東京新聞の記事で次のようなことが書いてありました。
>>>引用開始
陸上自衛隊大宮駐屯地(さいたま市)の第32普通科連隊が、X(旧ツイッター)の投稿で、アジアへの侵略戦争を美化する考えがあるとされる「大東亜戦争」という言葉を使っていた。政府は現在、公文書などでこの言葉を使っていない。自衛隊を巡っては、幹部らによる靖国神社の集団参拝などが明らかになっており、戦争への反省が薄れているとの指摘も出ている。
>>>引用終わり
「大東亜戦争」と言うとアジアの侵略戦争を美化すると主張していますが、私はそういう人に次のような質問をするようにしています。
Q1 私たちの先人たちはどこで戦ったのでしょう?
Q2 私たちの先人たちは誰と戦ったのでしょう?
質問1には、当然のごとく東アジアと東南アジアが入っています。国土が戦場になるということは、そこに住む人たちにとってはとても不幸なことが起きたました。そういう意味ではご迷惑をかけたといっても言い過ぎではありませんね。
質問2をすると、一瞬、目が宙をうきます?「あれ?」という感覚ですね。というのも先の大戦を侵略戦争と信じ込んでいる人たちにとって戦った相手がアジア諸国の国民でなければ、つじつまが合わないからです。
でも私たちの先人が戦った相手は欧米列強の将兵です。
結構 高学歴の方が学校で習ったことを鵜呑みにして、そのまま信じ込んでいるために、このような質問をすると頭の中でぐるぐると思考の歯車が回転し始め、自分が信じ込んでいることの矛盾に気づくのです。
そうです、私たちの先人たちは東南アジアや東アジアと太平洋上で戦いました。その緒戦となったのも、西太平洋上です。つまりハワイ真珠湾のある中部太平洋ではありません。これはほとんどの方が気づいておられません。
真珠湾攻撃の1時間20分前にマレー半島コタバルの英軍占領地に帝国陸軍が敵前上陸作戦を敢行しているのです。両軍の死傷者は合わせて2000名を超える大激戦の上、日本軍は敵前上陸に成功しました。
その報は当然のごとくイギリスからアメリカにも届いています。それをハワイの太平洋艦隊司令部には伝えていなかったというのが今は定説になっています。
1970年に制作された映画「トラ・トラ・トラ」で採用された説ですが、当時は異説と言われていましたが、最新の研究や情報公開法で新しい情報が開示されたためにアメリカ大統領はこの事実を知っていたがあえて隠したというのが定説になっています。
なぜならば日本軍が卑怯にも騙し討ちをした主張することが厭戦気分のアメリカ国民に参戦を決意させ、戦意を高揚させるためだったからです。それがアメリカ参戦の口実になっていました。
だから占領政策で、日本はアメリカを卑怯にも騙し討ちしたから懲らしめたという日本に非があるように世論をゆがめて誘導したのです。それが「大東亜戦争」から「太平洋戦争」へと名称を変更させた一つの理由です。
さらにそれでもわからない人がいたら、次の質問をします。
Q3 もしあの時に日本が戦争をしなかったら今頃東南アジアはどうなっていたでしょうか? 国連の加盟国は?
という質問をすると、高学歴の人ほど頭が混乱します。大戦後アジアアフリカの諸国が欧米の植民地から次々と独立したのを知っているからです。そしてそのほとんどが独立のための戦いをしたことも歴史の常識として知っているからです。
インドネシアでは、スカルノやハッタが独立宣言書を書き上げ、その宣言日を書く時に、「17 8 ’05」と書き込ます。なぜなら、数百年にわたって自分たちを牛馬のように扱ってきた西洋人の使っている暦を使いたくなかったのです。
だから皇紀で17日8月 そして2605年つまり昭和20年と書き込むのです。
日本が力で侵略し、圧政を敷いていたのなら、敗戦の二日後にわざわざ皇紀でインドネシアにとってとても大事な独立宣言書に書くはずがありませんよね。
そういうところも、戦後の日本の教育が日本人に嘘、つまりアメリカやイギリスに都合のいい歴史を吹き込まれていたからなのです。
昭和16年12月12日に東条英機首相が本大戦を「大東亜戦争」と呼称することを閣議決定したのです。そして多くの先人たちが戦ったのは大東亜戦争なのであり、太平洋戦争ではありません。
私はどんなときも「大東亜戦争」と言いますし、そうやって歴史上正しい呼称を使い続けることが正しい歴史を後世に伝えることになると確信しております。
歴史は勝者によって作られると言いますが、それぞれの国はそれぞれの歴史観を持つのが当然です。だから当時の人たちがどのような思いで戦争を戦ったかを知るように私たちも努力せねばならないのです。
もし知ったら? 決して太平洋戦争ではなく、大東亜戦争と言いたくなるでしょう。