よく言うことだけど

神様と私たち人間の価値観は違う。


平和がいい、なんて思わないし

お金持ちになるのがいい、なんて思わないし

人に迷惑をかけてはいけない、なんて思わないし

人殺しはいけない、なんてことも思わない


神様たちは

人間や地球、世界の在り方を

「見ている」の。

ただの「観察」なのね。


そして、

私たちからの願い事を

「そのまま」叶えるの。


そして叶える際、

これもよく言われることだけど

「否定形は理解できない」の。


だから

例えば

「幸福になりたい」なら

「自分の内側に思い描く幸福」が与えられるし

「不幸にしないでください」なら

「自分の思い描く不幸」が与えられる。


そして、

例えば「幸福にしてください」と言いつつ

「幸福に対する拒否感」が自分の内側にあれば

当然やってくるのは

「幸福ではないもの」です。


よく言われるのは

レストランで注文したら

注文した品が運ばれてくる。

神様もそれと同じ。


ということで

「オムライス」が欲しかったら

オムライスを注文しないとやってこない。


だけど、

「ほんとはオムライスが食べたいけどダイエットしてるからスープにしなくちゃいけないなぁ」

とスープを頼んだら

当然スープが来る。

だけど頭の中で

「私はオムライスが食べたかった!!」

って言う気持ちが残ってたら

当然やってきたスープに対して

「こんなものは頼んでない!」

ってなるよね。


また、

「食べたいものを食べるけど、

痩せたい思いを汲み取ってくれるだろう、

だって神様だもの!」と

スープを期待してオムライスを頼んだら

当然オムライスがやって来るので

「痩せないじゃないか!」となる。

(もちろん神様の価値観の中に、痩せることはいいことだ、みたいな価値観は存在しない)


こうやって文章にすると当然なんだけど

実はこんなことは

私たちの頭の中で

日常茶飯事に行われている。


もちろん神様とは

自分自身のことだ。


これだけ私たちは

神様と

乖離してるんだ。


神様は何も否定しない

太ってようが

病気であろうが

殺人を犯そうが

人をいじめようが

悪いことをしようが

否定しない。


欲しいものをくれるだけ。


それだけこの世界は自由なんだ。


不自由にしているのは

自分の「思考」そして「過去の記憶」なんだ。


ルールを決めているのは神様じゃない

全部自分。

(それとは別に「社会の決めたルール」は存在するし、悪いことをしたら捕まるよ。それもまたこの世界のルール。言い換えれば、地球ゲームのルール、です)


その、思考をフラットにすることを

「ジャッジしない状態」と言って


その何もジャッジしない状態が

神様の状態

なのだけど、


その状態の中で

社会のルールとどう関わりながら生きていくかを

自分で決めていくことが

「生きる」ってことなんだ。


神様には人間と同じ価値観はないよ。

「良い悪い」はないんだよ。


それをつけているのは

自分自身だよ。


そして、

神様は

「私たちの内側が望んだものを

文字通りにそのまま与えてくれるだけ」

だから

何をどう望むか、が

自分を活かす鍵なんだ。


そこで


自己否定や

自分の過去を否定する自分がいたら

「本当に望むもの」を

自分に与えることが難しくなるんだよ。


何が言いたいかと言うと

結局のところ

神様は「自分が望んだものを、文字通りそのまま与えてくれるだけ」だから、

つまるところ

あなたの世界を作っているのは自分でしかない。

ということ。


自分の周りを見渡してみたら

自分の内側がわかる


というのは

そういう意味でもあるんだよ。