民の声新聞 -6ページ目

【国道6号】批判の中、実施された清掃ボランティア~子どもたちの充実感の陰に潜む内部被曝のリスク

中高生が参加することへ批判が高まった、清掃ボランティア「みんなでやっぺ!! きれいな6国」(NPO法人・ハッピーロードネットなど主催)が10日、福島県・浜通りを走る国道6号(新地町~いわき市、約50km)で一斉に実施された。広野町や楢葉町を中高生と一緒に歩くと、子どもたちは被曝に対する不安を否定し、参加したことに誇らしげな表情を浮かべた。砂塵舞う中、マスクせずにごみを拾い続けた子どもも。しかし、笑顔の向こう側に潜む内部被曝のリスクを考慮すれば、子どもは参加させるべきではなかったと言わざるを得ない。


【舞い上がる砂塵。マスクしない子も】

 「地元だし、ぜひ参加したかった。被曝の危険?いえ、全く不安はありません。両親から止められることもありませんでした」
 友人と一緒に参加した双葉高校の女子生徒は、にっこりと笑った。受付で軍手やマスクが配られたが、どちらも着用しなかった。行き交うダンプカーが砂塵を舞い上げる。「気をつけないと放射性物質も一緒に吸い込んでしまう」と告げると、彼女は「うーん」と首を傾げて苦笑するばかりだった。
 背中に「Jヴィレッジ」と書かれたユニホーム姿で参加した少年サッカーチームの中学生たちは、隊列の先頭で次々とごみを拾い、あっという間に袋を一杯にした。二ツ沼公園から楢葉町に入り、現在は福島県警双葉警察署として利用されている旧道の駅ならは前で信号を渡り、Jヴィレッジの前を通って再び二ツ沼公園に戻った。当初、子どもたちは楢葉町には入らないという説明だった。
 ほぼ半数の子どもがマスクを着用しないまま国道沿いの歩道を歩いた。大熊町からいわき市に避難しているという中学1年生の男の子は、震災時は小学2年生。下校途中で巨大な揺れに遭遇した。「放射線量が高いから、あれから一度も(大熊町の)家に帰れてない」と寂しそうに話す。彼も含めて、被曝の危険性について認識している子どもは皆無だった。

 参加している誰もが、誇らしげな、充実した表情を見せた。別の女子高生は「ボランティア活動に参加してみたかった」とうれしそうに話した。双葉翔陽高校の男子生徒も「この場所に来ることが出来て本当に良かった」と開会式でスピーチした。遠藤智・広野町長は「浜通りが復興していることを全国に発信する好機となる」と語ったが、子どもたちの充実感と大人の満足感の向こう側には、被曝のリスクが潜んでいることを忘れてはならない。
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中高生も参加した清掃ボランティア「みんなでやっぺ!!

きれいな6国」。楢葉町のJヴィレッジ周辺は、手元の

線量計は0.3μSv/hを超えた


【「無理解な人が東京で騒ぎ立てている」】

 「いろいろなご意見があります」

 NPO法人「ハッピーロードネット」の西本由美子理事長(62)の元には、2011年以降中断していた国道6号の清掃ボランティアを再開させるにあたり、子どもたちの参加に対する批判が少なからず寄せられたという。吉田栄光福島県議(自民、浪江町)も、あいさつで「様々なご意見があろうかと思う」と触れた。「子どもたちの未来と健康を守るプロジェクト・郡山」が中高生の参加に反対を表明すると、全国約70の団体から賛同の連絡があったという。

 しかし、西本理事長は「子どもたちが清掃をするのは通学路。国道6号が通学路になっているなんて知らないでしょ?地元を全く理解しない人達が東京で騒ぎ立てているんですよ」と反論した。「私は、自分で納得して広野町に戻ってきた。今日、参加した子どもたちも、家庭で散々話し合って出て来たと思う。それに対して、周囲が良いとか悪いとかを云々することはできないと思いますよ」。

 前夜、清掃ボランティアを再開させるきっかけを作った相馬高校の男子生徒から「僕のせいでおばちゃんが叩かれて迷惑をかけてごめんね。でも、貫いてくれてありがとう」と涙ながらに電話がかかってきたという。

 「実際にやってみて、子どもたちもいろいろと気付くことがあったでしょう。良かったことも反省点もあるはずです。それが教育なんです。大人が頭ごなしに『やっちゃ駄目だ』って言ったって、子どもたちは納得しませんよ」

 長年、子どもたちと接してきた西本理事長なりの教育論にはしかし、現実の被曝のリスクは考慮されていない。それもそのはずだ。昨年3月、日本商工会議所の「日商ニュース」に寄せた文章の中で、2013年9月に行ったチェルノブイリ視察を基にこう綴っている。

 「今の日本の放射線に対する情報は偏見に満ちている」

 「原発さえ安定していれば、私たちの故郷は何の不自由なく安心して住める」
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NPO法人の西本由美子理事長(写真上、一番左)は

「子どもたちは親と散々話し合って参加している。

それに対して私は是非を云々できない」と話した


【小出さん「子どもを動員するな」】

 「やってはいけないことです」

 本紙は元京都大学原子炉実験所助教の小出裕章さん(66)に対し、主催者が清掃ボランティアに中高生を参加させたことへの是非を伺った。小出さんは「間違っている」とするコメントをメールで寄せた。
 「2011年3月11日夜、『原子力緊急事態宣言』が発令されました。宣言はいまだに解除されておらず、いま日本という国は緊急事態下にあります。そのため、被曝に関する様々な法令も福島では守らなくて良いことにされ、子どもも含め、本来なら『放射線管理区域』にしなければならない地に棄てられてしまいました。

 棄てられてしまえば、人々はそこで生きるしかありません。

 自分たちの土地を何とかしてきれいにしたい。そして、きれいになった、福島の物を買ってくれと、どうしても言いたくなります。その気持ちを私は理解します。

 ただ、そのために、例えば学校給食を地産地消してアピールする。あるいは今回のように汚染を移動させるために子どもを動員することは間違っています。

 子どもは原発事故に何ら責任もありませんし、被曝に対して大変敏感です。

 大人が被曝をするとしても、子どもだけは被曝から守らなければいけません」

 子どもの命を守るべき大人たち。

 しかし、高校生を引率した女性教師は「生徒たちには担任を通じて参加を呼びかけ、保護者の承諾も得ている。被曝の危険ですか?まあ、子どもたちがやりたいということは応援したいですからね」と話した。ふたば未来学園高校の男性教師も「普段、ここで生活していますからね。不安はないです。全国の方々には本当の姿を見て欲しい」と話した。

 少年サッカーチームの関係者は「まだ避難中の家庭もあり、保護者の考えは様々。もちろん自由参加です」とした上で「原発事故でJヴィレッジに行ったこともない子どももいる。こういう行事で帰属意識を持たせたかった」と話した。「被曝に関しては、いろいろな意見があって良いと思う。他県のサッカーチームでも、福島に遠征してくることに反対する保護者がいて断念することもあるようです」。

 清掃中、通りかかった福島県警のパトカーから、警察官が「ごくろうさまです」と子どもたちにマイクで呼びかけた。「放射性物質を吸い込まないように」という呼びかけは、残念ながら無い。「多様な意見を尊重する」と言いながら、実際には被曝の問題はほとんど論じられないのが実情なのだ。


(了)

【甲状腺がん】「福島で多発中」と警鐘鳴らす津田敏秀教授~「避難せず残った人にこそ正しい情報を」

福島第一原発事故後、被曝による福島県内での甲状腺がん発生率が全国平均と比べて最大で50倍に達しているとの論文を岡山大学の津田敏秀教授(環境疫学、医学博士)らがまとめ、国際環境疫学会に受理された。web上で先行公開されたことを受けて8日、日本外国特派員協会で記者会見した津田教授は「当初の予想を大きく上回るペースで甲状腺がんが多発している。しかし、日本国内ではほとんど理解されず、何の準備もなされていない」と警鐘を鳴らし「様々な事情で避難できず、福島での生活を続けている人たちにこそ正しい情報や知識を流し、無用な被曝を避けるべきだ」と訴えた。


