ラミーの日記 -4ページ目

四十九日法要

昨日2月11日は、母の四十九日の法要でした。

ちゃんと数えていくと2月20日になるのですが、弟たちと相談して連休に行うことにしました。

 

 

毎週作ってきたお膳も最後です。

お寺で法事をするので、持ち運べるようにお弁当にします。

・ご飯

・里芋と厚揚げの炊いたん

・菜の花の酢味噌和え

・きんぴらごぼう

・白菜漬けと梅干

これに、白玉団子を二つ添えました。

 

岡山ローカルなのか、四十九日にお餅を用意する風習があるのですよ。

父のときは一升のもち米から49個のお餅を作り、そのうちの一つは庭先に投げ、数個をお墓まで持って行きました。

さすがに餅はつけないのですが、倉敷に住む知人が「うちは白玉粉で作った」と言っていたので、そのようにしてみました。

 

 

納骨のとき、母の遺した「法事メモ」によると…

メガネなどは一緒に入れてもいいと書いてありました。

 

メガネもいいかなと思ったのですが、母の部屋を整理している時に、結構大事に取ってあった感じの婚約指輪と結婚指輪が出てきました。

結婚指輪の内側には、イニシャルと結婚記念日が刻印されていました。

先に行っている父にちゃんと会えるように、これを一緒に入れることにしました。

黒いのは、10年くらい前に伊勢志摩のお土産に買って帰った黒真珠のチョーカーのトップです。

けっこう気に入ってつけてくれていました。

チョーカーは大きいので、黒真珠の部分だけを外して入れました。

 

 

マンションエレベーターで、骨壺を持って降りるのもなあ…と思い、洗濯カゴに入ってもらちゃった笑。

母の名前と女紋を染め抜いた風呂敷で覆って、助手席にセット。

二人きりの最後のドライブです。

骨壺が、けっこうカタカタ鳴るんですよ。

なんか隣で喋っているような気がして、ちょっと嬉しい気分になったりしました。

 

 

供花は前日に、表町にある花屋さんで八重咲の白ユリにしました。

年末に一緒にお花を買いに行ったときにこの百合を見て、「きれいやなあ!」って話していたのです。

年末のお父さんの命日に供えようか~って話していたんですよ。

まさか自分が供えられる側になるとは、思ってもいなかったんじゃないかなあ。

それとも、母なりにリクエストをしていたんでしょうかね。

 

 

法要と納骨は、無事に終わりました。

父のときの納骨式のことを、私も弟もほとんど覚えていなくて。

石屋さんが入り口を開けてくれたのですが、

「え!あそこが開くんか!」とびっくりしました。

 

開いた先には、20年前に納めた父の骨壺とメガネケースがありました。

20年の間そこにいた父の骨壺を見たら、なんかこう、胸に迫るものがありました。

一人で待っていたんだなあ。

やっとお母さんと一緒になったなあ。

でもちょっと呼ぶのが早かったんちゃうの。

 

意外だったのが、父の骨壺の方が小さかったのです。

母のときに、サイズを訪ねられたんですね。

岡山の一般的サイズでいいです・といったんですが…

母のは6寸、父のはおそらく5寸だろうと、今日祭壇を片付けに来てくれた方が教えてくれました。

関東は全部入れるので大きな骨壺が多いのだそうです。

それに比べて関西は小さいので、赤穂でお式をしたなら関西サイズだったかもしれないですね・と。

岡山は、それよりちょっと大きいのだそうです。

 

 

 

そして、今日。

先ほど書いたように、祭壇を片付けに来ていただきました。

 

 

 

ダイニングテーブルセットは、ちょっと片付けました。

向かい合う席に誰もいないのは、なんだかちょっと寂しいので。

あと、このソファ位置の方だと仏壇と向かい合えるのです。

母のお位牌は、父のものとバランスが取れるようなものを選びました。

(我が家はコンパクトなモダン仏壇なので、お位牌もモダンタイプです)

