素晴らしく晴れた朝

気持ちいいーキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラ

 


昨夜はお腹減ってしまって!

コレの誘惑に打ち克つのが

大変でしたよ


深夜の麺ってなんて魅惑的なんでしょうね

下矢印下矢印下矢印



で!お腹すいてウダウダした末に

切り替えて寝ちゃった私は


食欲に勝利したのです

翌朝になれば、なんてことはない

あんなにお腹空いていたというのに


アレ、なんだったっけ?と思えている。




朝からお惣菜やさんですか

デパ地下ですか


ほどの選択肢がある朝食を 

無事迎えるという喜ばしい目覚め。





んもぅ、こんなに食べきれないよーデレデレ気づき

(全部食べろとは言ってない)




でね、コレと同じことだなぁと思ったの。



私たちって自分の生まれた環境や

親や、周りの人たち、友人たちの影響で


こんな生き方を

しなきゃならないんじゃないか


と自然に思い込まされることがある。





親に言われることを聞かされて

人に褒められている存在を見て

人気のある人たちを見て

お金たくさん稼いでる人を見て

友達が結婚してる姿みて

赤ちゃんを抱いてる姿を見て

しあわせそうな家族の休日みたいなCMみたいな


恋人がいたら、愛されてるなら

こんな風に扱われるはずですよとか


こんなものを贈られるはずですよとか


成功ってこんなことを言うんですよとか。




思い込まされて

勝手に焦って心折れてしまう

自分のことをダメな存在なんだと

思い込まされている


生きているうちに私たちは

「自分はこう生きないとならない」

と思い込み




食べたいのに(満たされたいのに)

食べられないという(満たされない)




どうしようもない空腹感、飢えに

悩まされるけれど


命が終わる頃、そんなことはもう

悩みですらない。




飢えていた現実ばかりにとらわれるけれど

飢えをしのぐこと自体が目的になっていて 


本当の願いや

本当はどう在りたいか

本当は何が望みだったのかという


本質からズレたまま

飢えを満たすこと自体が目的になってしまう。







自分の人生ってさ


ビュッフェと同じで

自分が好き好んで

食べたいものを自分のプレートに載せて

自分なりの組み合わせで

めちゃくちゃ個人的な趣味と好みで

その時味わいたいと思うものに手を伸ばせばいいのに



それが得られなくて苦しくて

そうなれない自分を責めて

親を安心させたり

親の言う通り、親の願いを叶えられなくて

そんな自分を責めて

みんなと違う自分を恥ずかしんで

理想(と思わされている)の自分になれなくて

会社やめられなくて

お金がなくなるのが心配で怖くて

そんな自分をやめられなくて


どうしようどうしよう…


と思っているうちにお迎えがきて(死)

魂の自分としてはカラダを抜けたあと



アレ、あの焦りと恐怖って

なんでしたっけ???

きょとん。うさぎ



となる。






だからこの記事を読んでくれている人たちにだけはお伝えしておきたい。


人間をしてる時には(生きてる間)



野菜を食べなさい

パンばかり食べない!


と誰かに怒られても、

たとえみんなと違っても

同じ料理ばかり何度も何度もとっても


かまわないんだよ。





飢えを満たすことが

認めてもらうこと

安心すること

お金を稼ぐこと

愛してもらうことなどが


目的になってはならない


自分がどう在りたいのか

どう終えたいのかを

本当の願いを追うことを


忘れてはならない。






みんな好きなものを好きなように

好きなだけ味わうことを自分に許すんだよ  


あなたは好きなように

生きていいんだよ。



失敗したくない?

間違えたくない??



失敗した、だなんて思わなきゃいい

間違いなんてこの世に存在していないと

断言してしまえばいい。




私の辞書に失敗はありません

私の人生に間違いはありません


と、ドヤ顔して言い切ってしまえ。










食後のコーヒーを飲む頃には

人生を終える頃には


あぁ、美味しかった

あぁ、いい人生だった



なかなかの食事だった

なかなかいい選択をした


と言える自分であろう。





成功しかない

失敗なんてない


食事も人生もとても個人的なものだから

好きなように自由に生きて楽しめれば

それこそが大成功なのだと思うから。