豊洲移転問題の行き着く果てー結局「利権ファースト」だった? |  政治・政策を考えるヒント!

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   政策コンサルタント 室伏謙一  (公式ブログ)

 6月20日、東京都の小池都知事は、就任以来「再検討」を続けてきた築地市場の豊洲移転問題について、「築地は守る、豊洲は活かす」という基本方針の下、東京都中央卸売市場築地市場を豊洲新市場に移転し、築地市場については5年後を目途に再開発するという方向性を示した。

 

 小池知事の会見での説明からは、豊洲市場と築地市場に市場機能がまたがって置かれるようにも聞こえたが、要は豊洲移転で築地再開発という元々の方向性と基本的には同じで、ただ築地市場を豊洲に移転はするが、築地の用地を売却せずに都が保有したまま民間事業者に再開発をさせるという点が違うというだけの話。民間事業者からすれば、土地の購入も保有も要せずに、都心に残された希少な一等地で開発の果実だけを得られるという、非常にオイシイ話。そもそも築地の再開発と明言し、再整備とは言っていない。したがって、築地に卸売市場としての機能は残らない。そのことは、例えば、小池知事の会見での説明資料に、築地に関し「仲卸の目利きを活かしたセリ・市場内取引を確保・発展」とあることからも分かる。一見、築地の象徴のようなセリの風景はこれからも続くのかと思ってしまうが、セリは卸売事業者が仲卸事業者や売買参加者に対して行うもので、仲卸事業者が行うのは買出人に対する販売である。つまり話がおかしいというか、そもそもありえない話が書いてあるわけである。端的に言えば、玉虫色に見せるための目くらましということであろう。要するに、卸売市場としての築地は完全になくなるということである。

 

 更に記者会見使用資料をよく読めば、営業しながら現地再整備案は困難とし、建て替えの有効な地として豊洲市場を活かすと結論付けられており、まさに当初の方向性、結論どおり。さらに「これまでの築地市場内の旧い慣行にとらわれない、 新しい経営スタイルを創造する。」とまで書かれている。市場内には慣行というものはあったとしても、基本的には卸売市場法に依拠したものであり、それにとらわれないということは同法にとらわれないということと同じであり、繰り返しになるが、築地にはそれっぽい何かはできるかもしれないが、卸売市場ではなくなるということである。(そもそも、これまでの慣行を無視するというのであれば、単なる生鮮食料品ショッピングモールということではないか??)

 

 加えて、築地の再開発の方向性として「食のテーマパーク」云々と書かれているが、この話は今回初出というわけではなく、築地市場の豊洲移転が既定路線となっていた10年近く前からあった話。(何と言っても、筆者はこの件で某企業から相談を受けたことがあるので、はっきりと覚えている。)

 

 そうした点を踏まえても、散々騒いだ挙句に、元の木阿弥になったという以外に表現しようがない。

 

 ではなぜ騒いだのか?東京都の11の中央卸売市場に根を下ろし、しっかりと張り巡らされている利権と無関係ではないだろう。拙稿「築地市場の豊洲移転問題の本質を整理してみるー都議選で本来問われるべきこと」において、豊洲移転も築地残留も「移るも地獄、残るも地獄」と表現し、昨今の生鮮食料品の東京への物流の実態を踏まえれば、築地市場を羽田空港に近い大田市場に統合すべきであるが、そうした利権に阻まれて検討の俎上に載せられることがなかったと述べた。

 

 利権が欲しい、利権に群がる政治家というものは、古今東西後を絶たない。ある時はそれを擁護し、擦り寄っておこぼれを頂戴し、またある時はそれを「既得権」と言って攻撃し、奪い取ろうとする。(昨今の◯◯改革をめぐる状況を冷静に見つめれば、こうした構図は浮き上がってくるだろう。)

 

 今回の場合、築地の卸売市場にくっついた利権は移転と共に豊洲に移る。しかし、築地を売却するのではなく、売却せずに再開発し、築地場外モドキみたいなものを作るということになれば、売却とはまた違った利権が生まれることは想像に難くない。今回の玉虫色に見える豊洲移転と築地再開発という方向性、既存の築地利権に、やれ土壌汚染だなんだと挑戦したが上手くいかず、結局これを温存せざるをえなくなり、代わって第二の築地利権を作ることで手を打ったというか妥協したというか満足した、ということなのではないか。(土壌汚染は土壌汚染で問題なのだが。)

 

 小池知事の「東京大改革」とは、実は「既得権益」から利権を奪い取るか、利権を分けてもらうために揺さぶりをかけることを目的とするものであった、としたら、「都民ファースト」とは一体何だったのだろう?という話になる。

 

 もしそうであれば、「都民ファースト」ならぬ「利権ファースト」ということになるが・・・

 

(なお、筆者は利権というものを頭ごなしに何でもかんでも否定しようというものではない。それがあることで社会が、地域が上手く回っているということもありうる。要は特定の人たちを過剰に利することによって公益を著しく損ねることが問題なのである。その点、昨今の新利権政治家たちの制度破壊は眼に余るものがある。一方で利権を全面的に否定し、これを無くせば問題が解決するといった、左翼系にありがちな単細胞的な発想にも筆者は反対である。)