あと、母の部屋を私が使おうかな…と思っているので、ざっくりと片付けました。

母の部屋に出入りしないでいると、どうしても空気がこもった感じになるのです。

日当たりもいいし、リビングの隣で使いやすいし暖かいので、これを機に使ってもイイかな~と。

いまのマンション入居時から母との同居を視野に入れていたので、ずーっと北側の部屋で寝起きしていたのですよ。

まだまだ物の整理はつきませんけれども、まあ、そっちはぼちぼちやっていこうかなと。

 

 

 

四十九日の法要と納骨が終わって、ひと段落ついた・と言えばそうです。

でも…

なんかこう、「ひとり」を突き付けられる気がしてなんとも落ち着きません。

まさに「日にち薬」でやっていくしかないんでしょうね。

 

 

 

初めての「月命日」でした

とても長い長い長い1月がやっと終わりました。

 

毎日毎日、

 先月の今はまだ家に居たのに

 先月の今は一緒に買い物に行ったのに

 先月の今日、転んだんよな

 先月の今日、手術が終わって話をしたのが最期になった

…そんなことばかり考えていました。

 

 

そして先日の節分の日が、初めての「月命日」というやつでした。

その日は母の妹になる叔母が訪ねてくれました。

私は母を亡くしましたが、叔母も姉を亡くしているんですよね…

三人姉妹で一人残った叔母の気持ちを思うと、私とは違う悲しみとか寂しさがあるだろうなと思います。

 

 

来週の連休中に四十九日の法要と納骨をするので、母が家に居るのもあとわずかです。

なのでその間に一度家に来てほしいと、弟たちに話してみました。

二人とも1回は行かなあかんなと思ってたと、それぞれ来てくれました。

 

母の部屋は年末に入院した時のままです。

多少、洗濯物をたたむとか…大事な書類を探すとかしましたけどね。

なので、どんなふうに毎日を過ごしていたのか、何をしていたのかやどんなものを身の回りに置いていたのかを、片付ける前に知ってほしいなと思ったのです。

母のものだけではなく、昔の写真なども見ながらいろいろと話をしました。

 

二人には二人の辛さがあると思うのですが、どちらもが

「一緒に暮らしていたお姉ちゃんが、一番きついと思うから気にしとんやで」と言ってくれました。

仕事をしている時はそうでもないけど、家に帰るときに車から見えるマンションの窓が真っ暗なのが辛いんやと話したりしていました。

 

 

 

そんなこんなの今日は日曜日なので、お膳を作りました。

四十九日のお膳はお弁当パックに詰めていくので、こういう形でのお膳は今日が最後になります。

だからいつも以上に頑張りました。

 ごはん

 じゃがいもとわかめの味噌汁

 大根と厚揚げの煮物

 オクラのお浸し

 白菜漬け

 

 

 

お膳を作っているとお花が届きました。

叔母からのプリザーブドフラワーなどもあるので、とても賑やかな祭壇周りになりました。

 
 
お供えは果物だと食べるのが追いつかず、どうしても傷んでしまうので…
和菓子にしました。
 
でもそのまま置くとマルコが包装プラを食べてしまうので…
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こんなスタイル↑↑(笑)

 

「つまらんでちよ!」

プラ包装が無ければ、悪さしないイイ子なんですけどね。

 

 

お供え果物は主にリンゴなのですが、温かい部屋なのでどうしても萎びてしまうのでジャムにしました。

 

たくさんできたので、一つは叔母におすそ分け。

(でも、今日もさらに炊いたんやけどな…)

(ジャムまみれになるわ…)
 

とてもいい感じに炊けました。

 

 
 
ひと月が経って、ちょっとずつ「ひとり」の生活のペースをつかみつつあります。
母と毎日見ていた、富士山、そして草津温泉や草津白根山のライブカメラも毎日見ています。
先日は朝焼けがとてもきれいでした。

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こういうのを見て、わーすごい!という相手が居ない状況って、考えたことなかったな…

同居する前はそういうことは普通だったはずなんだけどねえ。

 

そして、今日はマルコと話す(というか、独り言)だけで、人と会話していないことに気づきました(汗)。

 

そういう日があると、忙しいとかいろいろあるけれども、仕事に行って誰かと会話できるというのはええことやなあ…と思いますね。

 

 

 

