安田弘之先生のインタビュー後編です!!!



その後に『ちひろ』『紺野さんと遊ぼう』に繋がっていくんですね。 僕は『ショムニ』よりも『紺野さんと遊ぼう』の方を最初に読んだんですよ。
安田弘之先生(以下 安田)――『紺野さんと遊ぼう』は『ちひろ』を読んでくれていたある編集さんがエロ漫画の雑誌を作ることになったので安田さんどうですか?と。 ただ、既存のエロ漫画では物足りない何かを満たしてくれる様な変わったエロ漫画雑誌を作りたいというコンセプトが面白そうだし自分にも何かやれるんじゃないかと。 僕は当時エロ漫画を自分が描くという発想がまったく無かったし、自分でもほとんど読んだことなくて。 エロ漫画読むよりはエロ本かエロビデオを見ますってタイプですから。 で、エロ漫画って何がつまんないと言うと、すぐ脱いじゃってネチョネチョするんですよ。


まあ裸になってSEXするのだけですもんね。
安田――変化が無いというか味が無いですよね。 エロってすごい広いはずなんです。 例えばAVなんかは自分どストライクの可愛い子とか出てきたら僕はすぐ脱がないで欲しい派なんです。 さらにあんまりハードなことはしないで長いこと何本も引っ張って欲しい。 ほんで人気落ちて本当にどうにもならなくなった時にようやくあれやってこれもやって…っていうのが好きなんです。 すごい可愛い子が「おいおい一本目でそれやっちゃってあとどうすんのよ!?」っていう贅沢な時代ですけど、それってもう一瞬でピーク迎えて後がないじゃないですか。 すごくもったいないんです。 その「可愛い子がいるんだけど脱いで欲しくない」「やって欲しいことはあれこれあるけど簡単にはやって欲しくない」っていう時のエロってなんだろうって考えた時に、物凄く大事な栄養素がそこに入ってるなと思ったんです。


わかります、そこなんですよね。
安田―― 一番最初に思ったのが、僕が思う可愛い子を描きたい、それが紺野さんなんです。 紺野さんというのは何かっていったら、無口で文科系でシャイで好奇心旺盛で興味や趣味がちょっと人とズレてる子。 あと、これが絶対に譲れないのが一重であるということ。


はぁ、一重なんですね。
安田――切れ長の一重の目が僕は可愛いと思ってて、自分が可愛いと思う子の顔立ちが紺野さんなので。 目が小さい子や鼻の低い子も的確なバランスで配置されてるとすごくいいです。 でも残念ながら多数決では絶対に勝てないんですよね~。 で、さっき言ったように脱ぐ前の女の子の持っているエロさを表現したいと思ったから、紺野さんははじめから「最終階まで絶対に脱がない」って決めてたんです。 可愛い子がいて、その子が何かをしてるのを覗き見してるような展開が延々と続く。そこにはそこにしかないエロっていうのが表現されているはずであって、別にアーティスティックで高尚なことをやろうと思った訳じゃないんです、脱がない女の子のエロスというものを色んなバリエーションで表現したら絶対面白くなるっていう確信があったんで自分の趣味を追求しただけで。 だから紺野さんに引っかかって来る人ってかなりエロに対する感覚が…。


ズレてるんですか?
安田――僕と同じ方向にね(笑) 妄想力のある人じゃないと「紺野さんと遊ぼう」は読めないと思うんです。 例えば積み木遊びやブロックのようなもので。 なんの変哲もない積み木を組んだものが敵の要塞に見えたり、怪獣に見えたりするという見立て次第で何にでもなるんですよね。 それができない人間にとってはただの四角い箱でしかない。 だから女の子っていう素材をいただいた時に、いかにこの子に対して想像力を駆使して妄想を膨らませるかというのが言っちゃえば人種の違いなんです。 その妄想を膨らませる素材を置いておいたら、あとは読者と共同作業で完成するエロになる訳なんです。 僕がぜんぶ作って見せるのではなくて、こういう可愛い子がいるから、あとの半分はあなたが妄想で完成させてくださいというエロなんです。


自分の中で想像が一人歩きしていきますよね。
安田―― 『紺野さんと遊ぼう』も爆発的なヒットはしませんでしたが、ある一部の層の読者にかなり熱く受け入れられました。 でも、それで大成功なんです。 WOWOWでドラマ化までしてもらえましたからね。 吉高由里子さん主演で。


