高二の時、職員室でめちゃくちゃ泣いたことを覚えている。

革の制カバンを変形したら、
朝、校門前で没収されて

一緒に投稿してた友人のお姉ちゃんが
卒業して制カバンはもう要らないので、
それをもらって
また、潰して行ったら
最初に没収されてから、
1週間で2度の没収をされた。

なので、赤鬼みたいな大きな体をした生徒指導部のM村という先生に直々で

「カバン返してください」
と言いに行った。普通のことだと思っていた。

そしたら、
「お前くらいだ!堂々と返してくれと言いに来たのは!バカタレ!」と、怒る気にもなれないと言われた。

修理屋さん経由で返却するとの条件を飲まされ
返却をしてもらう事になったのですが、

M村先生には、
「お前大物になるだろうな…」と、言われて
卒業時に挨拶に行ったら
挨拶に来るとは思わなかったそうで
また「お前は大物になる」と、言われた。

いまだに大物にはなってないので、
先生はあんまり見る目がないと思うけど、

私が職員室で泣いたのは、この先生の前ではない。

K先生という近代文学の研究をさせてくれた授業の受け持ちの先生だった。静かな優しい先生だった。

期末に私達に1つ、短い作品を描きなさいと課題をくれた。

とても嬉しい課題だったので
一生懸命書いた。

先生は、私たちの作品を集めて製本してくれた。

出来上がった本を開いたら、
私の文章は、書き換えられていた。

段落を変えられ、
語尾も違う言葉が使われていた。

音が好きで選んだ言葉も違う言葉になっていて、
韻を踏んでつもりだったのに
そんなこともわからないような文章に変わっていた。

泣きながら職員室に入り
しゃくりあげながら、号泣して
どうしてこんなことになったのか聞いた。

先生は困った顔をして黙っていた。
ひと通り私が泣きながら言っていることを聞いた後、「この方がいいと思って。」と、おっしゃった。
「じゃあ何故書き換える前に
私に一言聞いてくれなかったんですか?
これじゃ私の文章じゃないです」

結局、その文集は製本も済まされていたので、
書き換えられることも
差し替えられることも
訂正されることもなく
みんなの手元に1度渡ったものを
回収されることもなく

授業も終わっていたので、
みんなの前で、
先生の意見も、私の意見も
公表されることなく
終わった。

それから、私は
お手紙とブログしか書かない。

たまに詩を書く。

その詩も全て手元にあり
本にしたり
勇気を持って何かの形にしたりすることは、
ない。

ブログの文章を褒められる事は、
とても良くある。

何十人もの人に
「感動した」とか「泣いた」とか
「勇気をもらった」とか
「長いけど、全部読んじゃった」とか

会ったことがない人が、
何年もブログを読んでくれていて
ものすごく遠方からお店に来てくれた人も
いらっしゃる。

大学も何校か、小論文で合格をいただいた。

だから、きっと私は文章書いたらいいんだろうなぁと、思う。

17歳で傷ついて
もう来月で49歳。

振り返ると、どんだけ傷ついとんねん!って、
笑ってしまうほど。
30年ですよ、心に蓋をして。

書かないから、別の人生になってます。

本も全然読まなくなりました。

わからない人には、わからない。
おそらくわかってないこともわからないだろう。

触れられると脳が混乱を起こすのです。
作品は、外に産み出された様に見えて
自分から決して切り離れていないから。

悲しかったんですね。
誰にも妨げられない自由な世界で、
私たちが拝見する事はないでしょうけれど
素晴らしい作品をいっぱい書いてください。

今頃、涙も悲しみからも解放されている事を願っています。大好きですよー♡