【「甲状腺がんはさらに多発する」】

 津田教授らは、福島県や福島県立医大が原発事故当時、18歳未満だった子どもたちを対象に実施している甲状腺の超音波エコー検査の結果を分析。人口を基に福島県を9つの地域に分け、2014年12月31日までに集計された検査結果の公表データから、二本松市を中心とする中通りの中部で日本全国の年間発生率と比較して約50倍に達したことが分かったという。郡山市でも約38倍、須賀川市や白河市などの郡山以南、いわき市では約40倍だった。福島市を中心とした北部地区は約19倍、会津地方では約27倍だった。甲状腺検査が最も早く2011年に実施された相双地区は約29倍で、中通りに比べて数値そのものは低かったが、津田教授は「潜伏期間を考えると、1年未満で30倍近く多発したことは重要だ」と話した。

 一般的に、子どもの甲状腺がんは100万人当たり1-3人とされるが、福島県内では、今年6月30日までの検査で、対象となる38万人のうち137人が甲状腺がんと診断されている(疑いも含む)。

 津田教授は会見で「WHO(世界保健機構)が2013年にがんの多発が予測されると発表したが、その予測ペースをはるかに上回っている。著しい多発だ」と話し「チェルノブイリ原発事故から4年後と同じ傾向をたどっており、今後さらに甲状腺がんが多発することは避けがたい。それにもかかわらず、日本国内ではほとんどこの状況が理解されず、何の準備もなされていない。政府や福島県はこれまでの誤りを認め、詳細な情報を流すべきだ」と訴えた。
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記者会見を開いた岡山大学の津田敏秀教授。

福島県内で甲状腺がんが多発していると警鐘を鳴ら

し「何の準備、対策も取られていない」と政府や自治

体を批判した=8日午後、日本外国特派員協会



【「安定ヨウ素剤飲ませていれば…」】

 津田教授は2013年以降、スイスや米・シアトル、ブラジルで開かれた国際環境疫学会で福島での甲状腺がんの多発について発表してきた。衝撃を受けた海外の研究者らから「早く論文を書きなさい」と促され、今年に入って作成に取り掛かったという。

 会見では「スクリーニング効果」や「過剰診断」に対する質問も出たが「スクリーニング効果による〝偽の多発〟はせいぜい6-7倍。ところが、福島県では20-50倍もの多発になっている。過剰診断やスクリーニングだと言うなら、ちゃんと論拠となる論文を示して欲しい」と一蹴。「日本の保健医療政策は〝陰口〟や〝立ち話〟〝噂話〟によって成り立っている。批判があるなら直接、言って欲しい。議論の場も設ける」と呼びかけた。

 甲状腺がんの原因を原発事故による被曝と結論付けることへ「時期尚早」との声が他の専門家からあがっていることについても「世界と比べて日本には疫学者が圧倒的に少ない。岡山大学には恐らく日本で一番疫学者が多いが、普段から彼らと議論していても『甲状腺の多発を被曝によるものと結論付けるのは時期尚早』だとか『原発事故が原因ではない』などと言う人は1人もいない。それは海外の研究者でも同じだ」と話した。

 原発事故後の日本政府の対応を「チェルノブイリ原発事故の経験がほとんど生かされていない」とし「安定ヨウ素剤を全ての子どもにのませていれば、甲状腺がんが半分に減らせた」と批判した。英文の論文 は誰でもアクセスすることができ、日本語訳は「できるだけ早く公開したい」(津田教授)。
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津田教授の分析では、全国と比べて最大で50倍に

達した福島県内での甲状腺がん発生率。会見では

「チェルノブイリと同じ傾向をたどっている。今後、

さらに多発しないと予想を立てる人がいるだろうか」

と話した


【「帰還政策は明らかに間違い」】

 津田教授の想いに反し、政府や福島県は「帰還政策」を推進。放射線から遠ざかるための避難・保養を促すどころか汚染が解消されていない地域に住民を戻そうとしている。住民の側も、県外避難より福島に残って生活することを選んだ人が多いのが現実だ。

 「100mSv以下の発がん性は因果関係が分からない、などとした帰還政策は明らかに間違い。しかし、様々な事情で避難できない人もいる。大した対策をとらなくても、詳細な情報を流すだけで、コストをかけずに放射線をさけることはできる。汚染の度合いの高い場所にいる時間を減らすだけでも被曝量は大きく変わってくる。現在の福島は、避難するか残るか、その判断材料すら与えられていないのです」

 国も行政も地元メディアも、こぞって原発事故を過去の出来事とし、汚染や被曝の危険性など無くなったかのようなムードづくりに専念している。政府の指示に拠らない「自主避難者」への支援打ち切りも決まり、自立せよと迫る。被曝の危険性を口にすると、風評被害を撒き散らすなと非難される。伊達市の仁志田昇司市長のように「心の問題」に収れんさせようとする首長までいるほどだ。しかし、津田教授は「この先、チェルノブイリと同じようにさらに甲状腺がんが多発しないということは考えられない」と健康被害の拡がりに懸念を示す。

 「福島に住み続けなければならない人にこそ、正しい情報・正しい知識が与えられるべきなんです」

 原発事故から間もなく、55カ月を迎える。



(了)

「原子力空母配備にNO」から「レーガン」母港化容認へ~吉田雄人・横須賀市長の呆れる変節

10年ひと昔。こうも人は変わるものだろうか。神奈川県横須賀市の吉田雄人市長(39)のことだ。2003年以来、市議を2期務めた後、33歳の若さで市長選に当選した吉田氏は、市議時代の「原子力空母配備反対」を完全に封印。1日に交代配備された原子力空母「ロナルドレーガン」に関して、安全性に問題ないとする日米両政府のスポークスマンと化している。原発事故当時の「トモダチ作戦」での放射能汚染にも目をつぶる吉田市長の変節ぶりを、市議会での発言を基にひも解いてみたい。



【「危険だから反対」の市議時代】

 2005年6月13日の横須賀市議会本会議。一つの請願が不採択となった。「原子力空母母港化反対等に関する意見書提出について」。反対が多数を占める中、賛意を表明した市議の一人が、後に市長として二代目の原子力空母を迎えることとなる当時30歳の吉田雄人市議。賛成討論では「住民税はもとより、固定資産税すら納付していない人たちが横須賀市域の3.3%も占めて生活していることには矛盾を感ぜざるを得ない」、「この請願を機会に、議会としても、さらに一歩進んで基地の返還をうたうことが必要」とまで述べている。

 そう、吉田市長は原子力空母の横須賀配備に反対だったのだ。当然、この年の2月22日に全会一致で可決された「原子力空母の配備に反対する決議」にも賛成している。

 これに先立つ5月31日の本会議では、沢田秀男市長(当時)に対し、一般質問で「なぜ市長は『原子力空母の母港化に反対』とおっしゃらないのか」と質している。さらに「原子力空母の母港化に対して市民はどのような行動が有効なのか、ひたすらに反対を唱えることが有用なのかなど、ぜひ具体的に指し示していただきたい」と迫り、沢田市長から「自治体の権限を超えた外交上の問題については、それが市民生活に影響があるならば、その実情を粘り強く国に訴え続けることが現実的な方法である」という答弁を引き出している。

 この姿勢は市長が蒲谷亮一氏に代わっても変わらず、むしろ勢いを増した。同年9月29日の一般質問では、小泉純一郎首相(当時)が地元選出であるとして「総理からブッシュ大統領へ、しっかりと地元横須賀市に、そして日本に、原子力空母を母港として配備することへはNOであるということ、NOと言える横須賀市であることを示していただくようお願いしてはいかがでしょうか」と求めた。

 11月29日の一般質問では「(蒲谷)市長が就任後早々に原子力空母の配備に反対の立場を明確にされ、外務省やアメリカ駐日大使館などへの要望を行っていることは大変心強い」と持ち上げ、原子力空母の横須賀配備に「不安だからではなく、危険だからこそ反対する理由がある」と明言している。10年前とはいえ、まさかお忘れではあるまい。
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原子力空母の配備に関し、市議時代と発言が180°

転換した吉田雄人市長(横須賀市ホームページ「よう

こそ市長のページへ」より)。吉田市長もどぶ板通りの

飲食店のように空母レーガンを歓迎する?