僕の中では大ヒットでしたけど。 話は変わりますが、先生の漫画ってセリフが少ないじゃないですか。 それが逆に絵が音になってくるようなイメージがあるんですけど、そういうのって意識して描かれてるんですか?
安田――もちろんです。 自分が一番どこにこだわってるかっていったら、削ることなんです。 読み取って読者が完成させる為の素材をこちらが用意する、という意識でしょうか。 なぜかと言うと自分がそういう読み取って膨らませる余白のあるものが大好きだから。 全部セリフで語られてしまうのが一番嫌なんです。誤解の余地がないじゃないですか。 つげ義春さんの作品で『ほんやら洞のべんさん』っていう旅行者が泊まった民宿の主人と飲んでるうちに鯉を盗みに行こうって流れになって、でも持って帰る時に鯉がカチカチに凍っちゃったって話があるんですけど。 筋で語るとそれだけなんです。 つげさんの漫画は、こういうことがありましたというだけなんです。


色んな部分を自分の想像力で補いますよね。
安田――そう、何かが起こって何かが解決しましたではなくて、ストーリーとして起承転結がはっきりついてないんですよ。 ところが読むたびに面白いし、お話やキャラクターの印象が変わって見える。 これって凄いことだと思うんです。


読者が色んな想像を膨らませていけますもんね。
安田――僕の好きな物というのは行間に色んなものを込めておきながら、作者がはっきり答えを語っていないものなんですよね。 そういう噛みごたえのある餌を長いこと長いこと噛んで楽しんでるわけなんです。 映画の2001年宇宙の旅なんかもそういう作品でいまだに噛んでますもん(笑) やっぱり自分が作るものもそうありたいと思うんです。 それが故に紺野さんは話さない。 邪魔したくないんです。 読者の想像の時間の。 だからセリフが少なく、説明は最小限にってのは『ちひろ』なんか徹底してます。 お話の面白さを見せるストーリーじゃないんです。 こういう人がいてこういうことがありましたと言ってるだけで。


毎日を語っているだけですね。
安田――リアリティを追及していくとそこにいくしかないわけで、セリフを少なくするって物凄く大変なんです。


表現だけで語るしかないですもんね。
安田――ネームを切る時にこういう話にしますかと打ち合わせをして、2、3回叩いてるうちにようやく形になるパターンなんですけど、一番最初のネームは、自分の中でどういう話にしようか確認しながら描いてる訳ですから凄くセリフが多いし、なおかつ担当にわかってもらう為に説明じみたセリフが多い。だからすっごくつまらない。 だけど、それは過程としてどうしても必要で、それを何回か噛んで叩いてるうちに、これとこれとこれは、この表情一つに入るね!言わなくてもこれはわかるよね!となるんです。 こういう削る作業が決まった瞬間ってのがこたえられない快感なんですよね。 僕はよく俳句に例えるんですけど、俳句というものの恐ろしさ「五・七・五」しかないのに、膨大な情報量がありますよね。 データ自体は小さいファイルなのにこれを解凍する技術を持った人に触れた時に、ものすごい容量のデータが再生される訳です。 逆に解凍する能力がなければただの17文字分の情報だけです。


凄い説明になりますもんね。
安田――だから俳句というのは読む人をあてにして初めて成立します。 セリフを少なくするということは読む人を信頼してないとできないんです。 不特定多数の大勢の人に向けて物を作ると、確実にセリフが増えます。 みんながそれを読み取ってくれるとは限らないしみんなに正しく伝える必要はないんです。 僕の作品がセリフが少ないのは、ある程度、僕が読む人の層を限定しているからなんです。


その人たちに読んでもらいたいということですか。
安田――これ描いたら読み取るよね?という人に向けて成立するように描いてるんです。 ただ、そこは僕も10何年やってるんで、一応わからないだろう人でも誤解はできるように作ってあるんです。 本当に託したメッセージっていうのは解凍できる人のみにわかるように練りこんであります。 だから『ちひろ』は凄い誤解されるんです。 見る人が見たら本当に風俗嬢の話にしか見えないらしい。 しかも「男にとって都合のいい妄想の風俗嬢の姿」にしか見えないらしくて驚かされます(笑) 僕は風俗嬢のお話なんて描いてないですからね。 『ちひろ』がやっていた仕事がたまたま風俗嬢だっただけで。 「こういう人がおりまして、いっけん普通なんだけど、内面が物凄く変わってます、こういう人を見た時にあなたはどう思いますか」ということを聞きたいだけなんです。 読む人によって『ちひろ』という人に対する印象が凄い変わるんですよね。 それが面白くて。 これはデータが少なければ少ないほど、色んな人が色んな解釈をする余地が出てきて。 それが面白いんです。


