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南十字座が、綺麗に見える季節

 



私は小学校五年生から始めて、中学校、高校とバレーボールをやっていたけれど、それ以前は男の子と野球⚾️をするのが大好きだった。

当時、今のように女の子も野球クラブに入れたら絶対入っていたと思う。

見るのも大好き

プロ野球も好きだけれど、高校野球はこれまた違う感動があっていい😍

 

 

2018年の夏の甲子園は、春夏優勝した大阪桐蔭ではなく、準優勝だった金足農業が話題をさらった年だった。

その年のドラフトでは、優勝校の大阪桐蔭から4選手がドラフト指名されてプロの門を叩いた。

根尾昂選手は中日、藤原恭大選手はロッテ、横川凱投手が巨人、そして柿木蓮投手が日本ハムファイターズに入団している。

準優勝の金足農業の吉田輝星投手は、日本ハムファイターズに一位指名で入団したのだけれど、昨年2023年オフシーズンにオリックスにトレードになった。

2018年組の出世一番頭は、聖心ウルスラ学園からジャイアンツに入団した戸郷翔征投手だろう。彼は昨年のWBCにも選出され、文句なしの活躍をしている。

 

 

さて、この2018年のドラフトで私が気になったのが日本ハムファイターズだ。

理由はドラフト7位までの指名選手のうち、なんと吉田投手を含む5人が高校生だったからだ。

一位指名の吉田輝星投手(金足農業高校)、二位の野村佑希選手(花咲徳栄高校)、三位が万波中正選手(横浜高校)、五位が柿木連投手(大阪桐蔭高校)、そして六位が田宮裕涼捕手(成田高校)。このうち田宮捕手を除く4人が甲子園に出場している。

 

このファイターズのドラフト指名選手一覧を見てこう思った。

 

4人甲子園組やわ!これ、あえて高校生同士で切磋琢磨させようとしてんのかな?上手くいったら、ファイターズ数年後にめっちゃ強くなるん違う?)

 

どうやら私の予想は当たったみたいだ。

一昨年、昨年と最下位だったファイターズは、今年2024年の5月現在ソフトバンクに次ぐ二位でノリに乗っている。

 

実際この2018年ドラフト組5人のうち、3人が一軍で活躍している。

二位の野村選手、三位の万波選手、そして六位の田宮捕手。

特に田宮捕手は昨年のシーズン終盤に打撃で頭角を現し、今年は開幕から一軍に定着してマスクを被っている今年のファイターズの注目選手だ。

野村選手は開幕から全く調子が上がらず、一度二軍に落ちているが、二軍で打ちまくって一軍に再昇格を果たすと直ぐに結果を残し始めた。

昨年ホームラン王のタイトルにもう一歩だった万波選手は、今年まだ本調子に乗れていないが、この2018年組が側にいる限り大丈夫だろう。

彼らは、切磋琢磨して互いを高めている典型的な例だと思う。

 

オリックスにトレード移籍した吉田投手は、開幕一軍で迎えた。開幕直後は調子が良かったものの、残念ながら5月に入ってから調子を落としている。

ファイターズの仲間が活躍しているのを見て、「落ち込んでる場合じゃない」と奮起してくれるのを期待したい。

 

 

切磋琢磨の解説学研 四字熟語辞典

せっさたくま【切磋琢磨】

互いに励ましあって鍛錬や修行をすること。仲間が、互いに協力したり競ったりして、技量を高め合うこと。骨・象牙・玉・石は加工することによって、美しい宝石になるという意味。もとは天性素質のある者が修養を積み、立派君子になるという意味であった。

注記

「切」は骨の、「磋」は象牙の、「琢」は玉の、「磨」は石の、それぞれ加工法。「切せっするが如ごとく、磋さするが如く、琢たくするが如く、磨まするが如し」と読み下す。

引用:ダウンダウン

 

 

新庄監督になってからの采配を見ていると、飴と鞭を上手に使って選手たちの向上心を引き出して切磋琢磨させるのにめちゃめちゃ長けている。

監督一年目は支配下選手全員を一軍の試合に出場させて、一軍の華やかさを皆に経験させている。

一軍と二軍は天と地の差がある。

一度この華やかな一軍を経験したら常に帯同し続けたいと思うはずだ。

プロ野球選手である以上、一軍で活躍するのが仕事。そうでなければ、数年後には契約打ち切りが待っている厳しい世界だ。

 

 

 

チームメイトだけではなく、兄弟同士でも勿論切磋琢磨はある。

プロのスポーツ世界では、オリンピックに兄弟姉妹で出場する選手も多い。

 

このように互いを高め合うのが切磋琢磨なのだけれど、中には上がって来る後輩をモグラ叩きのように叩き潰して自分の位置を確保しようとする先輩や同期がいるのも事実。

強い学校やチームであっても、こんなメンバーが多くなると次第に勝てなくなる。

なぜなら、叩き潰したり批判したりするのは切磋琢磨ではないからだ。

 

「アホ」「バカ」「ダメな奴やな」「こんなんも出来んのか!」


みたいな下げ言葉ばかり連発している監督やコーチもいるだろう。


スポーツの世界だけじゃない。

同じ様な言葉を、自分の子供たちに投げつけている親もいる。

心当たりはないだろうか?

