演劇集団アクト青山 月の宴&新人公演 -2ページ目

演劇集団アクト青山 月の宴&新人公演

春公演に向けての役者・演出家、時々スタッフによるBlog。
イプセンとチェーホフ同時に上演なんて見た事ある?
ないですよね!
だから、チャレンジするのです。

新人公演『桜の園』が終わって。


これは、メモであり、メッセージであり、希望であり、後悔である。
だから、閲覧注意としたい。
見たくない人は見ないに越したことがない。


まず。

ラネフスカヤ 渋谷結香
アーニャ 客演(名前は公表しない)
ワーリャ 川原真衣
シャルロッタ 犬井のぞみ
ドゥニャーシャ 蔭山みこ
ロパーヒン 桃木正尚
エピホードフ 室越央
ガーエフ 後藤友希
ピーシチク 高村賢
ペーチャ 水野駿
ヤーシャ 井上達也
フィールス 井上俊行

が、去年した配役の第一案だった。
コピペしたので間違ってないと思う。
でも、本番を迎えたのはあのメンバーだった。

良かったと思う。

さて。
本題。


役割の徹底。
それが課題であり、命題であり、必至の目標だった。役割。僕の芝居にでる限り、自由はない。役割を全う出来ない役者は使わない。
でも、その上で、役割を人間味で越えて欲しいと毎日毎日思っていた。
キャラなどという使い古された劇画チックな単語ではなく、人物としての人間味を見たかった。
これについては、出来なかった。させてあげられなかったのかもしれないし、きちんと稽古を続けていく中で、固められてきた互いの信頼と自信を瓦解させるには至らなかった。
ただ、決して悪い意味だけではない。
全員が片時も演出家を裏切らず、役を全うする様には感銘を受けた。素晴らしいことだ。こんな事はいつでも起きる事ではないし、いつでも完遂するものではない。
座組の全員に深く感謝したい。

次に、豊かさの欠如。
難しい問題だと思う。稽古をすればするだけ、知識、経験、豊かさは欠如が目立つ。お客様に作品を伝えるだけの人間的魅力、ゆとり、温かさ、柔らかさ、内面はチェーホフをやるには不確かだと気付く。だからそれを演出要素で構築してしまう。役者は、稽古をしながら、役を演りながら、課題に取り組みながら、それと全く無関係に日々何かを学び身に付けなくては意味がない。
それは、赤い薔薇しか知らない人間の発する薔薇という言葉より、向日葵も胡蝶蘭もスイートピーも知っていながら薔薇と発するほうが、どこか豊かで薔薇的な感覚が醸されるのと似ている。
言葉とはそういう類の武器なのだ。

何度も言う。
素晴らしい座組だった。
こんな事はもう二度と出来ないと思う。

次に、具体性との付き合い方。
教えなかった。怠惰だと言われたらそれまでだが。具体性については一切教えなかった。気付いて欲しかったと言ったほうが言い訳としては美しいかもしれない。
僕は追悼公演でも桜の園の絵を描いている。屋敷、敷地、桜の木の分布、町からの距離、地図。
具体性のためだ。お客様には伝わらなくても、舞台に立つのなら必要以上の具体性が存在しなくては安心してやれない。装置の東西から、季節から何から何まで。
具体性というのは財産だ。だから教えにくい。気付くものだけの特権的な宝物だ。

最後に1人1人に当てて、何か書こうと思う。

ラネフスカヤ、やまなかさん。
もっとシンボルであって欲しかった。この作品の。主役なんていう下品なものでなく。だから、舞台で泣かないで欲しかった。ただ、成長と根性は本当に素晴らしいものがあったし、感動する瞬間もあった。これから、だと思う。本当に。次もラネフスカヤを演るのだと意気込んで欲しい。

アーニャ、麻弥。
満足した。頭が固くて中々に大変だったけど。舞台ではアーニャだった。下手くそは何本も演ればいつかマシにはなる。変わって欲しいのは誰かの観てる景色を見て欲しいということ。世界はいつも開かれているということ。