幻想が凄い膨らんでいきますね。
安田――そうそう。 読んだ人が「ちひろ」を見てどういう幻想を膨らますかが僕にとって一番面白いところであって、実はそれってその人が見たいと思っている姿なんですよね。 それが見たいからちひろの過去も今に至るいきさつも家族や両親のこと、友人関係なんかもぼんやりです。 漫画にしろドラマにしろ僕が一番嫌なのは登場人物の過去を語ってしまうことなんです。


こういうものだっていう形ができてしまうわけですもんね。
安田――悲しい過去とかがあったら同情せざるを得ないじゃないですか。 でも現実にそんなことってほとんどないんですよね。 つげさんもそうだけど、その場面を切り取るんだけで、この人にそういう過去があったかもしれないというのは匂いとしてちゃんと描いてあるんですよ。 我々もそれを見てこの人こうかもしれないと。 でもつげさんはそれを言わないんです。 描かない。 これが描かれていないことによって我々は自分の妄想が正解なのか不正解なのかを、マルバツ付けられないで読み進めることができるんです。 それって凄くリッチなことだと思うんですよね。


確かにそうですね。豊なことですよね。
安田――答えをもらってしまったら答えが正解になってしまうじゃないですか。


それだけですもんね。
安田――例えば不良が暴れている、この人が実は良い人だっていうことを言う時に一番つまらないのが回想シーンを入れて過去に親から虐待されていたとか、そういう回想シーンを入れることによってその人がこの行動をするのはこういう理由があるんだって言ってしまうのが一番つまらないやり方ですよね。


そうですね。 答えを見せちゃってますね。
安田――答えをみせられるからそれは共感せざるを得ないし、同情せざるを得ない。 例えば捨てられた猫を拾ったら良い人っていう記号があるじゃないですか。 それの方がマシ。ただもう一つリアルにいきたい訳です。 もっとなんでもない様な所で「あれっ」て思う何かが欲しい訳ですよね。 例えばその不良と飲んで帰る時に、オシボリが綺麗にたたまれていたとか(笑)


確かに几帳面だなぁと思いますね。
安田――この几帳面さっていうのが要するに何だろう?っていう違和感ですよね。 本当はコイツはこの見えてる姿じゃないのかもしれないって考えるきっかけ。 実はこういう違和感って気がつく人じゃないと気がつかないんですよ。 人に触れた時にその人の目に見える行動や言動でわかった気になるんじゃなくてあらゆる面からから見えていない部分まで読み取ろうとする人じゃないとこれに気がつかない。 気がついても意味がわからない。 でもこういうことを作中で表現できたら最高じゃないですか、という遊びをやってるんで。 漫画を描くということ、キャラクターを動かすということが役者の演技と似たようなものだと言われてて。 作中の人物にいかに没頭して内面まで同一化するかの勝負ですよね。 キャラクターをストーリーの為の駒として使ってる時っていうのは没頭はしてないんですよね。 その人に成りきってるんじゃなくて、こういうキャラクターにこういうことを話させたいとか、物語の展開上この人とこの人が出会ってこうなってないと困るっていう風に持っていくと、登場人物はこちらの要求に合わせて演技して喋ってくれてるんですよ。 でも没頭してなりきっちゃうともう言うことなんか聞いてくれません(笑) こうして欲しいのにそうしてくれない。 こう言って欲しいのに全然違うこと言い始める。 それはもう一人の意思をもった人間なんです。


自然に出てくるんですね。
安田――そう。 だから「
ちひろ」って凄い怖いんです。 何が怖いって、まったく何をやるかわからないんですよ、描き始めるまで。 きっかけとしてどういう話になりそうだなっていうのはあるんですけど、最終的にオチがどうなるのか一切決めてたことはないんで、毎回アドリブなんです。 いま描いてる『ちひろさん』も毎回アドリブです。


描きながら展開していくんですね。
安田――このある種の憑依状態に自分を持っていくのが一番大変な作業で。 さっき言ったセリフの多い状態っていうのはまだ彼女の心に重なりきれていない状態です。 本当にスコーンと入る時ってびっくりするくらい綺麗に決まるんです。 あたかも最初から考えていたかのように。 その瞬間がやめられない。