来週はいよいよ四十九日法要と納骨です。
ゆーても一つの区切りですし、葬儀以来みんなが揃うのは少しだけほっとします。

 

 

 


 

近況報告 その二

タイトルが思いつかない(笑)。

なのでそのまんま「近況報告」です。

 

 

毎週日曜日に母のお膳を作ることにしています。

今日(1/28)に作ったのは

・白御飯

・豆腐と大根の味噌汁
・里芋の煮つけ

・キュウリの酢の物

・白花豆

 

里芋を、形が崩れる寸前くらいまで柔らかく炊いたのが好きだったので、けっこうしっかり火を通しました。

 

 

 

これは1/25の様子。

友達からいただいたお花が華やかです。

ほんのひと月の12/25に、リビングで転んだんですよ。

まだ入院してからひと月ですよ。

リハビリをする気満々だったのに。

やりたいことや行きたい場所があったはずなのに。

 

数週間で、こんなものがリビングにあるなんて思いもしませんでした。

 

 

 

 

 

この祭壇は、仏具屋さんからのレンタルです。

いろいろ頼むと無料で貸し出してくれるのでありがたいです。

ちなみに…お位牌と墓標の文字彫と、納骨時の墓石の開閉(?)をお願いしています。
 

その祭壇に果物=りんごをお供えしているのですが、温かい場所にあるので萎びてきまして…

どーしたもんかと考えて、リンゴジャムにすることにしました。

 

いまの時期のリンゴは大きいので、4つ分ともなると結構な量のジャムになります。

 

 

とても美味しく炊けました。

保存瓶3個分になったので、一つを叔母におすそ分けしてきました。

 

 

 

 

母とよく見ていた長野のYouTuberさんがハルニレテラスに行っていました。

ハルニレテラスは、母がとても好きなところです。

桜ちゃんとも行きましたし、昨年6月にも行きました。

沢村ベーカリーのパンが大好きだから、めっちゃたくさん買って帰ったなあ。

6月だけどとても寒くて、温かいカフェオレをテイクアウトしたら、とても美味しかったです。

 

 

母の好きなチャンネルに、草津温泉ライブカメラがあります。

毎日数回見に行っては、観光客が多いなあとか、今日は寒そうやとか話していました。

雪の湯畑は見ないで逝っちゃったので、こんな景色を見たらびっくりすると思います。

 

 

もうひとつ、河口湖のライブカメラも好きなので毎日チェックしていましたね。

「来年(2024年)も富士山の見えるところに行こうか」って話をしていました。

 

 

毎日、何かのきっかけでメソメソしています。

それでも仕事に行っている時は考えることがほとんどありませんし、幸い眠れないということもないんですよね。

一日が終わったら、なんかもう疲労困憊という感じで…

ベッドに入ったらあっという間に意識を失っています(笑)。

 

辛いのは、朝起きたとき。

ああ今日も母の居ない一日が始まるのかと思うと、現実に戻される感じがするのです。

目覚め自体は良いんですけどね~。

 

 

でも、マルコがそこそこ元気に過ごしてくれているのは本当に安心です。

先日の定期通院では、100g体重が増えていました。

寒さのせいか、ときどきフードを吐き戻していますが、基本的には食欲もあって元気です。

 

 

そうそう。

昨日、お位牌が出来上がったと連絡があったので受け取りに行きました。

とてもやさしい雰囲気の、可愛いお位牌になりました。

寂しい気持ちと、こうやって一つずつ「やることリスト」が消し込まれていく安ど感?達成感?とが同時進行なので、何とも言えない複雑な気持ちで過ごしています。

 

 

 

 

近況報告

久しぶりにブログを更新してみようかなという気持ちになりました。

母逝去の報告時には、いろいろとお気遣いをいただきましてありがとうございました。

 

 

 

毎日毎日、もしかしたらまだ入院しているだけなんじゃないのかな?と錯覚しそうになりながら過ごしています。

 

 

先週火曜(1月16日)から、忌引き休暇明けで仕事に復帰しました。

あまりの突然のことだった驚きは職場の皆さんも同様で…

温かく迎えてくださったこと、お休みの間のフォローをしてくださっていたことが、本当にうれしかったです。

 

