※誤解を与えやすい記事かと思います。

この記事は被害者や被害に苦しむ方々をを貶めるものでもなく

加害を推進するものではありません。

しかし、

日常の中で意図せず「加害」する側になってしまうこともあります。

当ブログはスピリチュアル、心理、精神的修養、目に見えない世界についてお話しするものです。

そちらの視点から、「加害」を客観的に感じたことを書いてみました。


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加害について考えた一日。


加害とは「自分が誰かを傷つけたという意識」


被害とは「自分が誰かに傷つけられたという意識」


加害と被害では

この社会では

圧倒的に「被害」の方がメリットが大きい。


被害なのにメリットがあるの?


と思うかもしれないけど

現実的なお金や肉体的な損失があっても

「私は悪くない」 

という意識になるので

自分で自分をまもることができる、

同情を得ることもできる、

それが高じると

「被害者意識」になり

加害者を責めることになり

自分が「被害者から加害者になる」ことを

正当化できる。


加害者は金銭などの得はあっても

あくまでも「悪者」になる。

たいていの私たちは

「悪いことをしてはいけません」と

育てられるので

加害をしたという罪悪感で自分を責めます。

社会的にも罰が存在します。

その罪悪感から

「加害者意識」から逃れようと

「あいつのが悪い」「社会が悪い」と

「被害者意識」に

逃れようとすることも多いパターンです。

これも

「被害者」の方が精神的メリットが多いので

そうなりやすいのです。


でもね、


例えば自分がだれかを傷つけた時

「被害者意識」に逃げないでほしい。


「加害者意識」を感じてほしい。

それは

自分を責めるとか

反省するとかという意味じゃなく

「加害」という罪悪感じゃなく

「加害」からもたらされる恵みを

感じてほしい。


「被害者意識」と「加害者意識」は

プラスとマイナス

陰と陽

被害があれば加害がある

どちらが正義かどちらが悪か

という話じゃなく

同じエネルギーでベクトルが違うだけ。


被害と加害は

「善悪」という概念があるおかげで

ややこしい。


善悪という概念が

自分の内から消えたら

「加害」から

もたらされる精神的にも恵みや変容が

ある。


「加害・被害」からも

与えられる恵みがあるんだ。


精神的修養


なんて言葉が内側から湧き上がってきますが

加害者である自分を受け入れることが

またひとつ

自分を成長させてくれます。


「加害をした」


そう思う自分から

逃げない。


それもまた

大切なことだと思うのです。