 

「これは叱咤激励ですから!」

 

なんて言うかも知れないが、上記の言葉だけを取ってみれば『叱咤』だけで『激励』は含まれていない。

こんな言葉ばかりを投げつけられたら、選手や子供たちの士気はだだ下がりだ。

教師や親が叱咤激励と叱責をはき違えて、罵詈雑言浴びせたりするのは教育に良いはずがない。

 

けれど一番マズイのが、子供たちがそれを『叱咤激励』だと思い込んで育つことだ。

常に上から目線で、他人に責任をなすりつける発言しかしないダメ大人になってしまう。

これでは切磋琢磨どころか、兄弟や仲間内で程度の低いひがみを招くだろう。

あげ句の果てには『自分を高めるために相手を貶す』という行為で自尊心を保つようになってしまう。(身近におるもん😅)

 

 

これが、近年SNSで誹謗中傷が横行する理由なのかも知れないと思う。

今の世で自分の人生に満足していない人々は、SNSなどで暴言を吐いて相手を叩くことでストレスを発散しているのかも知れない。

それが酷くなると、「相手は誰でもいいから殺したいと思った」などという殺人に発展したりする恐ろしい世の中になっている。

 

(怖っ😱)

 

 

切磋琢磨で、はつらつとプレーして結果を出して行く選手達に励まされる私みたいなファンもいれば、そんな選手達が犯したミスを鬼の首を取ったようにSNSで突く人も多い事実。

叱咤してその後にちゃんと激励するなら良いけど、叱咤激励とただの叱責を取り違えている人たちもいる。

 

 

そういえば阪神タイガースの選手達は皆、ファンの過激さを語る。

 

「負けた日は外歩けません😓」

「勝ったら、何処にもいかんでくれや!と懇願されるんです😅」

 

選手達の説明を聞いていると何となく分かる。

阪神タイガースのファンは、『叱咤激励』が上手いのだと。

開幕出だしでつまづいた阪神タイガースだけれど、さすが昨年の日本一のチームは5月14日現在トップに位置している。

 

 

叱咤激励の解説三省堂 新明解四字熟語辞典

しった-げきれい【叱咤激励】

大声で励まして、奮い立たせること。▽「叱咤」は大声で励ますこと。また、大声でしかること。「激励」は励まし、元気づけること。

引用:ダウンダウン

 

 

 

夏の甲子園の地方予選も始まった。

プロ野球のペナントレースはもうすぐ交流戦に入る。(交流戦:パ・リーグとセ・リーグのチームの交流試合。ペナントレース中に一度だけ行われる)

ファイターズの18年組には、切磋琢磨でトップのホークスを射落とす活躍をして欲しいものだ。

 

選手達がミスをしても、くれぐれも『叱咤激励』と『叱責』をはき違えて、『罵詈雑言』を浴びせることが無い応援をして欲しい。

 

親御さん達も普段の生活で、自分の子供たちを『叱責』だけして『激励』を忘れていないだろうか?

 


 

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日曜日、月二回の日本の叔母とのオンラインコール。

叔母は元気な顔を見せてくれ、娘アリスの姿がスクリーンに映ると更に嬉しそうな笑顔になり、同時に声も弾んだ。

 

(お母さんと同じやわ)

 

 

2022年の4月に亡くなった母は、毎週日曜夜8時半のオンラインコールでアリスの姿を見ると、私に対するより一段階上の幸せ笑顔を見せていたことを思い出した。

その定期便が母の死を知らせてくれるきっかけとなったあの夜のことを、私は今でもはっきりと覚えている。

ダウンダウンダウン


 

 

叔母とのオンラインコールが終わった後仕事に出て、家に帰ったのは夜の7時近かった。

夕食は、材料を切って煮るだけの鍋にした。

日曜の夜の日本時間8時半、オーストラリア時間の9時半は母とのオンラインコールの時間だった。

それに合わせて夕食を済ませ、シャワーも済ませていたことを思い出した。

なぜなら、母とのコールが2時間に及ぶことも珍しくなかったからだ。

 