【「原子力空母反対」も「チェンジ」?】

 2006年6月14日の市議会全員協議会で、蒲谷市長(当時)が「通常型空母の可能性がゼロになった今、私は、その現実を直視し、原子力空母の入港もやむを得ない」と原子力空母配備へ容認を表明すると、当時の吉田市議は「本日の表明は、市長の政治生命をかけて臨まれたと認識してよろしいか」と質し、「港湾法に定める港湾決定者としての決定権は蒲谷市長にある」と住民投票の実施を求めた。

 吉田市長にぜひ、思い出していただきたい発言がある。2007年2月5日の市議会臨時会。原子力空母配備容認を表明した蒲谷市長(当時)に対し、強い言葉でこう批判している。

 「市長になられてから1年もたたずに方針の転換をされたわけです」

 「まるで米軍のスポークスマンのように、原子力空母はどれだけ安全かという話ばかりをされるようになりました」

「原子力空母の配備に反対する選択肢というのは残されているはずです」

 わずか8年前のことだ。同8日の臨時会ではこうも述べた。

 「原子力空母を配備されることを市民の賛否の意思を明らかにせずに認めてしまうことは、地方自立の時代や横須賀市民の自立を否定することにつながる」

 しかしどうだろう。原子力空母「ジョージワシントン」が配備された翌年の2009年6月28日、横須賀市長選挙に「脱官僚」「チェンジ」を掲げて立候補し、当時の蒲谷市長らを破って33歳の若さで当選を果たすと、同年9月3日の所信表明では「米海軍横須賀基地の存在は、横須賀のまちづくりに少なからず影響を与えている」としながらも「基地があることによって、雇用の確保、経済の活性化といった効果があることも事実」と早くもトーンダウン。

 代表質問では「前市政とは違って、基地問題については国に対しても、米海軍に対しても、米国に対しても言うべきことはしっかりと言う」としながらも「艦船の寄港については、日米両政府の取り決め、すなわち日米地位協定第5条に基づいて行われていることは理解しています」と答弁。当時の民主党政権に対し、原子力空母配備の撤回を要請するよう求められると「新政権の方針については、外交、防衛政策も含め、いずれ明確になると思うので、まずはそれを待ちたいと思う」とかわし、明言を避けた。

 鋭い舌鋒はすっかり影をひそめてしまったのだ。2008年2月の総務常任委員会で「私は、原子力空母反対の立場をとっている」と言い切っていた吉田市長。就任後は、紋切り型の官僚答弁を繰り返すこととなる。市議の1人は「あいつに信念なんかないんだよ。保守の支持者にも良い顔をしなければいけないんだろう。市議の頃は原子力空母の是非を問う住民投票にも賛成していたのにね」と苦笑する。日米安保の最前線・横須賀の首長がこれでは、安倍晋三首相も満足だろう。しかし、前市長に向けていた鋭い批判の矛先は、今まさに吉田市長自身に向けられていることを自覚するべきだ。
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2日夜、米海軍横須賀基地周辺で行われた反対集会

やデモ行進。吉田市長も市議なら一緒に行進してい

た???


【「ここまで変わるとは思わなかった」】

 2010年6月9日の本会議で「唯々諾々と国の言うことを受け入れるのが地方の役割ではないと今でも信じています」と答弁した吉田市長。しかし、原子力空母の母港化を撤回するべきと市議から問われても、はっきりと答えない。それどころか、今年6月9日の本会議では「あくまで同型艦の交代」、「原子力空母の配備が恒久化されると国から説明をうけたことはない」と答弁。原子力空母の交代配備に反対するべきだと迫られても「空母の前方展開は、日米安全保障条約とその関連取り決めに基づく措置であり、その是非について一自治体の長に判断する権限はない」と一蹴した。

 2014年2月の本会議でも「今回の交代について市に決定権があるものではありません」、「この横須賀が、日本の平和と安全のために重要な役割を担っていることも事実である」、「原子力空母の前方展開は現実的に継続していきます」と述べている。

 「地方の役割」はどこへ消えたのか。8年前、時の市長を激しく批判した自身の言動は間違いだったとお認めになるのだろうか。

 2013年2月、そして昨年9月の本会議で、吉田市長は繰り返し、原子力空母の配備に反対しないことを明確に表明している。

「原子力空母の母港撤回を選択肢の一つとするかという御質問をいただきましたが、そのような考えは持っていません」

 「原子力空母の母港撤回を国に求めるべきではないかという御質問をいただきましたが、そのような考えは持っていません」

 予定を1日早めて横須賀に入港した「レーガン」は、福島第一原発事故後に「トモダチ作戦」に参加。乗組員が被曝による健康被害を訴えて日本政府と東電を相手取り係争中。船体の汚染に対する問題も市議会では取り上げられたが、これも吉田市長は次のように答えている。

 「レーガンに限らず、この東日本大震災の救援に当たった艦船で何か大きな異常値を示しているとか、健康被害が生じているということもありません」(2015年3月2日の本会議)

 市議時代の発言を信じて若き市長の誕生に希望を託した有権者は、この変節をどのように理解すればいいのか。実際、市職員の中にも「ここまで変わるとは思わなかった」との声が少なくない。「原子力空母母港化の是非を問う住民投票を成功させる会」の呉東正彦弁護士も「ジョージワシントンが来た途端に変わってしまった」と呆れ顔だ。逆に言えば、自身の主張すら貫けないほど基地の街の首長はがんじがらめということなのか。苦しい立場に同情申し上げつつ、やはり有権者へのていねいな説明を求めたい。



(了)


【原子力空母アンケート】不安と容認が交錯する横須賀~交代配備「知らぬ」半数。情報不足への指摘も

米海軍横須賀基地への原子力空母の交代配備が10月2日に迫る中、市民グループ「原子力空母母港化の是非を問う住民投票を成功させる会」が4カ月間にわたって実施した市民アンケートの結果がまとまった。市民の半数が空母の交代を知らず、原子力への不安も多数を占めた一方で、地元経済などを理由に、配備そのものへの容認論も少なくない。会は「市民は手放しでは歓迎していない」と日米両政府に住民説明会の開催を求めていくが、原発城下町同様、「基地の街」ならではの複雑な住民感情も改めて浮き彫りとなった。



【歓迎はしないが無いと街が困る】

 イエス・ノーでは割り切れない。アンケートに寄せられた意見では、〝基地の街〟横須賀の住民たちの複雑な心情が如実に表れた。

40代男性が「地震国日本には危険な原子力空母はいらない」と言えば、10代の男性は「トモダチ作戦に参加したレーガンの母港が横須賀になることを歓迎したい」。横須賀に隣接する三浦市の女性(60代)は「半農半漁で暮らしている。放射能が非常に心配」と書き込んだが、30代の男性は「空母による抑止効果は絶大であり、現時点においては賛成せざるを得ない」と原子力空母配備を容認した。

 「事故やテロ等の際の放射能漏れを制御できるか心配」(70代男性)

 「長年、核持ち込みに反対してきた日本人の思いを全く無視している」(60代男性)

 反対意見はやはり、放射能への不安が多い。「軍港が観光地化されていたりして、市民が原子力空母に対して麻痺している」と指摘した70代の女性もいた。

 一方、賛成意見は安全保障だけでなく、地域経済を挙げる人も少なくなかった。30代男性は「米海軍、空母の街として定着し、横須賀市のシンボルの一つとして成立している」。40代男性は「米軍関係で産業・事業が成り立って助かっている業者は多数ある」と書いた。「観光行政(軍港クルーズ)の目玉の一つとして必要」と賛成した40代男性もいた。

 賛否を明確にできない人も、やはり雇用や地域経済に触れていた。

 「原子力空母の配備に不安はありますが、米軍基地での雇用は大きく、横須賀を支えているのも事実」と書いたのは50代女性。60代女性は「配備を望まないが、基地がある見返りとして国から援助を受けていることを考えると、どちらともいえない」と揺れる心情を書き込んだ。米兵に住宅を貸しているという60代女性は「基地は無い方が良いかもしれないが、それでは生活が成り立たない」と本音を綴った。

 歓迎はしないが無いと街が困る─。原発立地地と同じ構図がここにもある。
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「原子力」への不安は大きいが賛否を問われると

半々…。市民の葛藤が如実に表れたアンケート


【説明会開かぬ行政、情報欲しい住民】

 市民アンケートは5月6日から8月20日までの4カ月間、横須賀市内の全ての駅頭で聞き取りを実施。それに戸別訪問や郵送、メールなどで寄せされた回答を合わせた計1万50件を分析した。うち、市外在住者は16.3%だった。

 19日に横須賀市内で開かれた集会で配布された報告書によると、原子力空母が「ワシントン」から「レーガン」に交代することを「知っていた」と答えたのは49.7%、「知らなかった」が50.1%で、ほぼ半数だった。2013年のアンケート(サンプル数1000)では90%が原子力空母の配備を「知っている」と答えていたことから、会では「交代配備に関する情報提供、周知徹底が不足している」と分析する。

