母子避難中の妻が直面する選択~避難を中止して戻るか、離婚して避難を続けるか | 民の声新聞

母子避難中の妻が直面する選択~避難を中止して戻るか、離婚して避難を続けるか

一番頼りになるはずの夫が敵になる─。自主避難を中止して郡山へ戻るか、離婚して子ども達とともに県外避難を続けるか、決断を迫られている女性がいる。夫や夫の両親の反対を振り切るように娘を連れて自宅を後にした女性はその後、夫の暴力に耐えながら、ほぼ休みなく働き続けて娘を育てている。「私のように、夫の理解を得られないで苦しんでいる女性は多いのではないか」。女性は涙を流しながら取材に応じた。原発事故さえなければ起きなかった夫婦の破たん。子を守るための避難がなぜ悪いことなのか。女性の夫は、3月末までに郡山に戻らなければ離婚すると提示している。あと半年。女性の気持ちは揺らいでいる。


【「避難の必要ない」と反対した夫】

 夫とは、初めから放射能に関する考え方が違っていた。

 原発事故後、郡山から会津地方の実家に避難しても、夫は「家は心配だ」と三日で帰宅。「マスクしている奴は馬鹿だ」「テレビでは安全だと言っているじゃないか」「避難する必要なんか無いんだ」と繰り返した。

 「私の実家には居づらかったのかもしれません」。だがA子さん(50)は、東電関係者から職場の上司のもとに、福島原発が非常に危険な状態であるという知らせが入っていることを知っていた。「3号機が爆発するぞ、早く逃げろ」。だから、愛犬も当面の荷物もとりあえずマイカーに積んで実家に逃げたのだ。

 夫の両親も、避難には否定的だった。

 小学6年生(当時)の娘の卒業式が公民館で行われるのを機に一度は郡山に戻ったが、日々、郡山で子どもたちを生活させるわけにはいかないという思いが募った。中学1年生(当時)の長男は部活動で部長に推薦されていたこともあり避難には消極的だったが、娘は学校給食の牛乳に口をつけないなど、被曝の警戒心が高まっていた。東京なら、かつて夫婦で暮らしたことがある。調べたら、子どもをホームステイさせてくれる団体があることを知った。知り合いのアパートに空きが出るまで、せめて子どもたちだけでも福島から離れさせたい─。家族会議での提案を、夫の両親は一蹴した。

 「よそ様に子どもを預けるなんてとんでもない。そんなに避難させたいのなら、あなたが仕事を辞めて一緒に行きなさい」

 A子さんに迷いは無かった。

 「分かりました。仕事は辞めます」

 夫は、月に2回は郡山に戻って家事をすることを条件に避難を渋々認めた。息子はやはり、郡山に残った。娘は東京都私学財団の編入試験を受け、9月1日から都内の私立中学に通うことが決まった。母子2人の避難生活が始まった。昨年8月のことだった。
民の声新聞-提供写真③
2011年4月20日付の福島民報。「この記事を読

み、県外避難しようと決意しました。郡山市で屋

外活動が制限されたのは、薫小学校1校だけで

した」とA子さん


【娘の水筒持参を禁じた学年主任】

 A子さん(50)は学生時代、故・高木仁三郎氏の著書を読んで初めて、放射性物質や被曝の危険性を知った。その衝撃は今でも鮮明に覚えている。

 「放射線への恐怖心」から3月末に一度郡山に戻った後も、子どもの被曝回避のために中学校や市教委に何度もかけあった。

 当然、被曝の話題が出るだろうと出席した入学式。しかし、校長の口から原発事故に関する言葉は最後まで出なかった。学校に電話をした。「市教委から何も指示がない以上、なにも言えません」。