 

鍋の夕食を済ませ、シャワーも済ませてPCの前に座り、書きかけの本の原稿に向かった。

すると、なぜか分からないが突然松任谷由美の曲が聴きたくなり、Youtubeでメドレーを選んだ。

懐かしい曲が次々とヘッドホンに流れてきた。

 

『ルージュの伝言』(魔女の宅急便💛)

 

『守ってあげたい』(カラオケの十八番やったなぁ……懐かしい)

 

『ひこうき雲』が流れ始めたとき、36歳で娘さん二人を残して逝った友人を思い出した。ちょっと涙した。

 

『やさしさに包まれたなら』(魔女の宅急便のエンドロール。いい曲やなぁ)

 

『埠頭を渡る風』(20代でバイクに乗っていたとき、TMネットワークの『Get Wild』と並んで好きな曲やったっけ)

 

そんなことを思いながら、聴いていた私の耳に次に流れてきた曲が、

 

『春よ、来い』

 

 

突然、脳内のスクリーンに2022年の4月に一人で見た満開の桜のシーンが何枚も映し出された。

そのときに桜を見ながら母を偲んだ思いが蘇って、あっという間に目から涙がボロボロと溢れ出した。

 

image

 


2022年の4月の桜。

あのときは、母と弟と妹の四人で毎年行っていたお花見の記憶が刹那に浮かんで来たっけ。

お花見はいつも母と一緒だった。


父とのお花見の思い出は全く無い。

「子供の喜ぶことをしてあげたい」と思う人ではなく、自分がしたいことが一番大事な人だ。

それは今も全く変わらない。


母は子供たちの喜ぶ顔を見るのが幸せだったに違いない。

だって、今の私がそうだから。

 

 

 

「お母さん桜ってホンマに綺麗やね。」

 

もう一度母と一緒にお花見がしたくて、私は携帯で桜の写真を撮りながら母に話しかけていた。


春よ遠き春よ

瞼閉じればそこに

愛をくれし君の

懐かしき声がする

春よまだ見ぬ春

迷い立ち止まるとき

夢をくれし君の

眼差しが肩を抱く

 

 

 

 

モラハラ父との離婚を決意した母に対して、離婚訴訟でモラハラ父側に付いて離婚を阻止しようとした弟と妹。

オンラインコールで泣いていた母の泣き顔は、今でも私の脳裏に焼き付いている。


そんな風に母を悲しませた人々が、今度は叔父夫婦に理不尽を働く。

母が亡くなった直後に、家族に対する情というのが分からない父が叔父夫婦宛に書いた非情な手紙と、それを非常識とも思わない我が家族。


「非常識」「嘘つき」「欺瞞」「母に悪影響を与えている」等々、父、弟、妹から言われまくったこの6年間。

いつも私の側にいてくれたのは、娘のアリスと母だった。

 

 

母:「私に何かあったら、次郎(叔父)さんたちのことよろしく頼むね。」

 

子供のいない叔父夫婦に対して情も何も見せない父のことを知っていた母は、オンラインコールのときに事あるごとに私にお願いしていた。

 

私:「大丈夫。ちゃんとやるから安心して」

 

その叔父は、昨年11月に逝った。

 

 

君に預けし我が心は

今でも返事を待っています

どれほど月日が流れても

ずっとずっと待っています

それはそれは明日を超えて

いつかいつかきっと届く

春よまだ見ぬ春

迷い立ち止まるとき

夢をくれし君の眼差しが肩を抱く

夢よ浅き夢よ

私はここにいます

君を思いながらひとり歩いています

流るる雨のごとく

流るる花のごとく

 

 

母が亡くなった後、一度だけ母の夢を見た。

夢だと分かっていたけれど、会いにきてくれたのが本当に嬉しかった。

あれから2年経つけれど、まだ二度目の母の訪問は叶っていない。

母はいつも私の側にいるから夢を見ないのだと、私は勝手に思っている(笑)

 

 

作詞、作曲:松任谷由実、編曲:松任谷正隆

歌:松任谷由実

 

 

淡き光立つ 俄雨
いとし面影の沈丁花
溢るる涙の蕾から
ひとつ ひとつ香り始める

それは それは 空を越えて
やがて やがて 迎えに来る
春よ 遠き春よ
瞼閉じればそこに
愛をくれし君の
なつかしき声がする

君に預けし 我が心は
今でも返事を待っています
どれほど月日が流れても
ずっと ずっと待っています

それは それは 明日を超えて
いつか いつか きっと届く
春よ まだ見ぬ春
迷い立ち止まるとき
夢をくれし君の
眼差しが肩を抱く
夢よ 浅き夢よ
私はここにいます
君を想いながら
ひとり歩いています
流るる雨のごとく
流るる花のごとく

