こんにちは、迦楼羅です。
承認欲求が強くて自己犠牲な人って沢山いるよね。
わたしも昔は承認欲求がめちゃくちゃあったから
今思えば自己犠牲の塊だったのだけど。
認められたいから、自分を犠牲にする。
時間やお金や体力を捧げて、認めて貰おうとする。
これ、本人はいいよ。
やりたくてやってるから。
自分が気づくまでやればいい。
気が付かないうちは体壊してもやり続けるし。
そこにいていいと思う。(私もそうだった)
でも自分がそこから抜けたら、
見える世界変わるよね。
承認欲求から自己犠牲してるとさ、
他の人以上に何かをやるでしょ。
認められたいから必死になる(たいして認められないけど)。
これ、仕事でもパートナーシップでも交友関係でも
全部そうだと思うけど、
それが基準値になってくるよね。
仕事でこれくらい出来て当たり前、
女性ならこうして当たり前、
友達としてこれくらいするの当たり前、みたいな。
自己犠牲の人に関わった人は
「ふ~ん、そこまで出来るのか」程度にしか見てないから
他の人もそれくらい出来るもんだと思ってしまう。
自己犠牲の頑張りすぎが
社会の基準になってると思う。
自己犠牲の頑張りすぎって、迷惑だよ。
みんなが苦しくなる根源バラまいてる。
でね、今コロナのお陰で
自分のペース取り戻しつつある人増えて
苦しみからやっと抜け出せるし、
あれ?そんなことしなくても回ってたんじゃない?
ってみんな気づきだしたんだと思う。
日本って、武家社会長かったから
「お家の為に命を懸けて」精神が男性性に沁みついてて
自己犠牲になりやすいのは解る。
でもそれ、もう時代も違うし
自分が自分らしく生きるのに
社会の意識の基準が、自己犠牲してる人ベースだったら
はた迷惑な話だよ。
あなたのペースはあなたのペース。
あなたの手法はあなたの手法。
各々違うものが調和していくから、
仕事もパートナーシップも交友関係も
楽しさや責任感や喜びが生まれるんじゃないのかな。
もう誰かの自己犠牲に巻き込まれるの
やめる世界にしていこう☆
迦楼羅