 横須賀への原子力空母の配備に対する賛否を尋ねた設問では、「反対」が最も多く49.7%、次いで「どちらともいえない」が36.0%、「賛成」は13.7%にとどまった。「反対」の割合は、男性が44.3%だったのに対し、女性は54.0%と女性が約10ポイント上回った。「どちらともいえない」が3割を超えたことに関して、会の共同代表・新倉裕史さんは「心情は反対だけど、街の経済を考えたり、基地従業員のことを思ったりしてすっきりと反対と言えない。そんな〝横須賀的事情〟が表れている」と話した。「米兵には住宅補助が18万円まで出るので、日本人より高額で住宅を貸せる」(70代女性)という賛成意見もあった。

 米軍や日本政府、横須賀市の安全対策については、46.0%が「不十分」と答えたものの、「わからない」も44.1%に上った。横須賀市は今回、空母交代に関する住民説明会を「同型艦」を理由に開いていない。「市民への周知は全く不十分。万一の事故の時、どこへ逃げれば良いのか、私は知りません」(30代男性)、「情報がまったく入ってこないために分からないことばかり。正しい情報をもっと分かりやすい形で」(20代女性)、「市の危機管理内容を広報紙に記載するなどの努力が足りない」(70代男性)など、行政の周知不足を指摘する意見も少なくなかった。

 「広報よこすか」9月号はマイナンバー制度がトップ項目。原子力空母に関しては、市長や市議会議長が7月、米・ワシントン州で海軍造船所や原子力空母「ニミッツ」を視察した様子が小さく紹介されているだけだ。
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アンケート
猛暑の中、横須賀市内の全ての駅頭で行われた

1万人アンケート。半数が原子力空母の交代を

「知らない」と答えた


【どうなった?船体の放射能汚染】

 会は今月17日、吉田雄人横須賀市長にアンケート結果を手渡した。28日には、共同代表の呉東正彦弁護士らが岸田文雄外務大臣やキャロライン・ケネディ駐日米大使宛てに要請書を提出する。

 要請書では、横須賀市民が、決して原子力空母の配備を手放しで歓迎しているわけではないと米側に伝えること、震災直後の「トモダチ作戦」に参加した「ロナルド・レーガン」の現在の放射能レベルがどの程度であるかなど、住民説明会を開くよう米海軍に求めること、原子力艦船に関する事故防災マニュアルについて、原発と同レベルにすることなどを求める。オバマ大統領や米海軍司令部へ手紙を送る意向もあるという。

 主眼となるのはやはり、情報公開と住民説明会の開催。福島原発事故で多量の放射性物質を浴びた「レーガン」の現在の汚染の度合いについても、市民にまったく知らされていない。山城保男市議は「視察で渡米した際は除染の中身や現状について尋ねてくるよう6月議会で吉田市長に求めたが、9月議会での答弁では『質問しなかった』だった」と憤る。同作戦に参加した乗組員のうち3人が亡くなり、200人以上が東電などを相手取って損害賠償を請求。現在も係争中だ。
 外務省は8月31日、「レーガン」の横須賀入港が10月2日に予定されていると発表した。「今回の入港を歓迎します」とのコメントも添えたが、地元ではまだ多くの人が交代を知らない。説明会も開かれていない。原子炉が生活空間の近くに存在することへの不安も少なくない。市民グループが猛暑の中で集めた1万を超すアンケートは、決して「歓迎一色」ではないのだ。



(了)

【54カ月目の福島はいま】絵手紙に綴る原発事故。「現在進行形」「多くを失った」「なぜ再稼働?」

汚染、被曝、除染─。「うつくしま絵手紙の会」が福島県郡山市で開催中の絵手紙展「ありがとう展」で、福島第一原発事故から4年半が経過した現在の想いを赤裸々に綴っている。今なお続く汚染や被曝への不安、故郷や生活空間を汚された事故への怒り、事故の風化への失望…。花や果物の絵が添えられた文章からは、放射能汚染や被曝のことなどすっかり忘れてしまった人々への強烈なメッセージが伝わってくる。会員の一人は言った。「原発事故は現在進行形ですよ」。もう4年半。しかし、まだ4年半。



【線量下がる薬があったら…】

 「四年の歳月が過ぎ、いまだに復興はほど遠い。除染はしたものの放射線量への不安はまだまだあり、春になり山菜等が出始めると、大丈夫かなァ今年はと心配しながらの生活はいつまで続くのか。先は何も見えず、東京五輪開催喜んでばかりいられない。その人力を福島にと、私だけではないと思う。復興の文字が消え安心して暮らせる日を願いつつ」

 伊藤民子さん(68)は、原発事故が収束していない中での東京五輪開催に疑問をぶつけた。「私だってスポーツは好きですよ。でもね、原発事故の影響はまだまだ続いているんです。手放しで歓迎できないですよ」。郡山市による自宅除染は済んだ。最大で0.6μSv/hほどだった空間線量は一応は下がったが数値への不安は消えない。道路をはさんだ向こう側の家は数値が少し低いためか未除染。「うちはどうしてやってもらえないのだろう」と耳にするたびに胸が痛む。
 三阪美子さん(68)は、静かな口調ながら「実際は復興なんてしまいませんよ。事故を忘れられては困るんです」ときっぱりと言った。絵手紙には、こう綴った。

 「四年たった今、ふきのとう、きのこ獲りができないのが残念です。除染のため秋桜、ワレモコウ、すみれの根を削って山砂に入れかえました。思い出が削られたようで淋しいです。でも、もっと大変な所がある。元気出さなくてはね。線量が下がる薬が開発されるといいのにと思ったりします」

 里山のキノコも駄目、山椒を冷奴にのせて食べることも叶わない。「測らなければ食べられない。食べて身体がどうなるかも分からない。本当に悔しいというか…」。うつむいて話す三阪さん。「月に行かれる時代なのに、放射線量が下がる薬はできないのかしら」。苦笑のような泣き顔のような複雑な表情が、今なお続く原発事故の影響を物語っていた。
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除染、東京五輪、健康被害…。それぞれの不安や

怒りを絵手紙で表現している


【健康被害の不安、再稼働への怒り】

季節の植物を添える絵手紙が多い中、黒いフレコンバッグを描いたものもあった。

 「わが家の除染は四年経った今も終わっていない。ニュースでチェルノブイリのその後をやっていた。被曝した人から生れた子どもはほぼ、体調に不安をかかえている。うちにも娘がいる。福島出身だけで色々と障害が出てくるのではと心配しています」


「いまだ変わらず、私の住む川俣でも、仮設住宅で生活する人、除染をして働く人の姿が町中で見えます。放射線量の数値が低くなりましたが、やはり長時間の外遊びや砂遊びには少し抵抗を感じています」


「外からは何もなかったように生活していますが、この先十年二十年経った時、私たちの体にどのような影響がでてくるのか、当事者でなければ他県の事として原発事故の恐ろしさを実感できないのでは…」


「救援・除染と時と共に徹車も変わり、今度は中間貯蔵施設に汚染土を運ぶルートになる。複雑な思いでいるけれど、希望に繋がるならばと時間と共に諦めと馴れが怒りを押し殺している」


橋本美登子さん(67)は、実家のある富岡町・夜ノ森の桜並木を描いた。

「両親は亡くなっているのでお墓くらいしかないけれど、原発事故後は墓参もできていません。昔は夏の海水浴などで毎年のように遊びに行っていたのに…」

そして怒りは、国の原発再稼働へ向けられた。

「福島がまだ終わっていないのに再稼働なんて、同じことを繰り返すのではないかと心配になります」
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フレコンバッグを描いた絵手紙も。「原発事故は現在

進行形です」と、会のメンバーは一様に話す

=郡山駅前、ビッグアイ6階


【「多くの大切なものを失った」】

 「今でも福島は不安だらけです。心配したらキリがありません。だから、私はこの庭に咲いた花達と笑いながら平気なふりして暮らしています」


 「原発事故で得たもの失ったものはそれぞれ違うだろうが、私には、秋の収穫を楽しみにしていた柿の木は除染のため切られ、可愛い山野草は姿を消した。多くの大切なものを失った」


 原発事故の翌月、夫の転勤で山形県から福島県に転居してきた女性は近所の母子の切ない日常を綴った。

 「朝八時になると、一歳の女の子が泣きながら母に抱かれて保育園に行きます。放射能から身を守る為のマスクが嫌なのです。外出する時は少しでもマスクをさせたい親心。息苦しくてマスクを外したい女の子。放射能の解決ができないまま原発を再稼働させていいのでしょうか。終わりのない戦いに、ただ空しく泣き声だけが響いてくるのです」


