あの震災から

もう4年が過ぎるのですね


あの時のことは

きっと

忘れることはないんだろうな


被災地の皆さんはこの日が来るたびに何を思うのかな?


もっともっと辛い思いをした方がいるのだから

私が経験したことはちっぽけなことなのかもしれないけど………



あの日の私は

友達3人で東京に遊びに出ていました

地震があったのは

靖国神社でお参りをしようとしてた時

立っていられないような地震に不安を覚えました


携帯でワンセグを見て

震源地が宮城県沖と知った時

頭によぎったのは

子供の頃から言われていた

いつか近いうちに起きる宮城県沖の大きな地震

どうしようもない不安に襲われました


でも

不安な表情の友達をみて

自分がしっかりしないといけない

そう思いました

とりあえず

3人で千葉の寮に帰ること

帰らないとって思いました

道がわからない中

靖国神社から東京駅に向かって歩き

電車がダメで

少しずつでも近づこうと

長いバスの列に3時間以上並び

ようやく乗れたバスも

渋滞で進まず

しっかりしないといけないのに

貧血を起こしてしまって

せっかく乗れたバスも降ろしてもらい

2人に迷惑かけちゃった

結局

コンビニで一晩過ごし

翌日地下鉄が動いて

乗り継ぎ

バスにも乗りながら

寮に着いたのはお昼頃

着替える間

テレビをつけると

信じられない津波の映像

頭で理解できないまま

仕事に出て

仕事が終わって

家に帰ってテレビをみて情報を得ようとして

実家の誰にも電話は繋がらなくて

海に近い私の実家

テレビに映るのは

当たり前だけど

被害が大きい地域

なんの情報も得られなくて

一睡もできないまま

迎えた深夜勤務

今思うとまる2日寝てないんだね…

上司にすぐにでも実家に帰りたいと言っても

危険なところには

行かせられないと許可が下りず


かけたこともない親戚にも電話して

連絡がなかったかと尋ねてみたり



ようやく連絡が取れて

バラバラにいた家族が再開して

無事だと聞いて安心したこと

津波が来て避難所にいること


あんなに大きな地震があったのに

物資不足はあったけど

ほとんど変わらない日常を送ってることに

戸惑いを感じながら働いたり



1ヶ月が過ぎて

ようやく実家に帰る許可をもらって

着いてみたら

変わり果てた

まち

幸い実家は流されなかったけど

どこを見ても泥だらけで

すぐ近くには

流されてきた瓦礫や車も散乱していて

少し先には

本当に何もない



きっともっと悲惨な状態だったのだと思う




あれから4年

私の生活は随分変わったけど



地元も綺麗になってきて

復興住宅が建っていたり

当然、瓦礫も無くなってるけど

少し先には家を建てられない寂しい土地

仮設住宅に住む多くの人たち

海の近くは夜になると暗い


まだまだ復興途中だと思う


この日のことは

辛いけど

絶対忘れちゃいけない


はやく

みんなが幸せになれますように