「岩井俊二のMOVIEラボ」~#6 「ドラマ編 パート2」 | 日々のダダ漏れ

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「岩井俊二のMOVIEラボ」

「岩井俊二のMOVIEラボ」

Eテレ 
毎週木曜 午後11時~11時45分
翌週木曜 午前0時~0時40分 (再)

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#6 「ドラマ編 パート2」


岩井) 映画には、例えば、スライス・オブ・ザ・ワール
    ドというか、世界をスライスしてみたっていう映 
    画があって。本当不思議なのが、地球って、24
    時間で1回転する訳じゃないですか。それこそ
    定点観測したら24時間で世界が一周するわけ
    で、その中に、日本もあれば、中東もあって、
    この島の中にいると、銃とは無縁の暮らしをし
    てるけど、常に銃を持って暮らしてる人たちも、 
    いる世界もあって。ミサイルが飛び交ってる世
    界もあるっていう。だから本当にその~描かれ
    るべきものは、山ほどあるんでしょうけどね。
    日本人であるという事と、地球人であるってい
    う事の違いによっても、だいぶ描かれるものは
    は違うのかなっていう、気はしますけど、どうで
    すかね? そこらへんね。ちょっと、ここからじゃ
    あ、社会的な側面を持った、ゾーンにいけたら
    いいかなと思うんですけどね。

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岩井) 例えば、「自転車泥棒」って映画あるじゃない
    ですか。見た事あります? 「自転車泥棒」って
    ね、すげえ映画があるんですよ。何でここで終
    わるんだよっていうね。


●「自転車泥棒」
1948年公開の、自転車泥棒」。舞台は、第二次世界
大戦後の、イタリア・ローマ。敗戦を引きずる時代の、
貧しい親子を描いた作品です。ある日、ようやく仕事
を見つけた父親が、大事な商売道具の自転車を、
盗まれてしまいます。結局、親子は自転車を取り戻
す事ができず、追い込まれた父親は、自転車を盗み、
捕まってしまいます。うちひしがれた親子が人混み
の中へ消えていき、映画は、特に解決もなく、唐突に
終わります。


大林) これはね、ハッピーにも何にもならないのよ。
    このあとお父さんまた自転車盗まなきゃ、暮ら
    せないかもしれないしね。不幸なまま続いちゃ
    うの。でも、今でもそのことはね、イタリアの問
    題じゃなくて、日本の問題としても僕らの中に
    そのリアリティーがあるんです。「ドラマって何
    だろう」って考えたらね、作るのは僕たち、人
    間だ。だから僕のまず、願いが映るよね。…と
    同時に、その時代、つまり映像ってのは、記録
    装置だから、嫌でもその時代が映ってしまうよ
    ね。これをリアリティー、というんだよね。リアリ
    ティーがある時に、ドラマっていうのはウソっぱ
    ちなんだけど、ウソっぱちの、絵空事が、何か、
    まことのように感じられる。そういう意味では、
    ドラマ…虚構というものを生んだのは人間の英
    知だと思いますよ。


この「自転車泥棒」には、戦争という悲劇に傷ついた
時代と、それに翻弄される人々の姿が、リアルに映し
出されています。


大林) アメリカでね、こういうワークショップをすると
    ね、「あなたの戦争体験を教えて下さい」。
    これが必ずね、最初の質問になるんですよ。
    それはなぜかというとね、アメリカのハリウッド
    っていうのはね、実は第一次世界大戦ね、今
    から100年前の。その時にヨーロッパで、戦禍
    から逃れてきた人達が、アメリカに移住すれ
    ば、自由の大地がある。平和な、アイランドが
    あると、いう所で彼らのね、自由な精神を、表
    現しようというのがハリウッドで。ヨーロッパ人
    が作った、理想の夢が、ハリウッドなんですよ。

戦争から逃れてきた人々が、平和への夢を乗せて
築いた、ハリウッド。そこで花開いた映画と言う表現
は、戦争を抜きにしては語れません。その歴史にお
いて、あまたの作品が、戦争をテーマに生み出され
てきました。

