ハワイの悲劇とDole そして東郷元帥 -民俗浄化の国によって侵略された国ハワイ。 | やまとはまほろば
2009-12-09 14:33:29

ハワイの悲劇とDole そして東郷元帥 -民俗浄化の国によって侵略された国ハワイ。

テーマ:歴史
国を乗っ取る方法のパターンなのでしょうか、トロイの木馬、異邦人の優遇。主権の奪取。

インディアンを民俗浄化することによって樹立された国、アメリカ。
そのアメリカが海を隔てたハワイに目をつけた。

19世紀にハワイには多くの宣教師が流入。やがて宣教師やその子供が政界で要職を占める。

ハワイ国王の軍隊とは別の私的軍隊「ホノルルライフル部隊」を結成。
1887年、カメハメハ王朝のカラカウア国王に銃を向け、「憲法」を押し付ける。

国王の国政への発言を封じ、選挙権は高額納税者に限定、二重国籍のもの(アメリカ人)にも選挙権を認める というもの。
これにより、貧しいハワイの人々は選挙権を持てず、アメリカに議会の実権を握られた。

これを予測していたカラカウア国王は、日本に助けを求めていた。

その6年前、王は国賓として訪日。明治天皇に日本人のハワイ移民を懇願、国王の姪で王位継承権者にあたったカイウラニ王女と山階宮親王の婚儀を申し出ていた。

当時、人間と認められていた有色人種は日本人と日本くらいで、日本の皇室との姻戚関係により、王朝の存続を図ろうとした。

しかし、国力のまだ乏しい日本は、翌年特使をハワイに派遣。
申し出を正式に断った。

やがて国王が失意のうちに亡くなり、王の妹、リリウオカラニが即位。
1893年には、島民に選挙権を与えることで国の存続を図ろうとし、憲法改正案を発布します。

ところが、駐ホノルルのアメリカ公使ジョン・スティーブンスは本国に
「血に餓え、淫乱な女王が恐怖の専制王権を復活させようとしている。」と虚偽を訴え、
アメリカ市民の保護を名目に、あらかじめホノルル港に寄港させていた戦艦ボストンの砲口を宮殿に向け、海兵隊を出動させ、女王は強制的に退位。

その後、アメリカ人の選んだアメリカ人の大統領を立てた。
これがジュースメーカーとして有名なドール。
ドールは19世紀に渡ってきた宣教師で、その息子が初代大統領。

そして・・

1898年、ドールは島民の意思を無視、アメリカに国土を寄贈。
こうしてハワイはアメリカのものになりました。





http://ayarin.iza.ne.jp/blog/entry/577906/
彼らは島民の間に伝わるハワイの神話をキリスト教の教えに背くとして、伝承を禁じ、それを記した書物も破棄させた。

フラダンスも教会が「卑猥」と認定して踊ることを禁止した。』
(サダムフセインは偉かった 高山正之)


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さらにその後。わが国日本の東郷元帥のお話。以下引用です。

東郷平八郎の遺産 「心が元気になる話 by hideおじさん」
http://chinachips.fc2web.com/repo4/045820.html <引用>

今更説明するまでもない、「日本海海戦」で有名な大日本帝国海軍の提督である。
世界中の海軍の教科書に載る偉人ではあるが、「アメリカをコケにした日本人」ということはあまり知られていない。

1893年1月16日、ハワイのアメリカ人がクーデターを起こした。

軍艦「ボストン」を送り込み、大砲を宮殿に向け時の女王「リリウオカラニ」に退位を迫った。

ーーーアメリカの思惑通りに事が進んだかに見えた。

当時、ハワイはれっきとした立憲君主制独立国であり、日本とも友好関係を結んでいた。国王は明治天皇にも拝謁もしている。

余談だが、ハワイ国王は日本との連邦を望んでおり、さらにハワイ王女と皇室との婚姻関係も望んでいた。

そんな独立国ハワイを、アメリカの都合でひっくり返そうとしているのだから世界中の耳目が集まったのは言うまでもない。

不穏な空気の中「日本人移民の保護」を名目にハワイに乗り込んでいったのが東郷平八郎であった。

アメリカは軍艦の大砲を宮殿に向け、時の女王「リリウオカラニ」を幽閉、武力で退位を迫っていた。そんな、力でねじ伏せるアメリカのやり方に異を唱える意味で、東郷は軍艦「浪速」と「金剛」でアメリカ軍艦「ボストン」を挟むようにして投錨した。

これは明らかにアメリカを威嚇する行為であるが、軍艦ボストンは何もできなかった――――。
それでアメリカは世界に恥をかかされることになったのだ。

これは明らかにアメリカの「非道を咎めた行為」と世界は受け取った。

結局アメリカの思惑通りにハワイ共和国が成ったが、その一年後、共和国1周年を記念し多くの外国艦船がハワイを訪れたが、東郷もその中に入っている。

ハワイ臨時政府は、国際儀礼である礼砲21発を憎らしい東郷に打診したが、東郷は言下に「その必要なし」と断った。他国の艦船も東郷に倣い礼砲一発撃たなかった。ーーー面目丸つぶれとはこのことだ。

ハワイ人は、東郷の行為にもろ手を上げて大喜びしたという。

有色人種が白人をコケにしたのである。あからさまに誤りだと指摘されたアメリカは、相当ショックだったらしく正式なハワイ併合を躊躇せざるを得ない状況にまでなった。ーーーまさかこんな形で世界の笑いものになるとは思ってもみなかったのだろう。

日露戦争後、アメリカは直ちに仮想敵国を日本としたのも、東郷にコケにされたのが影響したのかもしれない。

しかし、5年後の1898年、ハワイはアメリカに併合された。が、長らく準州扱いで、正式にハワイ州となったのは1959年だった。差別とも考えられるが、アメリカの後ろめたさともいえるかもしれない。

1934年(昭和9年)、東郷は87歳でこの世を去るが、国葬の時にはそのアメリカも弔意を表すため軍艦を派遣し、儀杖隊まで葬儀に参列させている。
イギリス、フランス、イタリア、中国、多くの軍艦が東京湾を埋め尽くし、みな東郷には弔砲を発した。ーーーハワイの時とは大違いであった。

余談だが、

アメリカは「民主主義の盟主」として、さらには正義の味方とでもいいたげな態度を取っている。しかしその歴史を見ると、日本を「侵略国家だった」などと批判はできない。

「奴隷解放宣言」で有名なリンカーンでさえ、奴隷解放といいながら、一方で多くのインディアンの処刑を命じている。

「フロンティア」などとかっこいい名前だが、簡単に言えば「侵略」に他ならない。多くのアメリカ人を入植=移民させ、現地人より人口が多くなった頃を見計らって「民意だ」として独立させる。そしてその後合衆国に引き入れる。

ーーーこれが彼らの「民主主義」である。

アメリカ人でさえほとんど忘れている「マッカーサー」を後生大事にするよりは、もっと大事にしなければならないことを東郷平八郎は教えているのかもしれない。

----------------引用おわり