それは午後のまどろみが、
ランチの満腹感と共に訪れる時…。
 
ヴィッパーサナ瞑想10日間合宿初日。
そうでなくても集中するのが
難しい時に、
どこからともなく、湧き出でる音。
 
げ~っ、(ふっ)
げ~っ、(ふっ)
…し~ん
 
げっ、げっ、、げ~っ、(ふっ)
げっ、げっ、、げ~っ、(ふっ)
 
ん?これ、げっぷじゃん??
"神聖なる"瞑想中にげっぷかよ。
(あとでインド人友達に聞いたら、
インドでも一応げっぷを公衆の面前でするのは、上品ではないらしいが)
 
げっぷの主(パターンが二つあったから
主はきっとふたり)は、そんな私の、
空中に浮遊する思念を、拾うでもなく、
げっぷは続く。
 
げ~っ、(ふっ)
げっ、げっ、、げ~っ、(ふっ)
 
 
 
しかし、集中とはマジックである。
 
 
最初のうちは、自分がげっぷした時に
こみ上げてくる、あの
南国で飛行機のタラップを降りると同時に
カラダ全体で受け止める"熱気"と
においが交差したものを想像し、
『うぇっ…』と感じたが、
 
 
そのうち、
 
『随分とリズム感があるのぅ…』
『ここまで一寸の狂いもなく
一定のリズムでげっぷを繰り出すとは
芸術の域だね』
と、感服するに至り…
 
 
更にしばらく経つと、
 
その場が奏でる、静寂という旋律の中に
あたかもげっぷが溶け込んでいく。
 
 
だが、人生、何事も長くは続かない。
一難、いや一試練去ってまた一試練。
 
我々の集中力を試す試練はまだ続く。
 
 
それは、隣人のおなら。
{B0C49BD3-AE9A-4F0B-9DBD-81571EFAF89C:01}

 
『隣人を愛せよ』だったか、
どこかの宗教は言ったが、
隣人のおならも適用範囲なのか。
 
 
おならとなれば、
聴覚のみならず、臭覚の面でも
俗人、わたしは試練を味わう…。
 
この10日間合宿は、五感どころか
一感すら制御できぬわたしに、
二感も制御せよと言うのか…。
 
 
しかし、嘆くことなかれ。
 
 
万物はすべて移ろいゆくもの。
 
いかなるげっぷも、永遠には続かず、
どんなに長くてもご飯の消化が終われば止む。
 
いかなるおならも、永遠に続かず、
どんなに長くても、
体内のガスが全て放出されれは止む。
 
 
万物はすへて移ろいゆくもの。
 
これ、自然の摂理なり。