 水筒持参を巡っても、学校は驚くべき対応をした。

 学校給食で出される牛乳を飲まなくなった娘を見て、担任が水筒持参を認めた。だがその夜、今度は学年主任から自宅に電話が入る。「水筒ではなく紙コップを持参させてほしい。それで学校の水道水を飲んでもらいます」。学年主任の説明では、かつて校内が荒れていた頃に校則で飲み物の持ち込みを禁じたという。有事の認識もかけらもない教師にどれだけ失望したことか。水筒持参は後に、窓を閉め切ることによる熱中症対策で、今度は学校側が奨励することになる。「被曝回避のためではいけないのに、熱中症対策なら水筒を持って行って良いなんて、考えられません」。

 放射線量の測定も信用できなかった。

 道路一本隔てた小学校では、校庭の地上50cmで郡山市内でも非常に高い数値が計測された。しかし、子どもの通う中学校では地上1mで計測したため「健康に影響はない」との判断。校庭で体育座りをする子どもたちの姿に胸が痛んだ。ここにいてはわが子を守れない。学校の対応は、県外避難を加速させる要因の一つであった。
民の声新聞-提供写真②
学校に張り出された臨時休校のお知らせ。結局、

郡山市内の小中学校は3月末まで休校すること

になる


【疲労困憊の身体に夫の暴力】

 原発事故後に5kg減った体重は、その後も戻っていない。

平日は朝から夕まで派遣の事務仕事。週末は高速バスで郡山に戻るのと、試験監督のアルバイトを隔週で続けている。高速バスは片道3000円ほどの狭い車内。フルタイムで働く身体が悲鳴を上げる。そこに最近、さらなる追い打ちをかける出来事が続いている。夫の暴力だ。

 先日は、拳で頭を殴られた。首や腰を痛め、DVに理解のある医師が書いてくれた診断書も持っている。脱サラして国家資格を取得した夫。原発事故でこれまでの努力を台無しにされてはたまらない、という夫の気持ちも分からないではない。だが、原発事故を境にすっかり変わってしまった夫と今後も人生を歩んで行かれるのか。自信は無い。

 本来なら一番身近で、最大の理解者であるはずの夫。しかし、今や完全に「敵」になってしまった。ねぎらいやいたわりの言葉など、一度もかけてもらったことはない。

 東電から支払われた100万円を超える自主避難者向けの賠償金がある。それを半分渡してくれれば生活費に充てられる。しかし、夫は高速バス料金として少しだけ渡すばかり。家族4人の携帯電話料金は、未だに自分のクレジットカードで支払っている。

 夫のいらだちは、愛犬のフレンチブルドッグにまで向けられるようになった。娘のために夫が買ってあげた犬にまで向けられる暴力。「目に見えないものの怖がり方がたまたま違ってしまったんですね。夫にとっては人生をかけて建てた家ですから、そう簡単には離れられないし、離れた私を許せないのでしょう」。

 友人とミュージカルを観に行ったことが夫の耳に入ると「東京が楽しいんだろう」となじられた。実際は、友人に招待券をもらっての観劇だった。最寄駅までの電車賃さえ惜しみながら行った、ささやかな息抜き。それさえ、理解してもらえない。

 夫や息子を置き去りにして逃げた酷い嫁、と自分を責めたこともあった。しかし、子どもを少しでも放射線量の低い土地へ逃がすことが非難されるような風潮はやはり、絶対におかしいと思う。

 「私のように、夫の理解を得られずに苦しんでいる女性は多いと思います。声を挙げられずに悩んでいることでしょう。母子避難をしている女性たちは、そろそろ戻るべきか悩み始めているのではないでしょうか。こうやって私がお話しすることで、苦しんでいる女性の何かの役に立てばうれしいです。あなただけが苦しんでいるんじゃない、と言ってあげたい」

 夫は最近、新たな条件を提示してきた。来年3月末までに避難を中止して郡山に戻らなければ離婚するという。帰るべきか、避難生活を続けるべきか。息子の高校受験が終わるまでは事を荒立てたくないという思いもある。

 A子さんは言う。

 「全てが何も決まっていません」
民の声新聞-提供写真①
郡山市内のA子さん宅。整理ダンスから本棚が

落ちるなど、被害は小さくなかった

(写真は全てA子さん提供)

(了)