アキラ100%は合法的に下半身を露出できるので、多分警察は困る。
【5月30日 午前】
当時、僕は参っていた。
僕が4月から新入社員として勤め始めた会社は、日々ノルマを追い求め、個人が獲得した数字が結果として如実に表れるものだった。
そのため、所謂『押し売り』のような手段がとられ、誰もが、フラっと訪れたつもりの客に対しての商品遡及に余念がなかった。
やれ「○○がオススメです」だの。
やれ「お得になります」だの。
従業員は新入社員の僕なんかには一瞥もくれず、ただ数字を追い求めるマシーンと化していた。
人の目を気にする性格の僕と、ポジティブに邁進する従業員たちとの溝が深まるのに、たいした時間はかからなかった。
もちろん今日も獲得実績はゼロ。代わりに、他の人たちはどんどん結果を出していった。
月初には皆スタート地点が同じだったはずだが、ホワイトボードに正の時で書かれた獲得数は、もうすでに僕の手の届かない場所にあった。
「どうした?暗い顔して」
適当にワックスで整えたボサボサの髪と、甲高い声が印象深いこの人は、たしか名をアライさんといった。
「ちょっとネガティブになっちゃいましてね、大丈夫です。頑張ります」
無理矢理絞り出した自分の声に覇気が全く感じられないのを、僕自身はっきりと感じていた。
「大丈夫」が口癖になったのはいつからだったろう。思い出せない。
「うーん、君はね、真面目すぎると思う。もっと適当でいいよ。俺みたいにさ」
アライさんはケタケタと笑いながら言ったが、僕の表情が一向に良くならないことを察すると、どこかへ消えてしまった。
彼が消えた後、ぽつりと「アライさんって、俺みたいだな」という声がした。
声の主は無論、僕である。
【5月30日 午後】
結果、この日は散々だった。
数字を出せないことを咎められ、異論を挟む余地もなく「やる気がない」、「勉強不足」との認識で一蹴された。
果ては僕宛てのクレームという素晴らしい案件にも当たり、残業が終わった20時過ぎには、僕の身体はすっかり縮こまってしまっていた。
上司に怒られ、自分の不甲斐なさに唇を噛み締める時間は脱したが、憂鬱な気分は変わらない。
結局、業務以外の、所謂日常会話と呼ばれるような会話をしたのは、アライさんとのあの1分間だけだった。
従業員の皆様方は、僕に一瞥もくれず、夜の闇に消えていった。おそらく、深夜まで賭け事に興じたり、自宅で待っているパートナーと愛を育んだりするのだろう。
「最近入った新入社員が使えなくてさあ」
「正直、あの人嫌いなんだよね、暗いし、物覚えも悪いし」
そんな悪口を言われてはいないだろうか。
いや、直接的に口にはしなくとも。内心では僕への罵詈雑言が飛び交っているのではないか。
多分、もしも、おそらく。
確信が持てないことほど怖いものはない。僕はそのたびに、負の感情の迷路に迷い混み、出られなくなるのだ。
真っ暗な会社の裏口で、僕はふと、手元のカバンを見た。
今がこのときかもしれない。ああ、そうに違いない。
『FIRST AID KIT』と書かれた袋を取り出し、しばらく見つめた僕は、なんとなく強く振ってみた。
中でジャラジャラとやかましい音がした。何かと何かがぶつかる音。小さい粒のような。
もし使ったら、どうなるのだろう。
深夜のちょっとしたニュース番組のネタくらいにはなるだろうか。
変わり果てた僕の姿を見た上司は何を言うだろう。「俺は悪くない」だろうか。「死にそうな予感はしてた」だろうか。
何より、両親は。どう思うだろう。
ひとしきり考えを巡らせた後、再びカバンの奥底にしまった。
『それ』は、もしも僕が世界の仕組みに耐えられなくなったときの、最後の手段である。
今はまだ、その時ではない。
何百回と繰り返した思考を、改めて思い出す。
なんとか『発作』が収まった僕は、パンク寸前のタイヤを有した相棒に跨がり、帰路につく。また明日も仕事である。
今日で世界が滅べばいいのに。
実現するはずのない絵空事を空想しながら、一心不乱にペダルを踏む。
耳に装着されたイヤホンからは、心の代弁者が語りかける。
