あたし、英語が好きだ。
言葉が好きだ。


なんだかちょっと最近思い始めたけど、英語をそのまんま日本語に直せない、言い表すのが日本語でも難しいニュアンスがあることに気付いた。

(今更!笑 とか言われたらどうしよう。焦


日本語にも、日本人独特の感性から表現される言葉がたくさんあって、それを他の言語で表現しようとしても難しいのと同じように。英語にもそれがあるんだーっていうのを最近気付いた。
それもきっとたくさんの英語を聞いたからなんだ。だからわかるようになってきたんだ!うをー!って自分にとっては新しい発見だったので嬉しかったんです、単純に。

ラジオとかで気になった曲はDLするときに歌詞付きのやつにして、なんについて歌ってんの?っていうのを意識しながら聞いたら、あー、英語独特の表現、これ日本語で表してもそうじゃないんだよなーって感じること多くて。

英語の歌詞も綺麗だなーと思ってきました。耳を鍛えるには英語の歌聞けってこーゆー意味なんや!へえー!って思っています。(今更



言葉は美しい。
言葉の海に頭の先まですっぽり入り込んでしまいたくなる。

難しいしストレスだし凹むこともたくさんある。
しんどいし恥ずかしい思いもするし惨めな思いもしながらでも、その中に飛び込みたくなるんだよねー!

楽しい!
言葉って、すげー楽しい!
正直、オーストラリア好きじゃなかった。
カナダの時と比べて、なんだか楽しくなかった。
オーストラリアでは学校にも通ってなくて、友達が少ないし、刺激が少ないからかなーと思ってた。

なんでこんなに、オーストラリアの生活がストレスに感じるんだろう?とずっと考えてた。


2012年から日本を飛び出しもうすぐ3年が経つ。

1年目、世界を飛び回り、新しい世界、新しい刺激にワクワクしっぱなし。
旅ってクッソ楽しいじゃん、の時期。

2年目、カナダでのワーホリ。旅するのとその地に腰を据えて住むのとはまた違う。カナダで生活するための資金を、その地で稼ぎ、海外で自分の力で生活をすることが目標だった。
海外で生活出来てる私、かっこいいじゃん、の時期。


3年目、オーストラリアでのワーホリ。なんだか楽しくない。友達も少なく、物価も高くなんだかストレスが多い。
なんだかずっとストレス、の時期。


なんでこんなに違うの?

オーストラリアにワーホリに来た理由を思い出してみた。

もともとそんなにオーストラリアに興味がなかった私は、オーストラリアは稼げるよ!っていうだけの情報で、とりあえずオーストラリアにイン。本当に、情報無し。調べる時間はあったはずなのに、ただのズボラ。行けばなんとかなるだろう、と。

確かに時給もいいけど物価も高くて予想外。まじか。(そんなことすら調べずに来た)

"稼げるらしいっていう噂のオーストラリア"に来て、お金を貯めながら最後のワーホリをし、また日本に戻って看護師をしてさらにお金を貯めて、その後1年ほどの南米の旅に出ることが、今の私の大きな目標。



気付いたんだ。

最初のワーホリの時と、目標が変わってる。


カナダでは、海外で生活するための資金をその土地で稼ぐ、海外で生活をするってことが目標だったけども。

オーストラリアでは、生活をするためのお金を稼いで、さらに南米旅のお金も貯めたい。
働く場所も、出来れば日本食レストランとかではなく、ローカルの場所で挑戦したい。もっと英語上達したい。



