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物語

毎日、溢れんばかりの通勤電車に居る時、これだけたくさんの人達が居ても、人を人としてあまり意識しない。

もちろん、皆知らない人達ばかりということもある。脳の機能として、自然に情報をカットしているということもあるだろう。女性が車内で化粧をしている時、周りに居る人達はモノと一緒である。人として認識していないということだ。

ふとした瞬間に、その大衆を人として認識することがある。うああっと思う。これだけたくさんの人達が居て、それぞれにちゃんとした人生があるのだ。泣いたり笑ったり、軽さや重みもある人生を、皆送っているのである。

それぞれに振り返れば、それぞれにひとつの物語がある。自分には物語と呼べる程の人生は無いと言う人もいるかもしれない。しかし、人が生まれて生きるということは、すでに物語は始まっているのである。意識をしていないだけで、振り返れば、そこには物語が転がっている。

自分の人生を正直に振り返り、ひとつの物語を認識すると、いろいろなものが見えて来る。自分の強みや弱み、後悔や誇り、たくさんのことが湧き出て来る。それが個性と呼べるものかもしれない。己を知るということは、己の物語を作るということである。

そしてこれから先、どのような物語を作るかは、自分次第なのだ。いくつになっても、未来は新しい物語を作れる。それは、自分の意志の問題だと、今僕は思っている。

ぶれる

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もう少し勇気があったら

勇気を縛り出す力があったら

わかっていても踏み出せずに

時は過ぎていく

保留にしている思いが多過ぎて

忘れたふりをして街を歩く

ピントがずれていく

街がぶれている

心が揺れ過ぎて

何から手をつけていいのか

わからないままに

夏の日

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夏の日

夕暮れを見ていた

空がオレンジと青で染まっていた

ただ空を見ていた

ただ顔を上げていた

何も考えてはいなかった

何も考えない時間が欲しかった

目に映るものが

すこしずつ変わって行く

やがて空は同じ色になる

しばらくはひとりぼっちのままで

それが心地よかった

風がほほを撫でて

またいつもの生活に戻ることにした

人にどう接するか

凝りもせず、自宅の近場でインドカレー屋は無いかと物色していた。仕事帰りに寄れる沿線のところで、なるべく近いのが良い。途中下車し、方々歩いて見つけた一件目は、ちょっと入りにくくてダメだった。

今夜はあきらめるか。そう思いつつ、もう一駅降りて物色。無いだろうと思っていたが、一件見つかった。

小一時間程歩いたので、もうそろそろ決めなければ疲れてしまうし、半ば諦めていたところで見つけたので、そこに入ることにした。

ドアを開けると、店員が「こんばんは!」とはっきりと、それでいて物腰の柔らかい声で声を掛けてきた。それでもう、ここにして良かったと思った。

インドカレーの店は、ほとんどインド人がやっている。中には、やはり日本語の聞き取り辛い店もある。そうすると、何度も聞き返したりすることになる。誰でもそうだと思うが、一度言った事を何度も聞き返されるのは不快である。だからだろうか、愛想の良い店はあまり無いように思える。

食券を買う店だったのだけど、僕はわからなくて何度も聞き返してしまった。店員は食券を買って下さいと言っていたのだが、食券と言う言葉が聞き取れなかった。ああ、食券ね、とやっと理解して言ったら、にこっと笑って、ごめんなさいネとその店員は言った。

こっちとしてはうまければそれで良いので、店員の態度などはあまり気にしてはいない。ただ、店員同士で話している言葉の内容はわからなくても、雰囲気はわかる。ネガティブな内容を話していると、なんとなくわかる。しかし、今日は入った店も店員同士でずっと話していたが、ここは楽しそうだった。そういう雰囲気もちゃんと伝わってくる。

接客だからといっても、その日の気分もある。もっと慣れてしまった人は、応対もただこなすようになってくる。お客様には笑顔で、と言っても、できない日もある。

でも、結局、意思なのではないだろうか。僕も常日頃思うが、もっと笑顔で挨拶すれば良かったとか、もうひとつ、言葉を添えておけば良かったとか、そんなことを思うことが多い。もっと、やると決めて細心の注意を払えば、それは身に付いて来るものだと思う。

元来の性格はもちろんある。だから、性格的に自然にこなせる人もいる。でも、そういう人だって、見えないところで努力をしているのかもしれない。苦手でどうしてもできないこともあるけど、人並みにやれることなら、心ひとつでそれ以上のことができるようになるのだ。

僕自身、一時期接客業をやっていた時は、顔が暗いと毎日のように言われた。おまえは意識してずっと笑っていろと言われた。気を抜いて素に戻っていると、すぐに注意された。

おかげで、今は笑えと言われればいつでも笑えるようになった。人間の能力というものは、自分が思っている以上に高いのである。

カレーも期待通りおいしかったし、またその店には行こうと思う。その店員が辛さは大丈夫でしたか、と聞いて来たので、美味しかったです、と言ったら、嬉しそうに、ありがとうございます、と言って、深々と頭を下げた。

できれば日々、気持ちよくすごしたい。いつも頭の中でもう少し、もう少しと思っている。もう少し、例えばもう少し笑うとか、もう少し気の効いた事を言うとか、そうすればもっと気持ちよくすごせるのだ。そこは怠らず、これからも取り組んでいきたいと思う。

死線

死線を彷徨う。

生きるか死ぬかの境界線で、生の側、あるいは死の側に落ちる決め手はなんだろう。

それを寿命というのならば、寿命を決めるものは、いったいなんだろう。

僕は死線のすぐそばに居たような気がするし、

またまったく遠い場所に居たような気もする。

死線を彷徨うというけれど、彷徨っていた場所は死に近かったのだろうか。

それも、まったく遠い場所だったのだろうか。

日本では年間に3万人程の自殺者が出るという。

死のうと思えば、死は簡単だ。

しかし、その死への距離はとてつもなく長いような気がする。

何がその人を決断させるのかはわからない。

何がなんでも生きようとするもの、死を選ぶもの。

しかも、死を求める人程、生への欲求が強い人だったりする。

僕らは普段、死を意識しない。

生きているのが当たり前のように思っている。

それでもやはり、死は近くにあるような気がする。

僕はこの歳になってやっと、もう少し生きていたいなと思うようになった。

それは具体的に死を意識することができたからだ。

病弱ではあるが、長生きするだろうと思っていた。

でも、最近の病気で、これはとてももたないなと思った。

もたないなと思って初めて、どうやったら生き延びるかな、と考えた。

それでも怠惰は続くので、まだ観念的なものかもしれない。

ただ、こりゃあ長くないな、と思ったのは初めてだった。

まずいなと思ってから、とりあえずブログの更新を始めた。

毎日ひとつは書こうと思った。

できるだけ、考えたことを書いておこうと思った。

まだまだリハビリ段階だが、恥を知らず、書き続けようと思う。