「人間嫌い」っていうより 「人間嫌われ」なのかもね
侮辱されて唇噛んで いつか見てろって涙ぐんで
消えてしまいたいのだ 消えてしまいたいのだ
[ジュブナイル/amazarashi]
この世はとかく生きにくい。
【5月31日 午前】
朝起きると決まって「会社に行きたくない」と思うものだ。
僕には利益を出したいとか、ノルマを達成して誉められたいなどという気持ちが微塵もない。
彼女との交際費、車の維持費、将来のマイホームへの積立金。
僕には縁のない話だ。だから目標もない。
僕は、ただただ毎日を無為に生きている、いわば傀儡のようなものだ。
何者かの手で踊り続ける存在。
人間の欠陥品なのかもしれない。
いつものように相棒を裏口に停めると、ふいに声が聞こえた。
「今日もチャリかー、暑いっしょ」
振り向くと、180はあろうかという長身で、僕を見下ろす男性がいた。
確か、臨時サポーターのタナカさんという人だった気がする。初対面ではないが、まともに会話をした経験はない。
「そうですねー、暑いですね」
気付けば、会話が出来ない人の模範解答のような返答をしていた。
「ふーん、まあどうでもいいけどね」
冷たく言い放ち社内に入っていったタナカさんを見ながら、漠然と「社会で必要とされているのは、こういう人なのだろうな」と思った。
良い意味で自分勝手で、自分がやりたいように行動し、物事をはっきりと伝える人。
同時に、僕とは決して混じり合わない人。
タナカさんの後を追うように入室した僕は、大声で挨拶をした。
今日も頑張ろう。頼むから良い日になってくれ。
そんな願いを込めた挨拶は、従業員の無視という目で見える回答でもって、僕の心をいとも容易く引き裂いたのである。
口からは自然と溜め息が漏れた。
【5月31日 午後】
今日は珍しく、客が全体的に少ない日だった。
そのため、僕は店内の軽い清掃や、書類の片付けなど、雑務をこなすことで時間を潰していた。
まだ店舗配属になって1ヶ月、業務内容も理解できていない人間にとっては、まさにうってつけの仕事である。
と、そのときだった。
突然、僕を呼ぶ声がした。声の主はアライさんだ。
「あのお客さん、○○の契約をご希望なんだけど」
「はい」
「あれ、いける?」
「え……僕……ですか」
耳を疑った。契約関連の業務は最も重要であり、かなりの責任が伴うものであるからだ。
新入社員の業務としては、群を抜いて大変なものと言っていい。
「いや、僕は。ミスしたらどうなるかわかりませんし」
相変わらず逃げ腰の僕に対し、アライさんは言い放った。
「でも、ここでやらなかったら多分ずっとやらないよ。いずれは絶対やる仕事なんだから」
確かに『正社員』として働いている以上、避けては通れない道であることは間違いなかった。
だが、もしもミスしたら。
迷惑をかけるかもしれない。店の評判も落ちる。刑事責任も問われるかもしれない。
二の足を踏んでいる僕に、アライさんは言った。
「何かあったらいつでもフォローするからさ、まずは行ってみようよ」
多分。もしも。おそらく。
今日だけは、それらの思考を遮断することに決めた。
少しずつ、客へと進んでいく。
「お客様、契約ということで承っております。私、本日担当致します○○と申します……!」
これは、僕にとっての大いなる一歩である。
今日は家に帰ったらビールでも飲もう。
そう思った。
ここまでの旅路を思い出してよ 胸が張り裂けそうな別れも 死にたい程辛い時だってあったろう
いつだったろう
その度自分になんて言い聞かせてきたか 「ここが始まりだ 始まりだ」って 涙こらえたよ
終わりがどこにあるかなんて 考えるのはもうやめた
つまり 言い換えれば全部が 僕次第
[スターライト/amazarashi]
終
【出典・参考】
『ライフイズビューティフル』(『世界収束二一一六』 収録)
『ジュブナイル』(『ねえママ あなたの言うとおり』 収録)
『スターライト』(『夕日信仰ヒガシズム』 収録)
※この物語は一部フィクションです