自分を取り巻く世界~家族、地域、地球~

自分を取り巻く世界~家族、地域、地球~

おもに日記代わりに、とりとめないことを書いています。
義父母、子ども達、旦那のこと、地域での体験、
などなど。よろしくお願いいたします。

去年の夏。


夫が前妻に会いに東京 杉並区へ行ってました。


私に子どもが出来たから、

といっても夫との間には2人、男子が生まれたのですが、


長男の時には通い婚みたいな感じでいました。


私にはずっと、『単なるカノジョで別れるから』と言っていて、


まぁそれを信じて、

長女と長男と私で母子家庭をやっていて、


大変だったけど、私は正社員でそこそこのお給料だったから、

なんとかやってこれてた。


次男を妊娠して、さすがに会社の上司が心配して、


『いつになったら籍を入れるの!?』


と何回も言われて。


妊娠7ヶ月。


別に母子家庭でもかまわなかったんだけど、

上司がうるさかったから夫をせっついた。


のらりくらりされたある朝、

たまたま夫のスマホに何やらメールが来ていて、

見ちゃったのが運の尽き。


夫の実家に電話して、


なんでまだ入籍してくれないのか、問いただした。


すると義母が

『ヒデアキは結婚してるからねー』

と。


青天の霹靂。


だって、それまで何回も、

夫の実家に行ってた。


お正月、ゴールデンウィーク、

お盆とか…


とにかく次男が生まれるので、


それまでには何とかしてくれ

上司もうるさいから


と、離婚してもらって、入籍した。


10年が経過し、去年の7月27〜29日。


自立した長女や長男と食事したり、

中野にあるまんだらけに行きたいから…

と、一人で車で行った。


9月、私の母が他界した。

そして火葬して納骨までのあいだ、

我が家へ母の骨壺を安置していた。


10月4日、

また怪しげな文言のLINEが夫のスマホに出ていたから、


ついつい…見てしまった。


変な文章で書かれたやり取り。


前妻と夫の、変な日本語でのやり取り。


じるおさん

じるこさん


なんなん!?!?

本当に気持ち悪い。


結局は『自分には3人の子どもがいます、独身ではありません、ごめんなさい』

と、前妻に電話させたのだけど…。


離婚して10年間、

夫を信じて夫の荷物、楽器やアンティーク玩具を持ち続けた前妻。


何回か引っ越ししていたらしいけど、

その度に捨てることなく、

夫の荷物と一緒に引っ越ししていたという。


東京へ行った時、2人は杉並区のスーパーで待ち合わせて買い物をしてあげたり、


スシローへ行ったり、

前妻の家へ行ったり、

支払い困難な税金を払ってあげたりしていたんだ。


前妻が疲れてる…とLINEをしてくれば、

お金を振り込んであげて、

それを使って整体に行っていた。


そんな金があったら、

私の国民年金とか自動車税を払ってほしい。


私はずっと、義父母からのイジメ、

義父母から長女へのイジメ、

ふたりとも軽く認知症だったせいか、孫といえど、

怪我して泣いていても、

笑っているような義父母だった。


義母は一昨年1月に急死して、

それ以来、義父のアルツハイマーは悪化がひどい。


もう、疲れた。


『最近ろくな物を食ってない』

という義父の言葉にも反応しない夫。


ゴロゴロしながらスマホいじってる夫。


本当に腹が立つ。


だから思い出したんだ。


前妻のことを。

本当はチアキさんと居心地良かったんじゃないの!?

子供もいなくて2人で生活していて、

お互い変な日本語で会話して、


義父母の苦労もなく、


チアキさんのほうが良かったんだと思うよ


私は大晦日まで、14連勤、疲れた。

クリスマスイブと大晦日が日曜日だから、

店を休めなかった。


義母が残したこの肉と惣菜を売る店を。


なぜかやり続けるしかなくて。


もう、膝も腰もボロボロで、

心も壊れて、

田舎だし外で働くことができない。


そんな気力、ふんばりができなくなった。


双極性障害、

風呂に入るのも億劫でつらい。


毎朝、義父と夫と次男と自分の、

薬をペリペリ切って分けて、

投薬管理をしている。


なんだか、店をやってお正月の準備なにひとつできず、


もちろん年賀状も創れず、


腰痛が悪化して


初売りは明後日だから惣菜をまた、

明日も作らなきゃならない。


なんで、義母の店を必死にやってんだろ。


意義がわからなくなっている。

虚無感と怒り…


こんなひどい年末年始は生まれて初めてだから、


勝手に涙が出てきた。


かなり泣いていても、

夫からの声掛けも無し。


期待してはだめ。


はい、期待してはだめ。


大晦日に、こんな気持ちになっている。

ドロドロのコールタールみたい。

きしょっ

【私の不安障害】

(すごい長文、地下鉄8駅分くらいの長さ)

1999年にハルマゲドンとか

(これは結局、1999年から2000年に変わる時に、システム障害が多少あった)