そうか。そうか。


目標が上がってたんだ。

だから、オーストラリアの生活がストレスに感じるんだ。

そういうことだったんだ。



ストレスがかかって、しんどいってことは、頑張ってもがいてる証拠じゃないか。

あたし、頑張ってるからしんどいんや。




そう思ったら、安心した。



相変わらずお金もないし、英語も下手だし、32にもなって世界ふらついてなにしてんだこの女はって、客観的に見て思うけど、

あたし、まだまだやりたいことがたくさんあるわ。

頑張りたいからしんどいし、しんどいけど、やりたいねんな、きっと。



それに気づいたら、安心したので、これからのオーストラリア、楽しめる気がしてきた。



よしよし。あたしまだ頑張れるぞ。



最近、なんだか無駄にイライラする。


自分勝手にイラついて、クッソーってなってる自分がいる。




たとえば、ルームシェアしてるイラン人のおじさん。

オーストラリアにもう2年弱住んでいるけどほとんど英語が話せない。


もちろん自分も話せるほうではないけど、その彼との簡単な会話すら難しく、

この前映画を見てたから、どんな映画見てるの?って意味の、

what kind of movie?って聞いたら、kind....?????kind って何?ってなって、

翻訳アプリ起動して、でもkind だけじゃまた違う意味になるから、

よくわかんないってなってました。もうそれだけでしゃべるの疲れちゃって。


仕事終わって帰ってきて疲れてたっていうこともあったんだけど、

ああもう!2年弱もいるのになんでこんな簡単な会話すら出来ないのー!ってなっちゃった。



仕事中、全然英語話せないお客さん来て、自国の言葉でがんがんしゃべる。当たり前だけど私には理解できない。

すっごい並んでたくさん客さん待ってるのにそのお客さん一人に時間取られて、注文くらい英語でしろよ!とイラついたり。





よく考えたら、イラっとすること、英語に関してのが多いような気がする。




人に対して英語話せる話せないってことに敏感になってるのかもしれない。



自分より話せない人に対してイラついたり


逆に話せる人と一緒にいて自分が話せないことにがっかりしたり。



なんかやらしいよね。

やな感じ。あたし。









この前オージーの友達と二人で出掛けたんすよ。


まあ二人だからいろんな会話をするんだけど、

言いたいことをなかなか英語で表現できなかったり

ネイティブの英語が聞き取れなくてわからなかったり。


言い回しの違いやアクセント、スラングなども含まれててわかんないときは

何が言いたいのか全然わかんないこともあった。


私が言いたいことも、友達は勘違いして捉えてたり、通じなかったり。


スムーズに会話が進まなかったり。



そんな環境に疲れて、イラっとした。




なににイラつくかって、自分の意思の通じなさ。

会話のテンポの悪さ。

自分の、同じフレーズの使いまわし英語への落胆。





別日。

2ヶ月前、ブリスベンの宿で出会ったアニーと再会。

第二言語同士の会話の方がスムーズで、あたしもあんまり気にすることなく話せた。


でも、ヨーロピアンの気の強さというか、自己主張の強さに、ああもう!ってなることもあった。








英語を話せる話せないで、基準を作っているのは自分だなあと思った。


英語なんてただの言葉なのに。


自分だって最初は本当に全然話せなくて、たくさんの人に助けてもらったはずなのに。



こんな今の自分の英語力で、人を判断するだなんてどんだけだよ、と。





ネイティブと話してて自分の英語がうまくなくて、

気が引けてだんまりしちゃうのも、きっとこういう気持ちからだ。






英語が第一言語だったらどんなに楽だっただろう。


第一言語が、ほかの国でも話されている共通の言語だったら、

どんなによかったか。

(たとえばスペイン語とかフランス語とか。スペイン語はスペインや中南米で話されてるし、フランス語はフランスやアフリカ、北米でも話されてる)



日本語なんて日本でしか話されてないし。。。


って思うと、ネイティブがただただ羨ましい。






いまさらどうにもならないことを羨む。


















マジ意味ねえ。

















書いてて思ったけど、


英語出来る出来ないでイラつく私も器が小せーなーと思うし


人にとっては、英語出来る出来ないはそこまで大きな問題ではない。(たぶん











上記に書いた、ネイティブと二人で出掛けた時に、英語がわからなくてがっかりしたこと。



思ったことをそのまま話してみたんですよ、本人に。




あたしは、

あなたの英語がわからないこともあって、申し訳ない。

ネイティブが英語下手な人と話すのは疲れることだし、ごめんって思ってる。

あたしの言いたいこともなかなかうまく説明できなくて時間もかかる。


ごめん。



って言ったんですよ。







そしたら、その人、逆に、

僕たちのコミュニケーションうまくいってなかったの!?悲しい・・・



つって逆に友達のほうが凹んでました。笑





その反応で、



あれ!?

あたしが心配してるよりも、相手は英語うんぬんはどうでもいいっぽいぞ!?


と思ったのです。












旅の最初の頃、言葉の大切さ、言葉が無くても通じること、たくさん感じてたのに、忘れてたな。


大切なことだったのに、忘れちゃってた。


あの時感じてたこと、貼っときます。

言葉とは?ラオス編






もっとやわらかい気持ちでいたいな。




今、ちょっとトゲトゲしてる。






もっとリラックスしていこう。