「岩井俊二のMOVIEラボ ドラマ編 Part2」では、私達
人間にとって、永遠のテーマである、戦争を描いた作
品を見ることで、映画の本質に迫ります。


岩井) 僕ら、第二次世界大戦以降ね、戦争体験が
    ないから、戦後って呼んでる訳ですけど。他の
    国は別に、そのあと戦争してたらそこはもう戦
    後ではない訳で。そういう意味でいうと、アメリ
    カという国は戦後ってないわけですよね。僕ら、
    若い頃、ベトナム戦争っていうのがあって。何
    だろ、そこの影響下で、アメリカから来る映画
    っちゅうのが、こう、暗い、つらい…でもインパ
    クトのある映画を高校時代に、次から次へと
    繰り出されて。「地獄の黙示録」もそうでしたし、
    「ディア・ハンター」だとかいう映画が、こう次々
    に日本に放り込まれてるというか…。


キューバ危機などで東西冷戦が緊迫化する中、アメ
リカは1963年、南北に割れたベトナムに侵攻します。
泥沼化したベトナム戦争は、1975年まで続き、アメリ
カ社会に深い影を落としました。その影響は大きく、
1970年代後半、戦争終結後から、アメリカでは、数多
くの、ベトナム戦争をテーマにした映画が製作されま
した。1976年に撮影がスタートし、79年に公開された
フランシス・フォード・コッポラ 監督の「地獄の黙示録」。かつ
てない壮大なスケールで、ベトナム戦争を描きました。


●「地獄の黙示録」
主人公のウィラード大尉は、元特殊部隊隊長・カーツ
大佐の暗殺指令を受ける。その捜索の過程でベトナ
ムの悲惨な現実に出会う主人公。彼を待っていたの
はジャングルに自らの独立王国を築いたカーツ大佐
だった。


岩井) もちろん重たいんですけど、何だろこの忘れ
    がたい、この記憶はっていう、映画になってる
    んですね。今振り返ると。それもまた映画だな
    っていう気はするんですけど。つらい苦しい内
    容だけど、気が付いたら自分の何か一つの、
    体験のような記憶になってるというような。
大林) これもう、リアルになっちゃったね。
岩井) そうですね。
大林) 映画を超えてもうリアルそのもの。
    映画界を変えたのはリアルなんですよ。ハリウ
    ッドが作った戦争の映画ってのは、リアルとい
    うよりはどこか戦記物みたいなね。あの「THE
    LONGEST DAY」だって、そういう意味でのエン
    ターテインメントとしてよく出来ていた。楽しめ
    たの。大河ドラマを観てるような感じで。


●「史上最大の作戦」
戦争映画ではスペクタルな描写による娯楽性が
重視され、砲撃や軍隊の動きなどが大迫力のス
ケールで客観的に描かれた。


●「地獄の黙示録」
一方、「地獄の黙示録」では兵士の主観的な視点
をふんだんに取り入れ、まるで戦場にいるかのよ
うな極限状態を観客に体験させた。


岩井) 「ハート・オブ・ダークネス」という、「地獄の黙
    示録」のドキュメンタリーがあって。これがまた
    すごいドキュメンタリーでしたけど。
大林) あれ、奥さんだっけ? 娘だっけ?
    ドキュメンタリー撮ったの。
樋口) エレノア・コッポラでしたっけ?
大林) そうだよね、奥さんだよね。
岩井) 横で撮ってたんでしょうね。
大林) 亭主の狂気と、破産のさまを、女房が撮って
    るっていうのも、すごいよね、それが映画だ。


●「ハート・オブ・ダークネス コッポラの黙示録」
コッポラは、「観客にベトナム戦争を疑似体験させる」
という目標を掲げ、フィリピンで大規模な撮影を行い
ました。ヘリコプターや戦闘機を、フィリピン空軍から
借用するなど、徹底的にリアルにこだわります。しか
し、リアルさを追求するあまり、資金面をはじめ、撮
影は大混乱に陥りました。当時のコッポラは、こう語
っています。


コッポラ) 僕は心の底から言いたい。
      これはいい作品にはならないだろう。
      これは2千万ドルかけた壮大な失敗作さ。
      僕は自殺を考えてる。


大林) だからコッポラはせっかく「ゴッドファーザー」
    で稼いだ、お金も名誉も全部これで失ってね。
    最初の封切りが何か、結末2つぐらいあったよ
    ね。編集でまとまらないで、何々バージョン、
    何々バージョンって、コッポラも、混乱したまま。
    作者も、戦争映画を撮るというよりは、戦争の
    中に巻き込まれて、作品も滅茶苦茶になっち
    ゃったというのが、この映画のね、戦争をリア
    ルに再現するという。そういう意味じゃ、映画
    が、映画という絵空事や作り物をを超えて、リ
    アルな恐怖を、まき散らした、一本だよね。