親の世話とか

(これは結局なるべくしてなって、二人ともそれぞれの亡くなり方をした)、


老後2000万問題とか

(どうなるのか分からないし、そもそも現在が赤貧だし、
夫65歳 妻60歳無職の場合で、
平均寿命まで生きた場合に不足する額だというけど、

私はおそらくこのままここで、
細々と惣菜屋をやってると思う、

生きてれば)。


子どもたちが各々自立して、

犯罪に巻き込まれる事なく、

責任と自由を満喫して、

困った時の解決能力を高くして、

幸せに生きていって欲しい…

幸せに自立できるのかな、とか

(次男が知的障害と自閉スペクトラム障害なので、
何かしらの支援は必要だと思う。

旦那は自分以外に関心が無いのかそれが普通なのか、
旦那も病んでるのか、
私が異常に心配性なのか…)

本当に不安。

長女と長男は、きっとなんとかなると信じている。

紆余曲折ありながら、彼らは生きている。


でも次男は、自分が困っていても助けを求める言葉を出せない、

他人に伝えるのが苦手、

でも将来の夢はあって、そのために高校進学と専門学校進学を目指している。

おそらく、人間関係では苦労すると思う。

果たしてそれが正解なのか、わからない。

もしくは特別支援学校に行って、

月曜〜金曜を寮生活して生活を学んで、
農業、木工業、接客業、介護職、食品加工、清掃業……
そのどれかを選んで3年間学んで、

特別支援学校を出たらその仕事に就く。

障害者として行政が民生委員などから見守られながら生きていく…

という道もあるけど本人は寮生活を拒んでいる。

描いている油絵や水彩画が評価されて、
案外そっちで生きるかもしれないけど、
身の回りのことを自分で出来るのか、不安でしかたない。


『包丁の使い方を教えてあげてください』
三者面談で旦那が言われてきた。

今後、三者面談は私が行くことにする。

先生に言われたことが私に伝わってこない。

とても困る。

旦那いわく、忘れちゃうんだよ、だそうだ。


長女と長男の時は、そんな事を言われたことなかった。

そもそも、家庭科の授業で習うんじゃないのか?と思った。

けど

次男には自宅で、自立して生活することを、逐一教えていかなければならないんだ、私が。

他の誰でもない、私が気付いて教えなきゃならないんだ。


毎朝、家族全員分の薬を、セッティングしてる。
それだけで20分かかることに気付いた。

でも、私がセッティングしないと、自分では薬を管理できない人たちだから。

次男は仕方ないけど、
声掛けすれば自分の藥袋から飲むようになった。

良かった。

でも
義父と旦那は。
セッティングしても飲まない。
声掛けしても飲まない時も多い。


こんな事を実姉に話したら

『あんたねー💢何やってるのよ💢薬の管理なんて自分でやらせなさいよ💢旦那は病気を治す気がないんじゃないの!?(中略)あんたのことなんか、どうでもいいと思ってるようにしか思えない。ほんと腹立つわー💢』

と叱られた。

ごめん、お姉ちゃん、

53歳でやっと気付いたことがいくつも出てきたよ。

長女や長男のほうが、
私よりも魂が出来上がっているように思うよ。

幼少期から両親からされたことを、
50年間引きずっているんだ。

『私もあんたと同じことをお母さんから言われてたわよ💢それは尾を引くから』

そうなんだ…。

姉は15歳年上。

あと何回会えるか分からない、
義兄も70越えた。
姉夫婦には、散々世話になった。

親の未熟さに気付かず、
自分のことを見るよりも、
親の顔色を見ていた。

中学2年の時、自分のベッドに包丁を隠し持っていた日々。

何十年も、つまんない思い出に縛られてきたな。

記憶喪失になりたくなる時もある。

🌸一期一会
🌸置かれた場所で咲きなさい

なんか、最近刺さった言葉。

元気かな、先輩PTA元会長は。
🌸「人間到る処青山あり」
と慰めてくれたことあったけど、
実は

姑と折り合い悪かったり、
やってみて駄目だったら、
とっとと東京に帰ってこよう🎵

という軽い気持ちだった2013年3月31日。

でも、子どもたちの学校や部活動での活躍とか、
そして、次男の支援のこととか。
まだしばらく、ここでがんばりますよ。

【夜に寝るまでがんばる】
これが最近の毎朝の目標。

🍀ここまで読んでくださった方へ  おやすみなさい ありがとう🍀

旦那が嘘つきすぎて萎える。


タイヤ交換に行って終わってるのに、


そのあと2時間、どこか放浪していたようだ。


自動車整備工場に電話で確認して、

とっくに終わってたことは知っていた。


店を開けなきゃお客さん来ないし、


店を開けなきゃ稼げないし、


経営者のくせに、何やってんだろ。


14:30旦那が帰宅したから、あれこれ聞きだしたら…


結局、タイヤ交換終わってから、

腹減って放浪して、コンビニで弁当買って、

駐車場で食べて、

ポーッとしていたそうだ。


なにやってんだ、旦那。


義父の介護もあるのに。


よほど私のことが嫌いなのかな。

うんざりしてるのかな。


双極性障害や身体が不自由になったのは、

ここに移住してきて、

姑からたくさん意地悪されたから。


だからつい、何かあれば


こんな仕事しなきゃ良かった!

と恨み言を言ってしまうから。


それでも…、


病院へ行くのも、食材買うのも、

生命保険を維持するのも、

お金をくれない。

モラハラ夫。