前回

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 私たちはいろんなものを欲しがっている

 ↓

 それらを手にいれると愛が手に入ると思っているから

 ↓

 つまり誰もが愛を欲しがっている

 ↓

 「欲しがる」ということは「今は無い」もしくは「十分でない」と感じているということ

 ↓

 つまり愛を十分に、あるいは全く感じられていない

 ↓

 コースはその原因となっている壁を取り除くためのもの

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 と書きました




 

 

 そして

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愛というのはそれを感じている時

 安心できて

 嬉しくて

 安らいで

 喜びに満たされ

 豊かさにあふれ

 優しさを感じられて

 優しさがあふれて

 感謝があふれて

 情熱と

 強さを発揮できる

 ・・・そんな感じのものです

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 とも書きました




 忘れた方はこちらから復習を




 私たちはいろんなものを欲しがっているように見えますが、実は本当に欲しいものはただひとつ「愛」です



 いろんな人がいて、いろんな人生を生きているように見えますが、実はみんな「愛を求めて生きる」という同じことを、それぞれの体、環境、立場などの中でやっているだけなのです

 



 「奇跡について学ぶレッスン」初回で出てきたあの3行の1行目を思い出してください

 


 「実在するものは存在を脅かされることがない」



 この「実在するもの」が、「愛」でしたね

 だから「愛は無くなったり壊れたり消えたりしない」と言い換えることができると

 つまり、愛はず~~~~~~~~~~~~っと、どの空間、どの時間にも、ず~~~~~~~~~~~っと存在しているものだということです

 

 





 だとしたらよ????

 

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 私たちはいろんなものを欲しがっている

 ↓

 それらを手にいれると愛が手に入ると思っているから

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 愛を手にいれるために、いろんなものを欲しがっていたのだとしたら、

 そして愛はすでにここにあるのであれば、

 そしてコースはそれに気づかせてくれるものなのであれば・・・

 最初に欲しがってたものは、必要ないってことになってしまいますね!!!

 



 そう。コースは「今まで欲しがっていたもの」を手にいれるためのノウハウではありません

 奇跡というのは、「今まで欲しがっていたものが手に入ること」ではありません

 本当に欲しがっていたものに気づき、それを手にいれるための学びなのです




 本当に欲しがっていたもの・・・




 それは・・・





 愛だって、すでに書いてしまってましたね!




 がっかり???


 だって欲しいものはほかにあるのに


 本当に欲しいものは「愛」だなんて言われちゃったら


 欲しいものはどうなっちゃうのよ

 

 

 


 それについてみていきましょう

 



 もし、私が包丁で手を切って怪我をしていて、血をだらだら流しながら治療もせず、この痛みから気を紛らわせるために


 「プリン食べたい!」


 なんて言っていたら、どう思いますか?


 「いや、それより先に、その傷どうにかした方がいいんじゃない?」と、普通は思いますよね


 愛を感じられない状態でいる時、私たちの心は傷ついて、不安の中で、血をだらだら流しているようなものです


 ですが自覚症状はいつもあるとは限りません



 

 不安で夜も眠れないとか、

 怒り心頭!!とか、

 悲しくて胸が張り裂けそう、

 な時は、まあわかりやすいですね


 でも私たちはそんなに毎日毎日ドラマチックに苦しんでいるわけではないので、たいていは

 なんとなく不安とか、

 人からどう思われるか気になるとか、

 将来が心配とか、

 イラっとするとか、

 疲れるとか、

 

 そんなふうに「ごくふつうに」「だれもが当たり前に経験しているような状態」で、血を流しています


 そうです


 こんな「ごくふつうの状態」も、実は心は血を流している状態なのです



 それは実はものすごく苦しいことなので、そこから救ってくれそうなものを常に探しています


 それが「欲しいもの」ですね


 (と、これはご自分が欲しいものを思い浮かべて、照らし合わせてみればよくわかるのではないでしょうか?)

 


 また、痛みから気をそらせるために「欲しいもの」に意識を置いていると言ってもいいです


 とにかく「この痛みから逃れたい」わけですから


 

 今、ここにある(気づかないふりをしている)痛みから解放してくれる(ように見える)ものを欲しがる


 まさに、「血を流しながら痛みを忘れさせてくれるプリンを欲しがっている状態」です


 

 私にとっては「プリンをゲットすること」は切実です

 だってこの痛みから気をそらしてくれるものはプリンしかないんだもの!

 プリンにしか希望はないんだもの!

 プリンさえ手に入れれば全て解決するんだもの!!!

 今、一番欲しいものはプリン!!!!

 プリンプリンプリン!!!!!

 


 こんな状態になっている時に、「本当に欲しいのは、プリンじゃなくて痛みから解放されることじゃない?」なんて言われるのは嫌です


 「痛み」を忘れようとしているのに、「痛み」の話なんてして欲しくないのです


 それよりプリンです


 プリンを手に入れたら!


 目の前にプリンが差し出された一瞬は、痛みを忘れることができるでしょう


 一口目を食べた瞬間にも、痛みを忘れていられるかも知れません


 でも血は流れているまま


 痛みは蘇ってきます




 気をそらすために、もう一口、もう一口


 小さくなってくプリンを見ながら、プリンがなくなる恐怖も生まれます


 恐怖と痛みの両方から気をそらすためには


 (次はチーズケーキを食べよう!)


 次の「欲しいもの」を追いかけ始めます

 「欲しがること」を途切れさせるわけにはいきません



 でも幾つスイーツを食べても、傷はそのままなので、問題は解決しません



 「本当に欲しいものを手にいれる=愛を経験する」とは、あらゆる心の痛み(心配、不安、怒り、などなど)から解放されること

 傷の手当てをすることです




 

 「手当てをすること」と、「プリンを食べること」、なにか関係ありますか?




 「手当てをすること」は「プリンなんか欲しがっしゃいけない」ということではなくて、

 プリンはどっちでもいいんです



 手当てしてから、欲しけりゃ食べればいいじゃないですか!


 プリンでもチーズケーキでも、存分に!

 


 関係ないですよね?

 

 「本当に欲しがっていた愛を受け取ること」と

 プリンは関係がありません


 

 だから、「本当に欲しがっていた愛を受け取ること」は、

 あなたが今欲しがっているものを否定するものではありません

 それはどっちでもいいの


 プリンが重要ではないように、あなたが今欲しがっているものは、あなたの幸せにとっては実は重要ではないのです


 

 だからプリンのことはひとまずおいておいて、「愛を経験するために学びましょう」というのが、コースのスタートです


 プリンを食べても問題は解決しない(欲しいものを手に入れても問題は解決しない)ってこと、本当はもう、みんなうすうす気づいていますしね


 つづく


via Dolce fer Niente by Nana
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