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岩井) 「地獄の黙示録」に比べると、戦闘シーンは
    非常にね、少ない戦争映画なんですけど。
    「ディア・ハンター」という映画があって。すごい
    こう、何かパーソナルな人間関係の映画でも
    あって、そっちの側から見るととてつもない大
    作に見えるわけですよね。何か、マイケル・チ
    ミノ監督の、出世作になった作品ですけど。


●「ディア・ハンター」
1978年公開の、「ディア・ハンター」。ベトナム戦争を
描いた作品ですが、冒頭1時間以上にわたって、主
人公たちの地元、ピッツバーグでの様子が描かれま
す。固い友情で結ばれている、主人公・マイケルとニ
ックは、戦地への出発を間近に控え、最後の鹿狩り
に出かけます。戦地ベトナムで捕らえられた2人。マ
イケルの機転により、危機一髪で逃亡に成功します。
アメリカに帰ったマイケルは、戦地にとどまったニッ
クを捜し、再びベトナムにわたります。やっと捜し出し
たニックは、マイケルを思い出せないほど、心に深い
傷を負っていました。


岩井) 今見ても泣けてきますね。これはもう。
大林) これは名作ですね。
岩井) ええ。本当に僕、思い出しちゃって…何かこう、
    いろんなシーンをね。またこの主題歌が、
    「CAVATINA」って曲でしたっけね。ギターの曲
    なんですけど。これが又泣かせるんですよね。
大林) 「地獄の黙示録」は、ベトナム戦争をもう総体
    的に描こうとしたから、映画も監督も戦争に巻
    き込まれてぶっ飛んじゃったけど。マイケル・
    チミノはね、この戦争をね、ロシアンルーレット
    という…今出てきたね、ピストルっていうのは
    6連発だけども、その中に1発だけ弾丸入れと
    いて、それが出るか出ないかという賭けなんだ
    よ。それだけで、生き延びちゃうんだけれども。
    戦争行って、死ぬか生きるかってのはそういう
    ことなんだよね。ピストルに集約するところで
    あの戦争を持ち込んで…。
岩井) あの壮大な戦争を、1発の銃で描いたって
    いうのはすごいですよね、確かに。
大林) だからそういう風にまとめると、
    戦争を描かなくても戦争が描ける
岩井) 常盤さん、どうでした?
常盤) しんどいですね。でもやっぱりしんどいから、
    映画で…そのしんどさっていうものは日常生
    きてると、もちろん感じえない事だけど、映画
    っていうストーリーの中で私たちはそれを疑似
    体験する事が出来る事は重要な事で。やっぱ
    り、直接的に描かれると、辛すぎてしまうもの
    が、映画というストーリーに乗せてもらう事で、
    学ぶ事ができますよね。
大林) 映画というのは記録装置ですよ。ただ、なぜ
    か僕たちは、記録したものは、忘れたり、見た
    くなかったりするけれども、記憶に残ってくる 
    ものがあるのよね。記録は風化するけれども、
    記憶は風化しない。だから記録を記憶にしよ
    うというところから、フィクションというものが
    生まれてきたと思うんだ。フィクションっていう
    のはウソだよね。ウソなんだけれども、あえて
    ウソにすることで、記録では描けないもっと深
    い底にあるね、人の真実が…まことが、記憶
    されるんじゃないだろうかと。僕たちはドラマ、
    劇という虚構を使ってね、その戦争を記録す
    るだけじゃなくて、記憶させようと。

「地獄の黙示録」と「ディア・ハンター」。
それぞれ異なるアプローチで、ベトナム戦争を
テーマに、壮大な人間ドラマを描ききりました。

1976年公開の、「タクシードライバー」。この作品も、
ベトナム戦争を扱った名作です。主人公のタクシー
ドライバーは、ベトナム帰還兵。監督のマーティン・
スコセッシは、戦場のシーンを一切描かずに、主人
公が狂気にとらわれていく姿だけで、ベトナム戦争
の闇を表現しました。

その後も、アメリカ映画は、ベトナム戦争という題材
を、様々な切り口で描きます。そして、舞台をアフリ
カや中東へと移しながら、戦争映画は、現在も作り
続けられています。