 

とはいえ、まだまだ日常生活を手探りで過ごしているという感じです。

帰宅して一人でテレビを見ている時に、突然大声で泣きだしたりして、情緒不安定な状態はまだまだ続いています。

 

 

それでも、やらないといけないことはたくさんあります。

 

まずは、いわゆる「法事」関係。

我が家は真言宗なので、祭壇を立ててお膳をお供えしています。

これは初七日のときのもの。

・ごはん

・豆腐とわかめの味噌汁

・かぼちゃ、干しシイタケ、人参、いんげんの煮物

・ほうれんそうのお浸し

・金時豆(市販品)

 

 

父のときは毎日だったか…

逮夜の都度だったのか…ちょっと覚えていないのですが…どうしてたっけ。

 

 

母の逮夜は毎週月曜日なのですが、仕事の前後にお膳を作るのは大変。

なので毎週日曜日にお膳を作ることにしました。

それ以外の日は、お茶と炊き立てのご飯だけで勘弁してもらうことに。

 

 

これは先週、二七日のときのもの。

・ごはん

・キャベツと豆腐の味噌汁

・ごぼう、人参、干しシイタケの煮物

・いんげんの胡麻和え

・金時豆

 

 

あと、灯明とお線香もパス。

一人暮らしの集合住宅での火気は怖すぎますので…

(某目白御殿も、それで焼けたしね)

 

 

二七日のときはちょうど鏡開きだったので、ぜんざいも作りました。

いつもは味見係だったので、自分で炊いたのは初めて。

小豆がちょっと堅かったんですが、美味しく炊けました。

もちろん母にもお供えしました。

…父にも(笑)。

 

 

この日は、初詣に行った大三島で買ったレモンで、マーマレードも作りました。

毎年初詣で買ったレモンでつくるのを楽しみにしていた母。

もちろん今年も楽しみにしていて、炊いたら病院に差し入れしようと思っていたのです。

炊く前に逝ってしまった。

 

2日に買ったレモンなので萎びていないか心配でしたが、問題なく使えました。

 

 

 

 

初詣といえば…

「まどんな」と「はれひめ」もたくさん買って、母に差し入れていました。

2日に差し入れたのですが3日に亡くなったので、食べる前だったみたい。

病院から持ち帰ってちょっとずつ食べていましたが、これが最後。

ちょっと萎びていましたが、美味しかったです。

母に食べてもらおうと思って買ったのにね。

食べずに逝っちゃうかね。

 

 

 

そしてこちらが、今週のお膳。

(角度…w)

・ごはん

・豆腐と揚げとわかめの味噌汁

・大根の煮物に、彩りで人参とインゲン

・青梗菜のお浸し

・白花豆(市販品)

 

 

 

さて、マルコの近況です。

鏡開きのときに、みかんの置物を載せられていました(笑)。

 

 

マルコは、ぼちぼち元気です。

ちょっと体重が減って、いま3.6キロ…

腎療法食のちゅーるを食べてもらって、なんとか戻るようにしたいですね。

 

 

 

さて「手続き」関係のやらないといけないこと…

 

ほかの自治体にもあるのだと思いますが、岡山市には「お悔み窓口」という相談窓口があります。

葬儀社でそのチラシを貰ったので、事前に予約をしておきました。

各区役所にあり、居住の区でなくても利便性の良いところで手続きができます。

区役所に出向き必要な手続きや窓口の一覧を準備してくれますが、その前にも電話で「当日持ってきてほしいもの」を知らせてくれました。

なかなか分かりづらいし馴染みのない手続きですが、ここで一通り教えてもらえるのは本当に助かりました。

 

 

あとは…

戸籍謄本を取りに赤穂まで行ったりしていましたね。

私の本籍地は、生まれ育った赤穂のままにしています。

戸籍の筆頭が亡き父なので、もし移したらそれが消えちゃうからそのままにしておこうか~と、数年前に母と話していました。

 

取りに行ったときは母の死亡届の処理中で、私の謄本も止まって取れなかったので、後日郵送してもらうことにしました。

それが先日届きましたので、もろもろ手続きを進めることができました。

 

戸籍謄本を見ると、父と母の長女なんだなあ…と改めて実感しましたね。

今回分かったのですが、赤穂市はマイナンバーカードによる遠隔地からの、コンビニなどでの戸籍謄本取得のサービス対象外なのですよ。

お隣の相生や上郡はできるのに!!!