先生の漫画は読み手が置かれているその時の環境や立場によって、見方とか考え方も違いますよね。
安田――自分の心境とか精神的な変化とか加齢によっても変わってきますし、そういうのに応じて色んな見え方をするものが一番面白いし楽しいと思うんですよね。


特に『寿司ガール』とかそのときに置かれる環境によって、はまるものとはまらないものがあって、その時その時で変わってくると思いますね。
安田――あれを読んでどの話が良かったですかと聞くと、その人の形が見えてくる訳ですよ。 その話とキャラクターにはまるんだったらあなたこういうことが普段嫌で、こういうことに困ってて…とか。


2巻の最初のかんぴょう巻きの話がめちゃくちゃ大好きで、何回も読んで何回も笑ってるんです。コマは少ないのに動きがイメージできて。
安田――嬉しいですね。 良いお客さんです(笑) 『
寿司ガール」』も大変でした。 あれも次にどのネタで何やるかわからないんです、毎回(笑)

『ちひろさん』の中で7つ向こうの駅にいってふらふら遊ぶ、あれも面白かったです。 たしかに子供の時って隣町に行くだけで大冒険でしたよね。
安田――大人になってからも駅を1つ2つ違うところで降りるだけで新しいものが待ってるんです。


確かにそうですね。
安田――
近藤さんもそうみたいですけど、我々のようなタイプの人間は面白いものを用意して貰ってそれを食べることでは満足できないんです。 そこら辺に転がってる何でもないものでも見立てで面白くして食べちゃうんです。 その能力があればどこに行ったって楽しめる訳なんです。 こんな得なこと無いですよ。 逆に言うとその能力が現代人はすごく衰えきてるのかもな~。 怖いな~と思ってて。


そう言えば、なぜ『ちひろさん』は復活したんですか?
安田――担当にそそのかされたんです(笑)


しかも凄い雑誌に載ってますよね。 「エレガンス イブ」って、男の人が絶対に買わない雑誌じゃないですか。 見つけたときに「えっ!これ?」って思ったんです。
安田――まあ、そうですよね(笑) 今の担当の人が元々『ちひろ』の大ファンで、『ちひろ』が好きっていう時点でもう話す必要無い。 「オマエ オレ トモダチ!」っていう気持ちのいい関係がずっと続いていて。 『気がつけばいつも病み上がり』の時もそうですけど、その人が行った先の雑誌で描いてるだけなんですよ。


そうなんですね。
安田――それで「エレガンス イブ」と言う雑誌に移ってから俺の所にきて「なんかやりませんか?」って。 やるのはいいんだけど何やるの?って聞いたらニヤニヤしながら「『ちひろ』の続編やりませんか?」っていうんですよ(笑) 僕は『ちひろ』に関しては絶対いじる気はなかったんです。 下手いじったり続編描いてキャラクターを汚す、がっかりさせるほうが嫌だったし、『ちひろ』を描くテンションに自分がいないと。 ただ、その人が言ってくれたのが一番大きいんですけど、その時に初めて真面目に続きを考えてみたんです。 『ちひろ』というのは完結してないんです。何故ならストーリーじゃないから。 『ちひろ』の最終回後も、「ちひろ」はずーっと生きてるし暮らし続けているんです。 さらに彼女の日常とは僕の日常のことでもあって、僕が生きている限りはいつでも描けるんです。 『ちひろ』から10年以上経った今になって、「ちひろ」もそれだけの加齢をしているし、いま何やってるのかと考えてみた時に、どうも描けそうな気がしてきて。 そうなったらもう担当の勝ちですよ(笑) じゃあ、今の「ちひろ」は仕事は何をしているかと思うと風俗嬢じゃないよね?って。 葬儀屋とかいいね、何か弔う仕事をしていて…いいですねそれ!とかで、第一話があの形になったんです。 続編の根底を貫くテーマみたいなのが欲しいと思って、それが「弔いをする人」に決まった。映画「おくりびと」みたいな葬儀屋に勤める人とかじゃなくて、ちひろは趣味で個人的に人を弔うってのがカッコ良くない?みたいなそんな程度のいい加減な始まり方だったんです。 だから第一話の予告カットの時は喪服を着て口に菊の花をくわえてる訳です。 で、毎回そうやって出会った誰かを弔うんと思って描き始めたらいきなりその設定がどっか飛んでしまいまして(笑) 何故か最初から弁当屋だし!…弁当屋ってのも偶然なんです。 何やっててもいいんだけど、ちひろはキャラがあるからどこでもやっていけると。 なので本当は毎回仕事が変わるはずだったんです。 今回は弁当屋。 次回はなぜかパチンコ屋とか(笑) ところが弁当屋のキャラが立っちゃって。


