人は誰かを愛します。そして誰かに愛されたいと願います。

愛は恋とは違います。

恋という字は、亦に心がついています。
この恋という字は旧字では、戀という文字を書きます。
糸の間に音があることから、糸が絡んでもつれる様に音が出ない
その下に心がくるので、「心が乱れる」という意味があります。

愛と言う字は、由来が沢山あります。
元になる文字は「旡+心」。
旡はいっぱいであるという意味があり、心が一杯になるという意味だという説。

もう一つは、古代文字が「髪が後ろに引かれ、心に蓋があり足に棒が絡まって歩けない様子」
を組み合わせています。
つまり、心が思うように動けない状態=切ない感じです。

恋は自分を見失ってしまう意味合いがありますね。
愛は自分の心が思うようにいかない切なさですね。

これは恋や愛の様子を漢字にしたから。
では本来の「愛」ってなんでしょう?

愛と一言でいっても、男女の愛、親子の愛、人間愛、
動物への愛、信仰の愛と様々です。

その時々で表現方法は大きくかわります。

男女の愛は互いを求め、親子の愛は無条件に注がれ、他者への愛は信頼を生み、
動物への愛は慈しみの心を持ち、信仰の愛は奉仕する心を育てます。


どれが本物の愛か解りますか?



Crystal breath

          青いバラの花言葉は「神の祝福」だそうですよ

Crystal breath-ぶるーはーと



西洋では、愛を表す言葉の一つに「Agape(アガペー)」という言葉があります。
これはギリシア語で「無償の愛・無限の愛」という意味です。
古代ギリシアでは「真の愛」という意味でした。
また、キリスト教で人間に対する神の愛を表す言葉でもあります。

真の愛・神の愛ってどういうものか。
それは、世界中の言葉を使っても説明出来ないのが本当の所です。

敢えて言葉を使うなら、聖書にこういう記述があります。

愛は寛容にして慈愛であり。
愛は妬まず、愛は誇らず、驕(おご)らず、非礼を行わず、
己の利を求めず、憤らず、人の悪を想わず。


『新約聖書』-コリント十三章四節


私達が普段よく考える「愛」とは少々違うような気がしませんか?

人間が望む愛は、自分の満たされたいという思いや相手への欲求が出てきます。
だから自分が満たされていなければ不満になりますね。
そこで自分との葛藤や、相手との不和が起ることもあります。
これって、「己の利」を求めていますよね。


神は人間が行う全ての罪を赦しています。
それが証拠に、殺人を犯した人ですら生かされています。
罪人だ死刑だとするのは、人間が生きていく上で作ったルール(法律)を当てはめているだけです。
でも、神はそれすらも赦しています。
人には到底できませんよね。


神の愛は私達人間が考える以上に大きく、寛大なのです。

だから、世界中の言葉を使っても上手く説明できないのです。



ドキドキあなたのハートに愛と光をドキドキ