春よ 遠き春よ
瞼閉じればそこに
愛をくれし君の
なつかしき声がする
春よ まだ見ぬ春
迷い立ち止まるとき
夢をくれし君の
眼差しが肩を抱く

春よ 遠き春よ
瞼閉じればそこに
愛をくれし君の
なつかしき声がする
春よ まだ見ぬ春
迷い立ち止まるとき
夢をくれし君の
眼差しが肩を抱く
春よ 遠き春よ
瞼閉じればそこに
愛をくれし君の

 

 

母は愛に溢れた人だった。

けれど私の冷たい家族は、愛をただで注いで貰いっぱなしで、母に愛のお裾分けをしなかった。

母は一生懸命愛してくれていたのに、若き日の私はそれが分からなかった。


娘アリスが生まれて、私はアリスから愛を教えてもらい、母の愛情に気付くことが出来た。

娘から教えてもらった愛を、亡くなる前に母にあげられて本当に良かった。

 

 

心のリハビリに、この曲を聴いて来年の春を待とう。

 

そして来年の春が去ったら、またこの曲を聴いて翌年の春を待とう。

 

母にまた会える日まで、この曲を聴き続けよう。

 

今はまだ涙が溢れて歌えないけれど、多分きっとこの歌を泣かずに歌える日がやって来るはずだ。

 

その日が来るまで、ヴォイストレーニングをしておこうかな(笑)

 

 

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私の背丈ほどもある野生のリリー。

 

 

 

4月25日木曜日はANZAC Day(アンザックデー)の祝日だったので、娘アリスとブッシュウォーキングをすることにした。

 

 

以前ツアーガイドをしていたときには、日本人観光客の方々を週1〜2回の割合で4kmの世界自然遺産の綺麗な滝がある山歩きコースを案内していたので、かなり脚力には自信があったのだが、リメディアル(治療)セラピストに転職してからは山歩きの回数は減り、特に2021年7月に人工膝関節置き換え手術をしてからリハビリは続けていたものの、山歩きはしていない。

平地の17kmと山歩きの17kmは全く違う。

(大丈夫か?私)

と一抹の不安はあったけれど、やってみなければ分からない。

しっかり山歩き用のブーツを履いて家を出た。

 

 

果たして、スプリングブルック国立公園ツインフォール(双子滝)の4kmのウォーキングコースは人で溢れていた。

歩きやすいコースだし、滝と一緒にとる写真が結構インスタ映えするので人気がある。

殆どスニーカーやランニングシューズを履いていたが、中にはクロックサンダルで歩いている人もいた。

歩きやすいとはいえ結構勾配もあるし、雨が降るとかなりぬかるむコースでもある。特に雨が降るとLeech(ヒル)が脚にまとわり付くので、サンダルはやめた方がいい。(しかもヒルに吸われた場所は血が止まりにくいので血だらけになるガーン

 

 

さて、途中から17kmコースへ入ると途端に人が減った。

コースの最初は下り。

知らない人も多いと思うけれど、実は下りの方が膝にくるのである。

上りはお尻やハムストリングス(太ももの裏の筋肉)にもかなり負担がかかっているし、何より心肺機能に負担がかかるからキツく感じるのだ。

私みたいに膝の置き換え手術をした人間にとっては、下りの膝負担が半端ないのであった。

 

 

今年は雨が多い年なので、滝からは十分な水量が流れ落ちていた。

そして、道がめっちゃぬかるんでいた。

アリスと私はちゃんとした山歩きシューズを履いていたのだけれど、ランニングシューズで来ていた人たちのシューズはドロドロだった。(後で分かるのだが、上りの方は全然ぬかるんでいなかった。滝が多かったからかも知れない)

雨が降ると樹が湿って重くなったり地盤が緩むせいもあるのか、大木が山道の上に倒れて、それを切って道を通している箇所が幾つもあった。

ここまでチェーンソーを持ってくるのも大変やったと思う。

 

大木の断面

 

 

実はこのコースは滝の宝庫で、10ヶ所以上の滝がある滝巡りコースでもあるのだ。

滝があると、アリスに写真を撮ってもらった。

 

 

 

 

 

 

森の中で聞こえるのは、鳥の声、滝の音、そして小川の流れる音だった。

この水の音がまた森の中で聞くと心地良い。

 