 日本絵手紙協会の公認講師で、うつくしま絵手紙の会を主宰する安達アツ子さん(68)は「この絵手紙は誰に宛てているものではないけれど、想像ではない、自分だけの体験を伝えていくことは大事なことだと思う。社会の中で生きているわけですから」と話す。内容には一切、制約を設けず「あの日から4年目」というテーマだけを与えた。「美しい福島が汚されているのが本当に哀しい」と表情を曇らせる。

 「ありがとう展」は19日まで、JR郡山駅北口近くの「ビッグアイ」6階で開かれている。時間は10時から18時(最終日のみ17時まで)。


(了)

【54カ月目の福島はいま】戻れるのか?除染始まった浪江町中心部。町民からは土壌測定求める声も

除染の始まった浪江町を1年ぶりに廻った。道路には栗が落ちていた。木々には柿の実。秋へ移りゆく町はしかし、中心部の一部を除いては依然として高濃度汚染が解消されないまま。避難住民の「自立」と「帰還」を促す国に対し、故郷を汚された町民の心は複雑だ。復興庁などが実施した町民アンケートでも、帰還に前向きな回答は17%にとどまっている。東京五輪や賠償打ち切りを見据えて避難指示の解除へ加速する国。安倍晋三首相は、秋風の吹く浪江町の現状を、まずは歩いて確かめるべきだ。



【帰還へ環境整備は着々?】
 常磐線・浪江駅や町役場の周辺では、ゼネコンの名前が入った除染車両が目立つようになった。大地震で激しく損傷した建物や点滅の続く信号機。頭上では、ビルの屋上で多くのカラスが鳴いている。駅前ロータリー近くの除染現場。並べられた黒いフレコンバッグに線量計を近づけると、6μSv/hを超えた。駅舎をはさんだ西側にある「ふれあいセンター」や町図書館では、手元の線量計は1.1μSv/h超。国道6号が開通し、一見すると政府の示した2017年の避難指示解除に向けて除染が加速しているように映る。しかし、道のりは決して平たんではないことがうかがえる。

 「ここは線量が高いんですよ。現場に来てみて驚きました。少し離れると低いんですけどね。ちょうどこの辺りを放射性物質が通り抜けたのでしょうか」

 除染業者の担当者がマスク越しに苦笑した。敷地内に一時保管されているフレコンバッグは地区内の仮置き場に移動されるが「中間貯蔵施設に移されるのはいつになるやら…」(同)。フレコンバッグには白いペンで袋ごとの放射線量が記載されているが、軒並み1μSv/hを超えている。

 国道6号線から海側の幾世橋地区は「避難指示解除準備区域」(20mSv/年以下、3.8μSv/h以下)。原発事故後、町内でも空間放射線量は比較的低かった地域だ。住宅の玄関付近には「除染作業が完了しました」との表示が並び、狭い生活道路を大きな除染車両が行き交う。

 手元の線量計は0.13μSv/h前後。空間線量だけを見るとかなり低い印象だが、千葉県松戸市のDELI市議も議会で指摘しているように空間線量では表れない土壌汚染が点在している可能性もある。実際、福島県原子力センターが8月に実施した土壌調査では、北幾世橋の土壌(深さ2-4㎝)から、局所的だがコバルト60が最大で1kgあたり36ベクレル検出されている。
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(上)帰宅困難地区に指定されている昼曽根地区。

南相馬市原町区に続く県道49号線は封鎖されたまま。

(中)浪江駅裏手の体育館で行われている除染作業。

(下)体育館近くの「ふれあいセンター」では、手元の

線量計は1.1μSv/hを超えた


【どうする「自立」、揺れる心】

 「もう、ここには戻らないということだけは決めているんだ」

 川添地区の自宅前で、男性(61)は言い切った。先日の豪雨による浸水が心配で様子を見に来たが、それを確認することもままならないほど、玄関周辺は雑草が生い茂っていた。「これじゃ入れないや」と苦笑しながら、男性は町から貸与されているタブレットで自宅の様子を撮影し、こう言った。「年1回、近所の人々が温泉に集まって懇親会を開くんだけど、ここに戻ろうという人は1人もいないよ。皆、新しい土地に家を買ったりしているしね」。手元の線量計は3μSv/hを超す。これから除染が行われる予定だが、周辺環境も含めてどれだけ線量が低減されるかは分からない。「ここに戻そうというのだから、本当に酷い国だよ」。

 昨年12月、常磐道浪江インターチェンジの利用が開始されたこと伴い、国道6号線まで許可証が無くても国道114号線を通行できるようになった(津島方面へは許可証が必要)。以前は国道114号線から直接、自宅まで車を乗り入れることができたが、114号線沿いにバリケードが設置されたため迂回をしないと自宅に近づけなくなった。「今さら貴重品なんてないけど、泥棒が入り放題になってしまうからね」。防犯カメラも至る所に設置された。汚染が解消されないまま一般車両の通行が許され、住民が迂回して自宅に向かう不思議な状況が続く。

 伊達市内のアパートでの避難生活。自宅のある「居住制限区域」(50mSv/年以下、9.5μSv/h以下)の避難指示が2017年に解除されれば、6万円が上限の家賃補助も打ち切られる。ともすれば汚染の度合いは「帰還困難区域」(50mSv/年超、9.5μSv/h超)より高いのに、「向こうは1人700万円。こっちはゼロ」(男性)。米寿を迎えた母親との2人暮らしを今後どうするか。男性にも「自立」の波が否応なしに押し寄せる。それでも、国や福島県が用意した復興住宅への入居へ前向きになれないと話す。

 「復興住宅への入居を申し込むのは簡単なんだけど、何だか国や東電に屈服してしまうようでね…。くだらない反発なんだろうけど。報道も帰還一辺倒。前向きな意見ばかりが流される。早く帰して終わりにしたい意図が見え見えでね」

 父親とイノハナを採取して歩いた里山。母親の作る炊き込みご飯は大好物だったという。戻らぬ故郷。募る悔しさ。もはや男性の目に涙はなかった。
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(上)幾世橋地区の住宅には、軒並み「除染作業完了

しました」と表示されていた

(中)浪江駅前で行われていた除染作業。フレコンバッグ

に線量計を近づけると6μSv/hを超えた

(下)川添地区にある男性宅は、依然として3μSv/h超。

「除染をしてもここに戻るつもりはない」と男性は言い

切った


【「帰還困難」は山側だけか】

 川俣町側から浪江町に入ると、道路には栗が落ち、ススキの穂が風になびいていた。住民不在の5度目の秋。手元の線量計は1mの高さでも5μSv/hを下回ることが少なくない。地表に下すと、30-70μSv/hにまで跳ね上がることも珍しくない。津島や赤宇木などの「帰還困難区域」に人の姿はなく、除染車両もまばら。時折、巡回のパトカーが通り過ぎる。林で物音がしたと思ったら、野生動物が足早に走り去った。
 しかし、「帰還が困難」なのは、本当に山側の地域だけだろうか?津島地区では、場所によっては手元の線量計が1.2μSv/hだった場所もある。場合によっては「居住制限区域」より空間線量が低い。空間線量が低いとされる「避難指示解除準備区域」にしても同様だ。土壌汚染を詳細に測定すれば、さらに汚染の度合いはまばらだろう。本来は空間線量や集落で区切れるはずがない。昨夏、復興庁や福島県、浪江町が共同で実施した町民アンケートでも「土壌汚染がどの程度なのか知りたい」と意見を寄せた50代の男性がいた。
 アンケートでは、「除染で人が住める状態になるのか」との声もあった。そもそも、年間被曝線量20mSvが本当に安全と言えるのか、疑問が残る。それでも、JR東日本は2017年春までに常磐線「小高」-「浪江」間を、2018年春までに「富岡」-「竜田」間を開通させる計画。「浪江」-「富岡」間の開通は、計画すら立っていない。





(了)

「バグフィルターで99.99%除去」に異議あり!~放射性廃棄物を燃やすなと訴える三陸の医師

バグフィルターでは放射性セシウムを99%除去できるどころか2-3割が漏れ出している─。岩手県宮古市の医師が環境省の「定説」に異議を唱えている。神経内科医の岩見億丈さん(57)。300カ所以上にわたって焼却炉周辺の土壌を採取し、セシウム濃度を測定。その結果、焼却炉周辺の濃度が高いことや、焼却によって周辺土壌が汚染されていることが分かったという。福島県内では除染で生じた放射性廃棄物の「減容固化」を合言葉に焼却が推進されているが、岩見さんは「放射性廃棄物は燃やさずに原発周辺で管理し、住民の移住を支援するべきだ」と訴えている。