弁当屋さんが良すぎちゃったんですね。
安田――2,3回弁当屋で流してみようって。 そしたら弁当屋の方が実は色々語れる要素が凄くあって彼女の今のキャラクターにすごく自然にフィットしちゃった。 最初から狙って弁当屋にしたような動きになってきてるんです。  最初の「弔う人」のコンセプトを守ろうと思ったら絶対にこういう流れにはならない。 自分も担当もいい加減でよかったなと(笑) でも、僕の人生を貫いている考え方に成り行き成り行きで面白いと感じる方に転んだら絶対に悪くならないっていうのがあるんです。 それに従った時はやっぱり絶対に良くなるんです。


「ちひろ」は40歳位ですか?
安田――もうちょっと若い設定なんですけどね。 30代のどっかくらい。 彼女の人生を今描く意味っていうのを凄く感じてて。 「ちひろ」がいま何してるんだろうねって言ったら、結婚も出産もしてないんです。 結婚も出産もしてない女が引け目も後ろめたさも感じず凄く楽しそうに生きてるって最高じゃない?って。 男が描くにしても女が描くにしても、「ちひろ」の年代の女性が1人でいるってことに対して絶対に裏に「後ろめたさ」や「強がり」があるはずなんです。 頑張って涼しい顔してるけど内心はやっぱり出会いたいしくっつきたいしっていう願望を秘めた上で強く健気に明るく生きちゃう。


回りも結婚していって焦りもあるし。
安田――「ちひろ」はまったくそこはどうでもいいんです。 振りきってるっていうか、そうじゃない人生の何がいけないのっていう、強がりでも何でもなく。「あ、あたしはいいから」ですね。 それを言うと痛い人っていうふうに見られるじゃないですか。 私は結婚しなくても平気とか、そういう人生だってあっていいじゃないっていう人は、どこか「そうできなかった」「そうならなかった」ことへの虚勢を張ってるはずっていうイメージ。 「いや、ちょっと待って」と。僕も結婚してるけど子供はいないんです。 でも子供がいない人生っていうのは子供がいたら味わえないんであって、独身よりは結婚してるほうが、子供がいないよりは子供がいたほうがじゃあ幸せになっていらっしゃいますか?と周りを見渡せば全然そうなってない風景があるわけです。 だからどういう生き方をしていてもそこに後ろめたさや引け目を持つ必要が無くて、「そこにいることがとても楽しい」と感じられる状況にその人がいれば、それを人がとやかく言わなくていいし、自分がそこで楽しむことに後ろめたさを持たなくていいっていうのは凄くこれから大事になってくるような気がするんですよね。 …あっ、このインタビューまとめるの大変でしょ。


大丈夫です。 文字にしちゃえばまとめるの楽しいので(すいません、大変でした(笑))。 最後に先生の作品の中でどれも一番自分の子供みたいなものだと思うんですけど、どのキャラクターが一番好きですか?
安田――やっぱり「ちひろ」ですよ。


「ちひろ」なんですね。 自分自身を投影してるからですか?
安田――彼女は見ていて気持ちがいいんです。


確かにそうですね。
安田――男でも女でもないんです。 時と場合に応じて両方を使うんだけど、男だから女だからっていう所と全然別なルールで生きてるんで。 それでいて女性らしい感じもあるし、本当に友達になりたいし、一緒に飲みたい感じです。 色んなものを描いてきたけど、自分の中でやっぱり『ちひろ』っていうのは特別な漫画。 他の作品とは違う、全体重をかけてるんです。


簡単にはいかないんですね(笑)
安田――そうそうそう。 しんどい女です(笑)


今日はお話聞かせて頂きましてありがとうございました!
安田――いえいえ、こちらこそありがとうございました。




今回のインタビューは長くなりましたが、凄い面白いインタビューになったと思います。 安田先生ご自身も大好きになりました。 『ちひろ』『ちひろさん』『寿司ガール』『紺野さんと遊ぼう』は僕のお気に入りですので、気になった方は是非手に取ってみてください。 よろしくお願いします。


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