 

でもまあ…

戸籍謄本が必要な場面なんてそうそうないだろうから、そのままにしておくことにしました。

私に何かあって謄本を…となったら弟がとることになると思いますが、そうなると岡山でも遠いことには変わりないですもんね。

 

 

 

そんな感じで、日々を過ごしています。

 

 

 

 

ご報告

今日のブログは、あまり良いお話ではありませんし、とても長いです。

あくまでも「記録」に近いので、ご容赦ください。

 

 

 

1月3日に、母が急逝しました。77歳でした。

 

 

12月25日に自宅で転倒。

電話があったので慌てて帰宅すると、倒れて動けなくなった母が居ました。幸いスマホが届く位置にあり、電話を掛けられたそうです。

痛い痛いというので動かせないため、救急車を要請。

おそらく大腿骨を骨折しているだろうということで、搬送が決まりました。

 

母は血液をサラサラにする薬を飲んでいるのですぐに手術が出来ず、よく26日の手術になりました。

手術はうまくいきまして、経過も順調でした。

本人もリハビリには意欲的でした。

 

入院した病院は一切面会することができず、術後に手術室の前室で「よう頑張ったなあ」「うん、ごめんな、ありがとな」と数分話したのが、最後の会話になりました。

 

会えないけれども荷物はほぼ毎日持って行っていました。

受け渡すときに看護師さんに「今日はこれを渡してって言われました」とか「今日は何もないそうです」と聞いて帰る…という感じですね。

 

そんな感じの年越しをし、2日にはいつもの大山祇神社に一人で初詣をし、帰りに買ったみかんを持って行きました。その時も看護師さんに「特に今日はないそうです」と言われたので、そのまま帰宅。

でもいまはLINEがあるので、ちょこちょこ話をしていました。

ニューイヤー駅伝のこととか。

はじめて炊いた、真子の煮つけを差し入れたら、上手にできたなあとか。

 

そして3日。

朝からなかなかLINEの既読がつかないので、おかしいなあ…と思いつつも、確かめようがないのでお昼ご飯を食べていると、病院から電話がありました。

「心臓が停止しているので、すぐ来てください。どのくらいで来れますか」

 

なに言ってんだこいつ、と思いましたよ。

でもこれは大変だと思い、すぐタクシーを呼びました。

足が震えて運転どころではないと思ったからです。

すぐ弟たちにも電話をしましたが、さすがに心臓停止とはいえず…「意識が無いらしいよ」という言い方になりました。

 

病院に着くと、もうかなりダメな状態でした。

一度は心拍が戻りかけたそうですが再び落ちてしまい、このまま何度も蘇生をしても、もう難しいでしょうとのことでした。

これ以上やったらご本人の体を傷つけると言われたので、「もう止めてもらっていいです」と、私が言わなければなりませんでした。

 

それでも最後に、母の心拍がかろうじてあるうちに、そばに行かせてもらえました。

「あんた、リハビリ頑張るって言うたやん」「なにしとんや」

という、叱責が最期の言葉になっちゃった。

 

その後は、最後に引き取るまでの間、ずーっと病室に居させてもらえました。

弟たちも到着し、三人で何とも言えない時間を過ごしました。

 

朝から熱が高かったので、感染症の可能性もあるためCTを撮りに行ったそうです。

戻ってからも特に熱以外は問題なく、看護師さんと会話もしていたそうです。

その1時間半ほど後に巡回に行くと、すでに心拍が低下していたそうです。

 

その日は休日ということで内科の専門医はいないが、急変の原因を調べるためにも、CTを撮っていいかと聞かれたのでぜひそうしてくれと言いました。

CT写真が3年ほど前に撮影したものが残っていたので、それと当日の朝、そして亡くなってから撮影したものを比べて説明を受けました。

 

