明日は1月17日

26年前の朝5時46分

阪神淡路大震災が起こりました。

最近は新長田の再開発が失敗だったと
ニュースになっていますが、

ここ数年は、
神戸の地震の事は
何となくおざなりというか
忘れられてしまっているのでは。
と感じていました。

地震が相変わらず多い国なので
防災意識が低くなる事がないのであれば
神戸で地震があった事は
忘れられてもいいのかな…
と思ったりすることも。

でも違いますね。
関西ローカルでしたが
地震後に生まれた世代の人達が
語り部をしているという特集があって
そこで、

「知らない世代が語り部をするなんて
 怒られるかと思ったけど
 私の時はこうだった。と教えてくれたり
 伝えていって欲しい。
    と応援してもらえて喜んでもらえた」

という言葉があって、
私も目頭がぐっと熱くなりました。

伝えていって欲しい、
忘れないで欲しい。

という気持ちはみんな持っているんだ。
よかった。


私は震災ではなくしたものはありません。
両親も兄姉も怪我なく、
家もヒビが入ったくらい。
水が出ない日は長かったので
給水車が来てくれて並んだこともありましたが
水が出てる知り合いのおうちもあり
そこまで困りませんでした。
食べ物とかはどうしたんだっけ。

何よりまだ小さかったので、
両親や兄姉が気遣ってくれたからかもしれません。

でも震災の映像を見ると
胸がぐっと掴まれるし

幸せ運べるようにを歌うと
胸が詰まって声が出なくなる。

正直、他の震災ではそうではないんです。
それがずーっとすごく不思議で。

津波の映像は意識が遠のきますが。


一度こういう話を、
精神科の認定看護師さんと話した時に

神戸の人は少なからずPTSDを
持っている可能性がある。

という話を聞きました。

言葉では説明しきれない傷。

普段の生活では現れないし
支障もないので、
誰かに相談することもないし
したとしても、で?と言われるような傷。
他の人はもっとしんどい思いをしているんだよ。と。

でも、その傷がどこかで私を、
人を蝕んでいるような、
そんな気がします。

神戸の人がそうなら、
東北の人たち、熊本の人たち、

他の地域にもそんな小さな傷を
持っているかもしれない。


毎年、そんな事を考えながら
この震災の日を迎えます。

明日の朝は、一人で

黙祷。