 

さて、滝が沢山あるということはその水が流れ込むストリーム(小川)が存在する。

森を抜けて小川に出た。雨が多かったせいか、結構な速さで水が流れている。

そこで気付いた。

 

私:「アリス、橋があらへん😮」

 

アリス:「ホントだ!でも、これ渡るんだよね?」

 

道は小川の向こうに続いている。

ということは、何が何でもこの小川を渡らなければならない。

しかし、あるのは小川の中に点在する岩のみ。

 

一本目の小川はまあ問題無く渡り終えたのだが、二本目の小川は一本目より流れが速く、しかも川幅も広かった。

 

私:「これ、どう考えても岩の上を跳んで渡れってことだよね?岩の上で滑ったら落ちるやん😅」

 

アリス:「ヤバくない?」

 

しかも続く長雨で水量が多くなっているため、普段であれば渡り石に使えるであろう岩が水に浸かっているので、岩から岩へ結構な距離をジャンプしなければいけない場所がいくつもあった。

しかし橋が無い以上、ジャンプするか水に浸かりながら小川を渡るかの二択しかない。

 

 

とりあえず、小川を渡る前にランチにする事にした。

腹が減ってはジャンプも出来ない。

おにぎりとミューズリーバーを頬張っていると、私たちが来た時に休憩していた若い女性二人組がこの小川を渡ろうと四苦八苦していた。

彼女達はジャンプせずに、大きな岩に捕まりながら渡り石に足をかけ、横伝いに川を渡ろうとしていたのだが、その内の一人が足を滑らせ片足が小川にはまった。

 

私:「あ、落ちたタラータラータラー

 

アリス:「かわいそ~。シューズびしょびしょアセアセ

 

 

これを見たアリスと私は違う選択をすることにした。

とにかく出来るだけ平らな大きな岩のある場所を選んで、必要最小限の距離をジャンプする方を選んだ。

なんと、ジャンプ力もバランスも衰えていなかった。

しかも、手術した膝での着地でもバランスが崩れることはなかった。(イエ〜イグッド!

 

 

 

出発前にコースの詳細を読むと、このコースは5~6時間かかると書いてあった。

11時15分頃に歩き始めたので、普通に歩けば遅くとも午後5時15分頃までには戻れる計算だ。

単純に計算すると3㎞を1時間で制覇すればいいのだけれど、途中休憩も入れたりするし、写真を撮ったりする時間も入れての移動なので、楽に進める所は足を速めて移動した。

下りでちょっと膝に疲れを感じていたが、この小川を越える辺りはアップダウンはあるものの比較的なだらかな道だったので問題無く距離を稼げた。

 

 

 

image

 

 

が、下った後は当然上りがある。

さすがにこの上りはキツかった。最初に書いた通り、上りは心肺機能に負担が掛かる。

2022年4月に母が亡くなってから何度も日本とオーストラリアを行ったり来たりしている私だが、滞在中駅では必ず階段を使うようにして心肺機能をあげるトレーニングはしていたものの、定期的にやっていた訳ではなかった。

そして、ふくらはぎやハムストリングス、中殿筋が張り始めた。

 

 

 

道を塞いだ大木を切って道を作っている

 

この上りで、アリスと私は何度も休憩を入れた。5分程休憩してストレッチするだけで、足の筋肉はかなり楽になる。

やっとのことで4㎞コースの合流点に行きついた。

ここまで来ると、仕事で何度も歩いた勝手知ったる道になる。残りは2㎞弱なので気が楽になった。

 

 

そしてとうとう最後の滝、ツインフォールに到着。

ダウンダウンダウン

 

この時点で午後4時。

まだ結構人がいて、滝をバックに写真を撮っていた。

2人で休憩していると、一人旅の男性がアリスに写真を撮ってくれないかと頼んできた。

アリスは子供の頃から何度もここを訪れているので、どう撮ったらいい写真になるのかを心得ている。

彼だけでなく、アリスは他のグループの記念撮影も手伝ったりしていたので、なんとここで30分の滞在となってしまった。

もう秋なので、陽が落ち始めると気温は急激に下がる。歩いているうちは暖かいのだけど、休憩に入った途端に身体は冷え始める。

しかも滝つぼにいるので霧のような水しぶきが漂っていて、更に体温を奪っていく。慌ててバッグの中からヒートテックを取り出して着た。

 

 

滝の裏側から。寒くてヒートテックを着込んでいるあせる

 

 

 

出発地点に戻って来たのは午後5時であった。

最後のツインフォールでの30分を半分にカウントしても、約5時間半で17㎞のコースを制覇した計算になる。

結構良いペースではないか?