【バグフィルターでは数割漏れる】

 岩見さんの研究成果は2日、福岡県内で開かれた「廃棄物資源循環学会」で発表された。

 「焼却炉周囲における土壌中放射性セシウム濃度の異常上昇」と題した資料によると、2014年9月から11月にかけて、宮古市の一般廃棄物焼却施設「宮古清掃センター」周囲約9km内の土壌を採取。1カ所につき、地表5㎝の深さで100ml。住宅の庭や山、公園や校庭など、326カ所に及んだ。それらを温室で自然乾燥させた上で100分かけて放射性濃度を測ったという。
 その結果、焼却炉からの距離が1.7km未満の地点の土壌が、1.7km以上の土壌に比べて約2倍、放射性セシウムの濃度が高かった。放射性セシウム134の半減期が約2年であることや、測定されたセシウム134と137の濃度を2011年3月時点に換算すると1:1の比率になることから、岩見さんは「放射性セシウムは福島原発由来である」と判断。他に汚染源が無いことから、これらの土壌汚染が焼却によるものであるとしている。同センターでは、放射性物質に汚染された牧草やほだ木などを燃やしていた。
 さらに、岩手県や宮古市が公表しているデータから、焼却灰に残った放射性セシウム総量を概算。調査で計測された土壌中のセシウム濃度との対比から、焼却によって放射性セシウム134が25%、同137は35%が漏れ出していると結論付けている。環境省は「バグフィルター(ろ過するための布)によって放射性セシウムは99%以上、取り除かれる」と、一貫して放射性廃棄物を燃やしても周辺環境に影響ないとの姿勢だが、岩見さんは「数割は漏れ出しており、バグフィルターの除去能力の見直しが必要」、「一般焼却炉からの放射性セシウム漏出を十分防止できていない」と警鐘を鳴らしている。

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土壌測定の結果から、バグフィルターでは「2-3割の

放射性セシウムが漏れている」と結論づけた岩見さん。

放射性廃棄物の焼却を中止するべきだと訴える


【空間線量でなく土壌測定を】

 盛岡市内で5日に開かれた講演会でも、岩見さんはバグフィルターの除去能力について「ただの布。放射性セシウムを減らすことはできるが、部分的にしか除去できない」、「宮古市や遠野市、鮫川村、島田市でも2/3しか取り除けていない」などと、一般廃棄物の焼却炉にとって〝最後の砦〟とも言えるフィルターへの否定的な見方を示した。宮古市が汚染牧草やほだ木を燃やす方針を固めた際、放射性セシウムが周囲に漏れ出す恐れがあると市長に中止を進言したが、「もう決まったこと」と受け入れられなかったという。
 自身、焼却炉周辺の空間線量によって放射性セシウムの漏出を立証しようとして失敗した経験を持つ。それが今回、土壌測定につながったことから「空間線量より土壌汚染を測るべき」と呼び掛けた。

 質疑応答では、宮城県仙台市内の母親が「焼却炉から1km以内の場所に保育所があり、子どもたちが心配」と不安を口にした。岩見さんは「そうでなくても、仙台は宮古より土壌汚染の濃度が高い。余計な被曝はさけなければいけない」と答えた。「放射性物質と関係なく、アトピー性皮膚炎やぜん息など子どもたちの体調に異変がないか調べてみるといい」とも話したが、焼却炉による周辺土壌の汚染に関して因果関係を確かめるには数百カ所の土壌を調べる必要があり、ハードルは高い。国や行政による調査はなく、岩見さんは「日本の放射能行政は、世界と比べて20年は遅れている。どれだけガラパゴス化しているか」とも指摘した。
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福島県鮫川村でも放射性廃棄物は燃やされた。

環境省は2011年に都道府県に配布した資料で

「バグフィルターの放射性セシウム除去率は99.99%

以上」と説明している


【再現性ない「99%」】

 1981年、岩手県田野畑村に原発建設計画が持ち上がった際、反対運動の先頭に立った岩見ヒサさん(97)を母に持つ。京大で疫学を学び、原発事故後、「福島が心配」と研究を始めた。
 科学者らしく「現実を観察していない、観察させない福島原発はもはや『科学』ではない」、「環境省は99%以上除去できると言っているが、測定方法の科学的根拠も明らかにしておらず再現性もない」などと国の姿勢を批判。さらに、集まった人々には「日本政府は『累積被曝(追加被曝)100mSv以下での発ガン性は不確か』と言っているが、国際的には5~100mSvの線量での発ガン性は明らかだ」、「大人はともかく、子どもは1Bq/kg以下のものを食べさせるのが良いのではないか」と無用の被曝を避けるよう呼びかけた。

 岩見さんは、こんな言葉で講演を締めくくった。

「放射能を漏らす巨大な焼却炉。それは原発と再処理工場だ」


(了)

【53カ月目の福島はいま】中通りで暮らすということ~「被曝?心配ないよ」という人々からあなたへ

未曽有の原発事故から4年余。放射線から遠ざかろうと避難・移住した人もいれば、さまざまな事情や想いから福島にとどまっている人も多い。福島市でも、1万人ほど人口は減ったが、いまだに28万人を超える人々が生活をしている。福島第一原発から60kmの福島県中通り。「危なくない」「不安はない」「元気です」─。あなたは、これらの声をどう読みますか?




【「これが私たちの日常なんです」】

 「取材の方ですか?」

 母親の目は鋭かった。

 福島市・信夫山のふもとに新しく整備された噴水公園。真夏の陽射しが戻って来て、何組かの親子が涼を求めて来ていた。小学生の息子を水浴びさせていた母親から話を聴き終えたところで、別の母親に声を掛けられた。「面白おかしく書かれたくないんです」。
 噴水では、幼い娘が歓声をあげて喜んでいる。気温は30℃超。母親は続けた。「危なくないのに福島市は危険だとか、そういうことを書かないで欲しい。間違った情報が流れている」。汚染の度合いをどうとらえるかは人それぞれだが、現実の危険性を取り上げることと、面白おかしい記事を書くことは明確に異なる。そこだけでも理解して欲しいと伝えると、今度は報道への不満を口にした。

 「友人が地元テレビ局の取材を受けたんです。友人も協力的でかなりしゃべったんだけど結局、放送で使われたのはほんの一部だけ。しかも、放送局の意向に沿った部分を使われたので、友人の言いたいことが全然伝わらなくなってしまったのです。メディアは都合のいい部分しか使わない」
 やや落ち着きを取り戻した母親は、こうも言った。「放射線を気にしている人はとっくに福島県外に避難していますよ。ここで暮らし続ける私たちにとっては、この状況が日常なんです。これが日常になってしまっているんです」。

 本当に言いたかったことはこの点なのだろう。この家族は避難を選ばず福島市内での生活を続けている。空間放射線量は下がり、娘を水着姿で遊ばせている。公園のすぐ横には市内で生じた除染廃棄物の巨大な仮置き場があるが、表示された放射線量は0.2μSv/h。原発事故後に福島市内では20μSv/hが当たり前のように計測されたことを考えると、単純比較で百分の一だ。県外から当事者でない人間が入ってきて「日常」を荒らさないで欲しい─。その気持ちは良く分かる。

 最後に母親は繰り返した。「見たまま、聴いたままをそのまま書いてください」。別の広場では、応援団だという高校生が、上半身裸で腕立て伏せや腹筋運動をしていたが「本当に危険なら国や市が立ち入り禁止にするっす」、「まったく心配していないっす」と話した。広場に設置されたモニタリングポストの数値は0.185μSv/h。広場横の土手では、手元の線量計は0.3μSv/hを超した。噴水公園では、子どもたちの歓声が響いていた。
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(上)福島競馬場裏手を流れる阿武隈川。河川敷の

テニスコートでは、手元に線量計は0.6μSv/hに達した

(中)福島税務署とハローワークの中間に設置された

仮置き場。真横に設置されたモニタリングポストの数値

は0.2μSv/h=福島市下狐塚

(下)高校生が上半身裸で腕立て伏せなどをしていた

駒山公園は0.185μSv/h


【立ち消えになった県外避難】

 東北本線・金谷川駅からほど近い福島大学。

 体育系サークルに所属する1年生の男子に声を掛けると、私の持つ線量計をちらっと見て「放射能ですか?まったく気にしていません」と苦笑交じりに答えた。

 自宅は、キャンパスに近い蓬莱団地。原発事故直後から、市内でも放射線量の高かった地域だ。「事故直後は放射線量が普通に3とか5(μSv/h)あってビビった」と振り返る。「家族で福島県外に避難しようという計画も持ち上がったけど…結局は避難しなかったですね。数値がだんたん下がってきたから」。地元の高校から福島大学へ。「被曝の不安を感じたことは一度もありません」と言い切った。日焼けした顔には笑顔が広がっていた。「だって、あちらこちらにあるモニタリングポストの数値は国の基準値より遥かに低いんですよね? 人がバタバタと倒れているわけでもないし」。手元の線量計は0.15μSv/h前後だった。