**********

岩井) 第二次世界大戦の後に、ものすごいたくさん
    の戦争映画があったじゃないですか。もし日本
    で、次戦争が…大きな戦争が仮にあった場合、
    ああいう風に戦争映画がそのあと作られるん
    だろうかと思うと、ちょっともう、それはないよう
    な気が、今の雰囲気だとあるんですけど。逆
    にあの時代、なぜあれだけ…戦争っていう嫌
    なことがあったにも関わらず、結構長きにわた
    って、20年間ぐらい続々と戦争映画が一つの
    ジャンルとして作られてましたよね。
大林) 戦争映画っていうのは難しいところがあって
    ね。反戦のつもりで描いてもね、戦闘シーンが
    出るとね、観客席は、被害を被らないから「も
    っとやれ。もっとやれ」になっちゃうところがあ
    るんだよな。映画の怖さっていうのは。そうす
    ると反戦のつもりで作った映画が、娯楽になっ
    ちゃって、結局は好戦映画になっちゃうという、
    危険性もあるのよ。映画は、科学文明の発明
    品なんだけれども、悲しい事に、戦争の機械と
    して、開発されてきたんだよね。例えば今僕た
    ちが使ってるカラーフィルム。第二次世界大戦
    の時に、偵察機だ。ジャングルの上から、敵が
    どこにいるかを捜す飛行機ね。モノクロームじ
    ゃね、分からないんですよ。それで軍部の命
    令で、小さな偵察機に載っけられる小型のカ
    ラーフィルムを発明しなさいと、いう命令で出
    来たのが、今僕らが使ってるカラーフィルムな
    のよ(注:開発目的・時期については諸説あり
    ます)。つまり僕たちは、人を殺すための戦争
    のための兵器を使って、平和の映画を作らな
    きゃいかんと。だから平和を願って戦争映画、
    反戦映画を作る事は大事だけれども、戦争映
    画もアクション映画の一つだからね。「特攻隊
    に行って死にます」なんて言っても、「かっこい
    いな。今度戦争が起きたら僕もああなろう」っ
    てなっちゃったら、反戦映画どころかこれ、戦
    意高揚映画になっちゃうもんな。そういう表現
    の恐ろしさも、僕たちは知らなきゃいかん。
岩井) 僕も、常々やっぱり映画作ってる側として、決
    して映画っていうのはニュートラルで公平な装
    置ではなくて、観客を、ある誰か…主に主人公
    に、簡単に肩入れさせてしまう装置でもあって。
    それはなぜなのか、本当不思議なんですけど
    ね。必ず誰かを応援して見ちゃうってところあ
    るでしょ?映画って。ま、人間の本能ですかね。
    その、ある種すごく歪んだ、決して公平ではな
    い、傾向を持ってる人間の本能を、実は、何や
    かんや言って利用しながら、作られてるエンタ
    ーテインメントなのかなっていう気はするので。

人間の本能を利用するエンターテインメント、映画。
その未来は、作り手だけじゃなく、受け取り手の私
たちにも、委ねられています。

    
**********

記録は風化するけれども、
記憶は風化しない。


大林監督の言葉が心に残った。記録は失ってしまっ
ても、記録にまつわる記憶は残る。何を食べたかも
忘れてしまっても、美味しかったことだけは覚えてい
るみたいな。楽しかったこと、悲しかったこと、嬉しか
ったこと。そういう自分だけの記憶が、ある映像から
引き出され、心が揺さぶられることもある。そんな時、
その映画が、すごく特別な個人的な映画になるのか
もしれない。自分にしか分からない、ツボがあるんだ
よね。自分にしか分からない匂いみたいなものが感
じられて、フィクションだけれども、心の中ではすごく
リアルな体験でもあったりして。小説や映画、今なら
漫画の中で体験した記憶は、案外と今の自分を作っ
ってきた重要なファクターかもしれないなあとも思う。

今回語られた戦争映画は、あまり好きではないのだ
けれど。確かに、反戦のつもりで作ったものが、戦意
高揚映画になってしまう怖さは、確かにあって。映画
というものは、ある人物に対して簡単に肩入れさせて
しまえる装置なんだという事を忘れてはいけないと思
った。それは、持ち上げることも、貶めることもできる
ということ。故に、モデルがいる映画やドラマというの
は、事実とフィクションのさじ加減が難しいのだと思う。
映画から受け取るリアリティーは、フィクションとして
のリアリティーであり、事実とは違うものだと、見る側
としては、常に心に留めておかなければいけないと。
大林監督の映画が好きなこともあって、監督の言葉
には、興味深く聞き入ってしまいました。もう少し踏み
込んでほしかったような、物足りない気がしないでも
ないけど、なかなか面白い映画のお話でありました。

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