 

さて、家に帰って私は膝とふくらはぎに消炎剤を貼って寝た。

アリスは液体消炎剤を何度も塗り直していた。

翌日は酷―い筋肉痛を覚悟していたが、軽い筋肉痛で仕事にも問題は無かった。

 

 

膝関節手術から3年弱。

膝も心肺も17㎞の山道を制覇出来るまでに回復した。

めっちゃ嬉しい一日だった。

 

 

 

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私:「お父さんの家の掃除で、お母さんが私にして欲しいことって何?」


母:「冷蔵庫の中の掃除して欲しい。お父さん、私が冷蔵庫開けると怒るし、悪くなってるのを持ち帰ると、食べようと思ったもの勝手に持って行かれた!なんて言ったりするから嫌なの。」


私:「あんな賞味期限切ればかりの食料品、誰が食べんねん?お父さん以外誰も食べようなんて思わへんて。悪なってるもん食べてるから大腸炎で入院することになったやん?」
 

実家から半端ない食料が出て来た件

実家から半端ない食料が出て来た件……の続き

実家から半端ない食料が出て来た件……その後

アップアップアップ

2014年から、私は母と二人三脚で実家(父の住む家)の掃除をしてきたことはブログに何度も書いた。

 

年に2回実家の大掃除に行く都度、私は週に一回実家の掃除に行っていた母に必ず聞いていた。
毎週必要最低限の掃除をしに行っていた母の意見を聞いて、母が掃除出来ないところを私が補ってやっていたのだ。
母が毎週行っていたわけだからその母の言うことに耳を傾けるのは、私の中では当然のコミュニケーションだった。


恐らく母は長い結婚生活で、こんな風に家族とコミュニケーションを取りながら物事を進める、という経験をしたことが無かったのだと思う。
父はコミュニケーションスキルが皆無で、会話のキャッチボールが出来ない。
そうやって私が母に聞いて、母が望むことをやってくれることをとても喜んでいた。

かといって、私は母の望むことを全てやっていたわけではない。

 

妹に、

「桔梗はお母さんの言うこと全部聞いてくれるから、お母さんにとって都合いいんでしょ?!」

な~んて言われたこともあるけれど、そんなことあるわけはない。
母の奴隷ではないのだから私はちゃんと自分の意見も伝え、お互いに納得した上で行動していた。


神経発達症(発達障害)の父とコミュニケーションを取るのは、まあ至難の技だ。
父はめっちゃ単純な白黒思考なので、
常に自分が正しくて、自分に味方しない人間は間違っているとしてしか捉えられない。

自分が間違っているかも?という意識は父には無い。

それは祖母が父を正すこと無く長男大事で育てたからだ。
 

だから神経発達症の特性を理解していないと、父の側にいる人達は『カサンドラ症候群』になってしまう可能性がめっちゃ高い。
母が父と同居していたとき、1962年から2002年までの40年間、今考えると母は正にカサンドラ症候群だった。


まだ母が生きていたとき、弟も妹も父に苦言を呈して母の言うことに耳を傾けるように言うことは無かった。


「お父さんに何言っても無駄だから。お父さんとは関わらないでいればいい。」


と母に言うだけだったそうだ。


さて、1962年に父と結婚した母は2002年に家を出て別居したのだが、17年の別居を経て2019年に離婚を裁判所に申し立てた。


父:「俺は離婚される覚えなんかない!」
 

と言い切る父に私は質問をしたことがある。


私:「じゃあ、今までお父さんはお母さんのために何をしてあげたん?お母さんはお父さんのためにいろんなことやってあげてるよね?フルタイムで働いているのに三人の子供育てて、その後はお祖母ちゃんの介護もやってたでしょ?逆にお父さんは、何かお母さんのためにしてあげたことあるん?」
 

父:「あるよ」
 

私:「何してあげたん?」
 

父:「家を買った。」
 

私:「家?それはお母さんだけやなくて家族のためやろ?しかもお父さんは『あれは俺の金で買った。俺の家だ!』ってずっと言うてるやんか。お母さんのためやないやん?」
 

父:「着物を買ってやった」(買ってやったぁ?😠)
 

私:「それはお母さんが欲しいって言ったの?」
 

父:「高い着物だったんだぞ。」
 

私:「それ質問の答えになってへん。その着物は、お母さんが欲しいって言ったから買うてあげたの?っていう質問なんやけど。」
 

父:「……」(貝になる)
 

