤があるから大丈夫などということは、直近の経験を教訓とすれば、絶対に言えないわけであって、防災に減災という発想を組み合わせて防災対策を総合的に考える必要があるのである。更に、地域の住民が理解し、納得出来る防災対策を考えなければ機能しない。実際に避難するのは人であり、ハードが自らの意思を持ってなんとかしてくれるわけではない。地域には地域のコミュニティがあり、それぞれの紐帯や動き方がある。ハードもそれを踏まえてデザインする必要がある。川勝県政はただ実直にそれを進めてきているだけであり、基本的に、批判される要素など見当たらない。(実際、筆者はそうした実態や実際の浸水の状況を踏まえ、減災の観点から、できるだけ早く、できるだけ多くの人を高いところに逃がすための公共交通と市内の高台を活用したまちの再生プランを被災自治体に提案したことがある。)

 

 防災のなんたるかを理解しない、ましてや減災など知りようもない溝口候補の、付け焼き刃でこれまた的外れの批判のための批判ということであろう。

 

 その他、溝口候補のトンチンカンな主張を紹介すれば、川勝知事は国に頼ろうとしないが、私(溝口候補)はプライドを捨てて国にいくらでも頭を下げてお金をいっぱいもらってきます、というもの。聞いた瞬間、大笑いを通り越して呆れてしまい、「この人の頭は大丈夫?」と思ってしまった。国の補助金等に頼らないというのは、川勝県政が行財政改革等を進め、健全な財政状態を保っているから。財務省や総務省からすれば優等生である。それを溝口候補は国の補助金等に頼ろうと言うのであるから、静岡県の財政状態を悪化させたいのか?と考えざるをえない。そもそも補助金といっても、全額補助のものもあれば、例えば補助率が事業費の2分の1で、いわゆる裏負担と呼ばれる自己負担が必要な場合もあるし、そのために地方債の特例というと聞こえはいいが、自己負担分を借金で賄うことになる場合もある。

 

 溝口候補はそうしたことを全く知らないのであろうことが、こうしたトンチンカンな主張からはよく分かる。(頭を下げられても、国会議員や国の役人も困ってしまうだろう。)

 

 もっと言えば、国・地方関係は補助金に限られる話ではないのであって、要は上手に連携が取れていればいいわけであり、富士山の世界遺産指定やオリンピックの一部競技開催等は静岡県と国の連携が上手くいっている象徴的な例であろう。

 

 溝口候補のキャッチコピーは「静岡大刷新」。しかし、地方自治や地方財政はおろかその他の行政に関する知見にも欠ける溝口候補が静岡県知事になるようなことになれば、「大刷新」どころか「静岡大崩壊」である。

 

 今回の静岡県知事選、もはや静岡を「大崩壊」から守る闘いになってきた。県民の良識に期待するところ大である。

 

 以上、流布するウソに騙されないヒントとして。