今回の話題はこのブログのテーマからは逸脱するお話です。
シネレンズもクラシックレンズも出てきません。
カメラの世界に限らず、インダストリアルデザインはパイオニアのデザインがそのまま王道として残ることが多い。最近の例で言えばサイクロン掃除機はどれもどことなくダイソンに似ている。
カメラの歴史もまさにそんな感じである。
バルナックライカ以降のカメラはいずれもライカのようである。しかしレンジファインダーカメラのマスターピースといえばなんといってもM3であろう。
http://foohayato.blog41.fc2.com/blog-category-12
よりいただきました。
M3以降のレンジファインダーはほとんどといっていいほどM3の形を取り入れている。元祖であり究極とも言えるカメラである。
では一眼レフのマスターピースは?と考えたときに真っ先に浮かぶのがニコンFである。
東京オリンピックや明治チョコレートのデザインで有名な亀倉雄策氏デザインのスタイリッシュで無駄のないフォルムは我々が思い浮かべる一眼レフそのもののシルエットをしている。操作系、ダイヤル配置、デザインその全てが後世の一眼レフの手本となった。
ニコンF以降カメラはデザイン戦国時代に入る。同じくニコンF3のデザインはジョルジェット・ジウジアーロが担当した。
ニコンカメラの古(小)ネタさんよりいただきました。
黒いボディーに赤いラインの入った姿はひと目でニコンとわかるデザインである。マニュアルフォーカス一眼レフカメラの最高到達点がこのカメラであろう。同氏はかの有名なデロリアンのデザイナーである。
コンタックスを引き継いだヤシカコンタックスの初代フラッグシップモデル『RTS』。
RTSをデザインしたのはポルシェデザインのチームである。直線と緩やかな直線を駆使したデザイン。カメラとしては画期的なきめの細かいラバー様の革の外装は近未来的な魅力を持っている。新しく設計、デザインされたカールツァイスレンズ群とこのカメラの組み合わせは、新時代のカメラの姿を体現していた。
そして当時賛否両論を巻き起こしたのがキャノンのT-90である。
ルイジ・コラーニ氏とのコラボレーションにより生み出された流線型のボディーは画期的でセンセーショナルであった。これまでのカメラでは考えられない流線型のボディーは保守派の多いカメラ界では異端児であった。僕も子供心にずんぐりむっくりしてカッコ悪いなぁと思っていた。今やキャノンのEOSをはじめとして、各社の一眼レフが流線型を採用している。T-90自体はオートフォーカスではないのですが、オートフォーカス一眼レフの原型がT-90であったと思う。
ちなみにルイジコラーニ氏のキャノンでの扱いは歯切れが悪い。原案であったりコンセプトを元にといった感じである。なぜだろうと思って調べたらこんなサイトに行き着いた。
http://obviousmag.org/archives/2008/06/luigi_col
http://www.colani.jp/TheColaniLine/5systems/5sys
エキセントリックすぎるやろ!!
今見てもそう感じるのだから、80年代当時は誰も理解できなかったに違いない。なるほどT-99やSuper C BIOというデザインの軍幹部の流線型を採用したのがT-90であるとわかる。
Super C BIO
http://obviousmag.org/archives/2008/06/luigi_col より
とはいえ全体の形はT-90とは別物である。流石に当時このままのデザインで発売するわけには行かなかったであろう。キャノンの戸惑いが、歯切れの悪さを生んでいたわけである。
こうやって見てくると技術の革新とデザインの確信というのは表裏一体であることがわかる。
今までなかったものを作り出す試行錯誤の中で生み出された形というのは、新しく生み出されたものの本質を象徴する形になっているのであろう。
だから数十年ものあいだ模倣され続けるのであろう。
オリジナルっていいですね。
モノとしての迫力みたいなものを感じます。