 キャンパス内の信陵公園に登ると、震災で損壊し後に修復された「戦没同窓生名記念碑」や「鎮魂・わだつみ像」がある。昨年5月に訪れた際は手元の線量計は0.5μSv/h前後を示していたが、この日は0.22μSv/h。一番高い数値でも0.24μSv/hだった。

 学生食堂では地元産の桃が派手にPRされ、JA福島中央会が作成したパンフレット「福島県農畜産物の安全・安心の取り組み」が置かれていた。放射線から少しでも遠ざかるような呼び掛けや土壌汚染を測定した数値の掲示は無かった。

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(上)福島大学・信陵公園では、手元の線量計は

0.22μSv/h

(中)松川工業団地内の第二公園では0.20μSv/h

(下)松川工業第一公園で彼氏と遊んでいた女子高生

は「私たちはイキイキとしていますよ」と笑った


【「考えたってしょうがないじゃん」】

 高校三年生の女の子(18)は、少し驚いたように、そして少しうつむき加減につぶやいた。「まだ取材に来てくれる人なんていたんですね。ありがとうございます。福島のことなんてもう、忘れられてるのかと思ってた…」

 東北本線・松川駅近くの松川工業第一公園。二本松市内の自宅から、彼氏と遊びに来ていた。「初めの頃は、マスクをしたりして放射能を意識していたけど、高校生になったら考えなくなっちゃった。だって、考えたってしょうがないじゃん」。そう言って屈託のない笑顔を見せると、隣の彼氏も「ニュースで『もう大丈夫』とか言ってたし。浜通りはヤバいかもしれないけど、中通りはね…」とうなずいた。

 「東京の人はアバウトに考え過ぎなんだよ。『福島』というだけで危ないと考えてる。ネットでも散々なことを書かれてるじゃん。あたし、鼻血なんか出したことないよ。こうやってイキイキと遊んでるよ。観光に来たって大丈夫だよ。どんどん来て欲しいよ」

 まだ幼さの残る表情で、女の子は一気に話した。気持ちは分かる。場所によって汚染の度合いは全く異なる。しかし、二本松市内でも二本松駅周辺や市役所周辺など、依然として放射線量の高い場所はあるのも事実だ。「そうだよね…。あの辺は確かに高いよね。でも、考えてもしょうがないし…」。女の子の表情が曇ってしまったのを見て、取材を打ち切った。礼を言うと、彼氏とタワースライダーに向かって飛び跳ねるように走って行った。「あたしたちはイキイキとしてますから」。そう言って笑った。


※ ※ ※


 原子力規制委員会や福島県が公表している今年5月の月間降下物のデータによると、東京都新宿区の2.21に対して福島市方木田では92.0だった(放射性セシウムの合算値。単位はいずれもMBq/㎢)。2月のデータでも、新宿区の2.63に対し、福島市は87.0。1月は1.56に大して184.0だった。同じ月の双葉郡の数値は、それぞれ610、8700、3250だったので双葉郡との比較では福島市の降下物量は少ないが、新宿区よりは多い。会津若松市追手町では、いずれもゼロだった。

(了)

【53カ月目の福島はいま】「自立」突き付けられる飯舘村民。失われた故郷と見えぬ「帰還後の生活」

全村避難中の飯舘村を、村民の案内で廻った。政府は村民に「自立」を促し、村長は再来年の避難指示解除を目指す。だが、取材に応じた村民は、誰もが見通しの立たない「帰還後」に対する不安や苦悩を口にした。賠償金だけでは解決しない村の再興と喪失感からの回復。「福島に何度も足を運んでいる」と公言してはばからない安倍晋三首相は、原発被災者の真の本音にこそ耳を傾けるべきだ。降り続く冷たい雨は、故郷を奪われた村民の涙のようだった。



【「村が無くなっていく…」】

 「昔の、あの頃の村に戻れば最高だけど…。俺が生きている間は前の村には戻れないべ。死んだ後もどうかな…」

 米、インゲンマメ、肉牛と手広く農業を営んできた男性(69)は村内の自宅で高校野球を観ながら寂しそうに語った。ひと月に数回、避難先の伊達市から自宅に戻って来ているが「今年もお盆らしくないお盆だった」と振り返る。孫は9人。かつては夏休みともなれば子や孫が訪ねてきて、花火やバーベキュー、流しそうめんなどで楽しんだものだった。しかし、原発事故から4年が経過しても自宅の雨どい直下は12μSv/h超、村役場から提供された線量計は、室内でも0.6μSv/hを示す。「放射線量が高い状況では呼べないよ。こちらから子どもたちの所を訪ねるしかないから疲れちゃったよ。金も余計に使うしなあ」。

 自然豊かな飯舘村。昼夜の寒暖の差は、トルコキキョウやリンドウなどの花をより美しく咲かせた。「ここでの田舎暮らしが好きだったんだ。でも、今は真っ黒いフレコンバッグばかり…。『2年後に運び出す』という約束だったのに」と男性。汚染されてしまった土地。今後の土地改良で以前のように畑仕事が出来るようになるのか。生産を始めたとして、買ってもらえるのか…。失ったものは「収入減」だけではない。かつては「休みが欲しい」と愚痴もこぼれるほど、一年中忙しかった。それがある意味、生き甲斐でもあった。今は、せめて田畑が荒れないようにと草刈などをする日々。「山の除染は難しい。川も沼もやらない。俺も年も年。後継者もいない。もう一度『売れる野菜』を作れるのか」

 国も村も避難をやめて戻れと言う。いつまでも被災者ではなく自立しろと迫る。「においもしない。浴びても痛いわけでは無い。でも、確実に放射線は存在する。そんな村に若い世代は戻って来ないよ。若い世代が住まなければ、子どもたちの姿もなくなる。俺たちのような年寄りばかりの村でどうやって生活していくのか、見通しも立たないね。『自立』と言うけど、金じゃないんだ。もちろん金は要る。でも、金じゃないんだよなあ…」

 冷たい雨が降り続く中、男性は小さな声で言った。

 「村が無くなっていく…」
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(上)飯舘村の中でも、長泥地区はとりわけ汚染の度

合いが高い。今も立ち入りには許可が必要だ

(中)取材に応じてくれた男性の自宅。雨どい直下で

手元の線量計は12μSv/hを超えた

(下)男性宅の黒板には「プルサーマル」「放射」の文字

が生々しく残っている。「村内放送を受けてさっと書い

たものを消さずに残してあるんだ」と男性


【「必要なのはお金だけじゃない」】

 菅野典雄村長は、再来年の2017年3月までには避難指示が解除されることを目指すと表明している(汚染の度合いがより高く「帰宅困難地域」に指定されている長泥地区は対象外)。村内では除染作業が連日行われ、至る所に無数のフレコンバッグが山積みされているが、それでも放射線量は高い。長泥地区以外も「居住制限区域」や「避難指示解除準備区域」に指定され、立ち入りは自由に出来るものの、宿泊は禁じられている状態だ。
 村内で農家レストランを営んでいた女性(70)=福島市に避難中=は「戻ってどうするの?」と話す。地産地消を掲げ、タラノメやインゲンマメ、ナスなどの食材をその日の朝、収穫して「気まぐれ膳」として振る舞った。村や税務署に働きかけて製造許可を得たどぶろくも人気だった。生き甲斐だった店。生活が一変した4年間の喪失感は、私たちが想像する以上に女性を苦しめた。
 「今は6万円を上限として家賃を補助してもらっているから避難出来ているけれど、避難指示が解除されたらこれも打ち切られるから払えなくなっちゃう。結局、村に戻るしかないわよね。でも、戻ったって今までのように地産地消の店は出来ない。収入は?どうやって生きて行けと言うのよ」

 当初は避難する意思は無かったが、自宅の雨どい直下が50μSv/hを超したと聞いて、村を離れた。ある地区の仮設住宅に入居したいと申し入れたが「わがままは聞けない」と役場の職員に一蹴された。避難する際、取材に来ていた新聞記者に次のような想いを伝えたが、紙面には載らなかったという。「東電の偉い人や政治家に留守番していてもらいたいわ」。その想いは今も変わらない。