私:「お母さんはお父さんにお金下さい、って常に言うてるよね?それを無視して、お母さんの好みの色や柄も聞かずに着物買ってあげた言うても、それはただのお父さんの自己満足に過ぎんて。お母さんが頼んでいることに耳を傾けて、その頼みを聞いてあげることがお母さんのために何かしてあげるってこと。分かる?それを踏まえてお父さん、お母さんに何をしてあげた?」
 

父:「沢山ありすぎて覚えてない。」(うそつけ!(笑))


以前、妹イラクサからのメールに
「ホオズキは母の家に滞在しているとき、庭仕事の手伝いをしたり母を温泉旅行に連れて行ったりして親孝行しています。」
と書いてあった。
それはそれで母も勿論喜んだはずだ。
けれどそれに加えて母は、ホオズキやイラクサから父に対して母の意見を取り入れてくれるように言って欲しかったのだ。


母:「二人とも電話で自分の言いたいことだけ言って、私の言うことは聞いてくれないの。だから言ったの。あなた達も人を相手にする仕事をしているんだから、もっと人の言うことを聞かないとお客さんが離れていくわよ!って。」
 

母が本当にして欲しかったことに、ホオズキやイラクサは耳を傾けたのだろうか?
それとも「母のため」と言いながら、母の意見には全く耳を貸そうとせずに自分の意見を押し付けていたのではないだろうか?

 

 

母の死後、イラクサは

 

「私達はもう母の言葉を聞くことが出来ません。母を使って私達を侮辱するのは止めて下さい!」

 

というメールを私に送って来た。

 


(何言うてんの?お母さん何十年間も叫び続けてたやないの?)

 

「私の言うことを聞いて!」……と。

 

生前に母の声を聞かなかったのは誰なん?



あなたはパートナーの声に、そして家族の声に耳を傾けているだろうか?


「あ〜また同じことばっかり言って、聞き飽きた!面倒くさっ!」


なんて、話し合いにも応じずに軽くあしらっていないだろうか?



「一緒に育児をしてほしい!」


という妻の願いに、

 

「俺仕事で忙しいんだよね。育児が大変だったら、家事とか適当でいいから。」

 

なんて、育児責任逃れのトンチンカンな返事をしていないだろうか?まさか、


「俺の方が稼いでんだから、収入の少ない妻の方が家事育児やるのは当然だろ?誰のおかげで飯が食えると思ってんだ!」
 

なんて、バカ夫発言していないだろうか?


私の父みたいに、


「俺は家も建てて、子供の教育費もちゃんと出してやってる。離婚される覚えはない!俺は認めない!」


なんてボケたこと言っていたら、あなたも90歳で超熟年離婚されるかも知れない(笑😅)



相手がして欲しいことに、お互いが耳を傾けて真摯に話し合う。


それが互いの関係を高める秘訣だと私は思う。

 

あなたはどう思うだろう?
 

 

 

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こんにちは。

 

気が付いたら、人生の半分以上オーストラリアに住んでる事になっていた、シングルマザー歴23年、リメディアルセラピスト、桔梗のブログの部屋へようこそおねがい

ご訪問ありがとうございますラブラブラブラブ

 

私のオーストラリアの人生経験、国際結婚、DV、国際離婚、裁判、鬱、カウンセリング……人生最大の激動の頃についてはコチラからどうぞ

 

『DV家族の肖像』これまでのお話はコチラへ

 

4年ぶりに、🍺片手にオーストラリアンフットボールの試合観戦。

 

 

大谷翔平の元通訳、水原一平被告の供述に驚いた人は少なくないだろう。

最初の発言による借金は約6億円と言っていたが、実際には約61臆円で、その他に大谷翔平の口座からの不正送金額が約24臆5千万円……。(ケタが違うやんかガーンあせるあせるあせる

 

 

アップアップアップ

 

上記の以前のブログ、『誰が嘘を吐いているのか?』でも指摘したのだけれど、水原一平が最初の発言を24時間でひっくり返したこととギャンブル依存症という事実の二つで、彼の信用は私の中からは完全に消えた。

 

理由は、彼が依存症だから。

 

私もさすがにこの金額は予想だにしなかったが、これが依存所の怖さ。

恐らく元依存症だった方々は、水原一平被告の行動に対して余り驚かないのではないのかなと思う。

 

 

 

依存には、アルコールやニコチン、薬物などに関連する「物質系」の依存とギャンブルやネット、又は買い物などの行動や習慣に関連する「非物質系」の依存があり、やめたくてもやめることができなくなってしまった状態が依存症。

これは、何かの切っ掛けで脳内に放出されたドーパミンの影響で気分が高揚し、その高揚状態を常に欲するようになり同じことを繰り返すようになってしまうのである。

 