ワーリャ、のぞみ。
君のお芝居が好きだから、あんまり悪いとこが分からない。躍動が、リズムが、在り方がいつも僕の望むものだった。ちょっと滑舌が悪いし、よくトチるからそれは直した方が良い。未来のためだ。でも、こんなにチャーミングなワーリャは中々ない。

ドゥニャーシャ、川原。
大変だったろうと思う。畑が違うのだから。僕の要求のシーソーゲームに疲れただろう。でも、ドゥニャーシャらしさに溢れていて僕は気に入っている。特に三幕は秀逸だった。あの装置の中で数少ない『暮らしている』人物になっていた。

シャルロッタ、竹中さん。
役割としてのシャルロッタだけ見れば100点だと思う。でもそれは芝居じゃない、ショーだ。だから、人間味を覚えて欲しい。次は貴女がラネフスカヤなのだ。やまなかさんから奪い取って、誰にも出来ないラネフスカヤを演らなきゃ。

ロパーヒン、桃木。
やっぱり、ガキ臭さは残ってしまった。もう少しだけ大人が良かった。親が息子に果たせなかった夢を見るように半年君を見ていた。役者に成れば良いのにと、思う。本当は。でも、君には君の夢があるだろう?なら先ずは懸命にそれを目指しなさい。

ペーチャ、晃弘。
君が座組にいて、本当に助かった。もちろん最初はリーダーとして。君なしにはここまでは来れなかった。次にペーチャとして。当初こそ形にならくて四苦八苦したし、君のように物事の中庸が分からないのは芸術ではアウトだけど、少しずつ理解して、表現出来るようになった。素晴らしい進歩だ。

エピホードフ、後藤。
演劇集団アクト青山がこれまで上演したエピホードフの中で、きっと一番エピホードフに近かった。まだ若いし足りないところはたくさんあるけど、全てがエピホードフだった。特に四幕は良かった。楽をさせて貰った。もっと良い役者になれ。

ガーエフ、達也。
ある意味では座組のムードメーカーだった。そのおかげで良くみんながまとまった。でも、ガーエフには遠かった。それでも明日天の時よりかなり成長したし、ガーエフにして良かった。もっと濃厚な感情を持ちなさい。演劇は感情のデパートでなければ意味がない。

ヤーシャ、高村。
とても気に入ってる。僕らが本公演で桜の園を演るとしたら君がヤーシャだ。これまでの誰よりも素晴らしい、肝の座った芝居だった。ただ、まだまだスケールが小さいし、キャラクターのコントロールが悪い。下手なんだ。だから、磨きなさい誰よりも努力して。僕は君のファンだ。

ピーシチク、井上さん。
ピーシチクにして良かった。本当に良かった。安定していて、ミスターパーフェクトだった。でも、感情の波が小さい。もっと振り幅を大きく。もっと豊かに。せっかくの技術が腐ってしまう前に、もっと人間らしく。劇団員の椅子を用意して待ってますよ。

フィールス、こっしー。
今回の装置は君のための装置だ。誰よりもお利口に誰よりも自由に執事として動いて欲しかったし、それは出来ていた。四幕は僕からのプレゼントだ。君には君にしか出来ないことがたくさんある。だから、もっとその事を理解した上で誰よりも君子で、誰よりも紳士であって欲しい。山椒は小粒でもぴりりと辛いのだ。

浮浪者、ジェダイ。
いつも僕の願いを叶えてくれてありがとう。効果の高さ、ブラインド、リズム打破。全てで狙い通りだった。これからは、もっと大きな世界で活躍して下さい。本当にありがとう。


最後に。
誰かが言ってました。
これは、新人公演ですか?どこが新人公演ですか?と。
彼らは無名で、これからの演劇を担う新人であり、僕にとっては正に新人なのです。
この公演を経て、彼らがなりたい物になる事、そしてその世界でプロフェッショナルである事を心から祈って、第二回新人公演『桜の園』を閉幕します。


ありがとう。
さよなら。

では、また。


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