おそらくこの3年の間に、副腎あたりに腫瘤か血腫のようなものができていたようです。

それが死後の写真では出血した後がありました。

血液サラサラ薬を飲んでいるので、そりゃ、止まりませんよね…

おそらく死因は「失血性ショック」ということでした。

 

さらに詳しく調べることができるので、もしよければ病理解剖を…と言われ、やってもらう気でいたのですが、もうその時に16時半ごろだったし、休日ということで翌日の解剖になると言われたんですね。

さすがにそんなに長い時間、一人で霊安室には置いておけないよね…ということで、もう連れて帰ろうということにしました。

 

取り乱している自分がいる一方で、めちゃくちゃ冷静な自分もいて。

弟たちが到着するまでに葬儀社の目星をつけ、連絡し、およその引き取り時間まで手配してた私って、えらいよね。

 

 

…と、こんな感じで。

まさに「急逝」としか言いようのない状態で、いってしまいました。

 

連れて帰ると言ってもマンションなので、自宅には入れません。管理人さんが居ればストレッチャーが入れますけど、休日だし…

そう言うと葬儀社の方が「寄り道はできますよ」と言ってくださいました。

そこでマンション駐車場を一周していただきました。

そのときに5分ほど待ってもらってマルコを連れて降り、会わせることができました。

いい方に担当してもらえてよかったなあと思いました。

 

その日はひとまず控室的なところに母を寝かせたので、私はそこで一緒に寝ました。

(弟たちは準備があるのでいったん帰宅)

故人のお茶碗とお箸、あと着せたい服などを取りに戻ったり…

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お箸は高崎だるまのついたものを愛用していました。

 

夜中に寒かったので、羽毛布団を取りに帰ったり…ほとんど眠れなかったけれども時々うとうとして、朝を迎えました。

本番(?)のお通夜では仮眠用のお布団が借りられるんですけど…

あくまで控室なので、座布団をつなげての仮眠でしたが、母と一緒に眠れて本当に良かったです。

ずっと、病院で「帰りたい」「松の内には帰りたかった」って言ってからなあ。

 

その後、お通夜の前にきれいに整えて、お気に入りの服に着替えた姿は、ただ寝ているだけみたいでしたね。

まだそこまでお婆さんじゃなかったし(笑)、病みやつれていたわけでもないし。

きっと本人も、まだ生きているつもりかもしれません。

 

お通夜と葬儀は、ごくごく内輪でおこないました。

それぞれの勤め先からの弔電や供花などもお断りしました。

でも、とてもいい雰囲気で送り出せたと思います。

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母と行ったディズニーランドの、ミニーちゃんブランケットを着せてやりました。

あとは愛用の竹の靴ベラと、私が初詣でもらった病気平癒のお守り。枕元に置いてあったので。

 

 

 

そして、本日1月9日が初七日の法要でした。

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毎日は作れんけど、節目だから頑張りました。

 

 

いま母のいる祭壇は、テレビの向かい側…

ソファの定位置と同じところです。

(祭壇を置くためにソファは移動させた)

いつもと同じようにテレビを見、YouTubeを見ているような感じです。

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亡くなる前に1週間ほど入院していたこともあるので、なんだかまだ入院しているだけのような気がしています。

だから実感がわかないというか、理解が追いつかないというか。

いまはまだ、手続きとか法事とか、やらないといけないことが山積みだからそう思うだけでしょうね。

どこかで、緊張の糸が切れるんでしょうねえ…こわ!

 

 

 

以上、ご報告でした。

共通のブロ友さんも多かったですし、私のブログで母のことをなんとなく親しんでくださった方も多かったと思います。

母の生前には、本当にお世話になりました。

このような形でのご報告となりましたことを、お許しください。

 

母と行った弾丸旅行や三桁酷道の旅は、本当に楽しかったです。

 

 

 

そうそう、マルコは元気です。

急変した時から今まで、よく頑張って留守番をしてくれました。

葬儀場が比較的家から近かったので、1日に2度ほど様子を見に帰ることもできましたしね。

 

 

それでは、ブログは…ちょっとお休みするかもしれませんし、突然再開するかもしれませんが、温かく見守ってやっていただけると嬉しいです。