依存症は本人だけの問題でない。家族や周囲の人々が嘘に巻き込まれたり借金の肩代わりをさせられたり、下手をすると依存症本人が殺人まで犯してしまうこともある。

社会に迷惑をかけているのにも関わらず本人はそれを続けようとしてしまう、めっちゃ怖い精神疾患なのである。

ダウンダウンダウン

 

 

依存症は自分一人の力では克服できない。

例え水原一平被告がギャンブル依存症のリハビリをしたとしても、リハビリ後に再発を防ぐためには、彼を支える人が側にいなければならない。

もし今回彼が犯した犯罪によって彼を信用する人がいなくなってしまったとしたら、彼が依存症から立ち直ることは難しいだろうと私は思う。

 

借金を肩代わりしてあげたりすることは、依存症患者の支えではない。

依存症患者が変わりたいと本気で願うならば、彼らが変るために時には叱ってあげることも大事だし、変化が見えたら喜んであげることも必要だ。

子育てをしていくように、長い目で患者の成長を見守っていかなければならないのだと思う。

 

 

 

元プロ野球選手の清原和博さんは、2008年に引退した後に軽い気持ちで手を出した覚せい剤の依存症になる。

2014年に週刊誌に薬物依存をすっぱ抜かれたにも関わらず、彼は覚せい剤を止められなかった。そして2016年に逮捕される。

逮捕後はうつ病にもなり、自殺まで考えたそうだ。

彼を救ったのは家族と友人。

 

清原氏は破天荒な人だけれど、良い家族と友人に恵まれている。

大魔神こと佐々木主浩さんは法廷にまで足を運んでくれているし、執行猶予中の清原氏を気遣って一緒に食事に出かけてもアルコールは控えめに、そしてしっかり12時前には家に送り届けるなどダメなことはダメ!とはっきり言ってくれる真の友人である。

 

 

 

良いことだけを言っていれば人は甘やかされる。

良いことだけでなく、悪いこともはっきり指摘してくれる友人や家族に感謝をするのか、それとも嫌な奴だと遠ざけてしまうのかでその人の人生は大きく変わってしまう。

 

水原一平被告には、悪いことは悪いとはっきり言ってくれる家族や友人は存在するのだろうか?

彼を再び依存症に逆戻りさせないために、ずっと側に寄り添ってくれる家族や友人はいるのだろうか?

 

 

 

私の父は依存症ではない。

けれど、常識がおかしい神経発達症(発達障害)だ。

精神科で診断を受けて、加えて私が非常識を指摘したとき、一時期父はその指摘を受け入れて変わろうとしていた。

私はそんな父を支えるつもりでいた。

 

けれど、そんな私を非常識、欺瞞、嘘つきと非難する弟や妹と一緒に私を非難し始めた父は再び非常識を常識と思い込むようになる。

結局、亡くなる前の母から離婚を言い渡され、90歳で超熟年離婚。

少しは自分の行動を考えるかと思いきや、母が亡くなった直後に今度は、非常識な手紙を叔父夫婦(父の弟夫婦)に平気で送りつけたりした。

そしてその父の手紙の内容を擁護して、私が親戚に手紙の内容を偽証していると責めた弟と妹。(何で私が偽証とかせなアカンねん???)

 

2015年から2018年までは、孫のアリスに毎年会いたいという父の意向を酌んでアリスと一緒に父を訪ね、三人で温泉に行ったり食事を楽しんだりしていた。

けれど、2018年に突然父はこう言い始めた。

 

「金が無いならわざわざ来なくてもいい。」(え”?父、アンタが毎年会いたい言うたんやないかい!)

 

あれから6年経つ。

2022年と23年に母の葬儀と一周忌でアリスは私と一緒に日本を訪ねたが、弟から「桔梗を家に入れるな」と言われたからと、父は私とアリスが外にいるのにドアを開けるどころか返事もしない、完全無視!

自閉スペクトラム症であれば家族に対する情が薄いので、あの行為も理解はできる。

でも、理解できるからと言って無条件に父の行為を水に流せるほど私も人間が出来ているわけではナイ。

何かあっても介護なんかごめんである。

可哀そうだけれど、私を排除して弟妹を選んだのは父本人だからそれは仕方がない。

 

 

人は一人では生きていけない。

けれど、一緒にいるべき人を選ばなければ人生は好転しない。

あなたの人生が好転しないのであれば、あなたの交友関係を見直してみるのも一つの方法だと思う。

 

 

果たして、ギャンブル依存症の水原一平被告は変われるのだろうか?

 

 

 

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