自分に足りないもの、
欠けているものを
満たそうとして
学んでいたのだなぁと
ここ数年を
振り返ることが出来ている、今です
(仕事以外の話)
完璧主義は
しつこく私の中にあったので
どんなに学んでも
満たされることはありませんでした
まだだめ。
まだ足りない。
そして
先人の誰かや
その分野の先生方々と比較して
全然ダメだ、と
自己否定ループをしていました
足りない物ばかり追い求めても
満たされる思いに
辿り着くことはありません
満たしたつもりのコップのサイズを
どんどん大きくしたり
コップのデザインを変えて
容量がUPされたり
「満たす」ことにゴールはないからです
「足るを知る」とは
老子の言葉です
長い間、私は
「足るを知る」は
やる気を削ぐ言葉だと思ってきました
負け犬が使いたがる言葉だとすら
思ってきました
(ひどいね…過去の私…汗)
・・・
満足することを知っている者は、
どんな状況であっても
精神的には豊かであり幸福である。
人間の欲望にはキリがないが、
欲深くならずに
分相応のところで満足できる者は、
心が富んで豊かである。
・・・
響きます
今の私には
腑に落ちます
そして
その言葉は
当然、
負け犬?が使う?言葉?とか
そんなものではなく
やる気を削がれる言葉でもありません
これは私が
歳を重ねたから
腑に落とすことが出来たのでしょうか
それもあるのかもしれません
しかし
私の経験や
遺伝子の記録からだけでは
出来なかったことです
歴史の出来事や
歴史上の人物
今ともにこの時代を生きている、
先生方や仲間や家族や友人、
愛する人達との
交流があってこそ。
若い頃は
取ってつけたような感謝の言葉を
使っていたなぁと思い返します
今の私の感謝の言葉は
とっても心がこもっています
伝わりますか?
伝わっていますでしょうか
ありがとう
感謝の気持ちでいっぱいです
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
最近は
ジャムまみぃのつぶやきが
長過ぎて
なかなか猫ブログが
始まらない、と噂です
(嘘です(笑)
噂になる程知られてません)
やっと
猫ブログです
晩ご飯を食べ終わったあとは
みんなで
リビングにて
ゴロゴロごろりんとします
(萌え萌えな後頭部)
アルムんは
ママに
おちりを向けて
「いつでも撫でていいんでしゅよ」
「ブラッシングしてもいいんでしゅよ」
と
背中で語っています
本日
ジャムたんは
ホカペから暖を取っております
ジャムたんは
ママのお膝を
希望する時もあるので
そんな時は
アルムんが
少し遠くで
寛ぎます
ママのことは
基本的には
取り合ったりしません
”ママのそばにいる番”
というのが
ジャムアルムの中にあって
優先権を持っている方が
ママにくっついています
ジャムとアルムを
同時に抱っこしてみたい欲求も
無いわけではないけれども…
みんにゃそれぞれが
心地良いのが
イイものね