 2011年3月15日は、夫の手術が福島県立医大病院で行われるはずだった。原発事故を理由に手術が延期されてしまい、ほどなく夫は旅立った。店も夫も故郷も失った。生き甲斐を見出そうと、古い着物をひな人形などに作り変える活動を避難者たちと始めたが、喪失感から立ち直るには時間がかかった。最近、ようやく元気が出てきたと笑顔で話す。「お盆休みに伊達市内の宿泊施設で9人の孫たちと会ったから今日は元気。財布は疲れたけどね。こうやって話していたら、何だかテンションが上がってきたわ」。

 原発事故がもたらす喪失感。しかし、政治はそこを無視して「最後は金目でしょ?」と札束をちらつかせる。「自立?自立しろと言う前に自立させてくれと言いたいよ。お金は確かに必要だけど、お金だけじゃないもの」。お金ではないものを見出せたとき、当事者でない私たちは原発被災者の本当の苦しみを理解出来るのかもしれない。
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(上)女性は村内で地産地消の「農家レストラン」を経営

していた。その日の朝、収穫した山菜やキノコを「きま

ぐれ膳」として振る舞っていた

(中)避難先の福島市内でどぶろくの製造を続ける女性。

「自立しろ?そういうことは自立させてから言ってよ」

(下)蕨平地区では減容固化施設が建設中。除染で生じ

た放射性廃棄物を燃やす計画に反対する立て看板も設

置されていた


【村民の想いとかい離した〝復興事業〟】

 村民の想いをよそに、飯舘村では「復興」に向けた取り組みが進んでいる。

 7月31日には、セブンイレブンが「復興庁や福島県、村の要請に基づき」(同社)開店した。今のところ、除染作業員の利用が多いという。田村市都路地区にも、帰還のシンボルとしてファミリーマートがオープンした。飯舘村でも村民帰還への地ならしが始まっている。

 一方、蕨平地区では環境省による仮設焼却炉の建設が進む。完成すれば、村内で生じた除染廃棄物だけでなく、周辺5市町(福島、南相馬、伊達、国見、川俣)の廃棄物も燃やす。環境省によると、焼却炉の処理能力は1日240㌧。「福島復興のためには、大量の除染ごみ等の速やかな処理が必要」、「村民の帰還に向けて生活環境を改善し、福島県の復興に貢献するため」と環境省はPRする。燃やすことで放射性廃棄物が減り、排ガス中の放射性セシウムは「バグフィルターでほぼ完全に除去します」と強調する。しかし、鮫川村で稼働中の仮設焼却炉に関しては、放射性セシウムがバグフィルターでも53-78%しか除去出来ていないとの論文がある(2014年12月1日号参照)。村民のため、とうたう焼却炉が村民に二次的な被曝を強いる可能性があるとして、村内には建設に反対する立て看板も設置されている。
 村役場前の地蔵。頭をなでると、村民歌が流れてきた。

 「土よく肥えて、人情けある/その名も飯舘、わがふるさとよ/実りの稲田に、陽は照りはえて/続く阿武隈、山幸歌う」

 福島県立相馬農業高校飯舘校。モニタリングポストの数値は2μSv/hを超えていた。原発事故がどれだけ美しい自然を破壊するか、人々に喪失感をもたらすか。飯舘村の現状から学び、反省するべきことはあまりにも多い。


(了)

土地の無断使用で村民に訴えられた鮫川村長~棚倉警察署が村長選挙を前に告訴状受理

福島県鮫川村で稼働中の仮設焼却炉を巡り、地権者である村民が大楽勝弘村長を不動産侵奪罪で訴えていた問題で、福島県警棚倉警察署は9日、告訴状を正式に受理した。原発事故に伴う除染で生じた汚染廃棄物を燃やすための同焼却炉設置に関してはこれまで、環境省や同村による強引で違法な手法が次々と明らかになっているが、現職村長が刑事告訴される事態に発展した。大楽村長は来月、無投票での四選が有力視されているが、訴えた地権者は「村長はやりたい放題」と警察の捜査に期待を寄せる。



【存在しない土地貸借契約書】

 大楽村長を訴えているのは、仮設焼却炉が設置された農地の共有地権者の一人、堀川宗則さん(59)。

 この日受理された告訴状で堀川さんは、鮫川村が2012年5月25日から8月31日にかけて、農事組合法人「青生野協業和牛組合」が管理する農地の中に除染で生じた土壌を埋めるための搬入路を建設。その際、18人いる共有地権者の誰とも土地の賃貸契約書を交わしていなかったとして、刑法235条に定められた「不動産侵奪罪」に当たると主張している。仮設焼却炉は今も放射性物質に汚染された廃棄物を燃やし続けており、搬入路も使用が続いている。

 2014年9月、村役場が共有地権者らと交わしたはずの土地貸借契約書について情報開示を求めたところ、「契約書を交わしていないため開示できない」旨の回答が村役場からあったという。そのため、堀川さんは搬入路建設が開始された2012年5月25日の時点で不動産侵奪罪が成立していると判断。村の最高責任者である大楽村長が「契約書を交わしていないことを知りながら、搬入路建設工事を主体的に主導した」と処罰を求めている。

 堀川さんの代理人を務める坂本博之弁護士によると、昨年10月に告訴状を郵送。同12月に改めて持参して提出していた。今年6月に入り、棚倉警察署が「告訴状を受理することになった」と伝えてきたという。今後、堀川さんの調書が作成された後、大楽村長の事情聴取が行われる見通しだ。
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記者会見で「大楽村長はやりたい放題」と語った

堀川宗則さん(中央)=白河市役所


【「大楽村長はやりたい放題」】

 白河市役所内の記者クラブで会見した堀川さんは「大楽村長はやりたい放題だ」と怒りを口にした。当初から共有農地内への仮設焼却炉設置には反対していたが「村から相談も何も無かった。全然分からないうちに話が進んでしまっていた」と振り返る。大楽村長に対しては「任期を重ねるうちに、村会議員を自分の子分のように扱うようになった。議員の側も、村長に逆らえば次の選挙で落とされてしまう。こんな状態が続けば村が崩壊してしまう。村が少しでも変われば、問題提起をした意味があると思う」と話す。

 坂本弁護士も「非常にずさんな土地の占有だ」と大楽村長を批判。「環境省のための露払いをした」、「太鼓持ちのような動きをした」、「国の事業のお先棒かつぎ」などと厳しい表現を繰り返した。「今日は告訴状が受理されたというだけで、不起訴になる可能性も十分にある。棚倉署は厳正に捜査を進めて欲しい。警察のあり方が問われる」と、しがらみにとらわれない捜査を求めた。

 大楽村長は2003年8月に無投票で初当選。2007年、2011年の村長選挙も対立候補がなく、全て無投票で当選を果たしてきた。8月23に予定されている村長選挙にも出馬を表明しているが、今のところ他に立候補予定者は無し。無投票での四選が有力視されている。坂本弁護士は「四選を果たしたとしても、起訴されれば辞職せざるを得ない事態もあり得るだろう」と語る。
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支援団体が作成したチラシ。新聞折り込みで村民に

配られた


【強引・違法な手続きで焼却開始】

 2013年8月20日から鮫川村で稼働中の仮設焼却炉を巡っては、操業の差し止めを求める仮処分を堀川さんが2014年7月に申し立てた。環境省を相手取った審尋は6月24日に結審している。その過程で、他人が堀川さんになりすまして署名・押印した偽造同意書の存在が発覚。契約書なき搬入路建設の問題と共に、仮設焼却炉稼働を急いだ環境省や村の強引で違法な手法が次々と表面化している。

 操業開始後、間もなくに発生した爆発事故に関しても、地元消防が報告書で「爆発」と明記しているにも関わらず、環境省はいまだに「破損事故」として爆発であるとは認めていない。そもそも、バグフィルターでは焼却による放射性セシウムの拡散を防げないとの研究論文もある。除染によって生じた汚染廃棄物の減容を目的とした仮設焼却炉が福島県内で建設・稼働しているが、第一号である鮫川村の仮設焼却炉には、隠蔽体質や違法性を示す事例に事欠かない状態なのだ。

 現職村長が刑事告訴されたことを受け、鮫川村の地域整備課長は電話取材に対し「今年4月に定年退職した前任者から何も引き継いでおらず、何も分からない。上(大楽村長)からの指示も無い」と答えた。

(了)