私は依存症とまではいかずとも、依存癖は自覚している

特にペットは互いの「生」に対して共依存をしている。

自分が生きているのはペットを生かすため

小さいころからペットは、私が生きるためのに必要不可欠な存在で、それに一番付き合ってくれたのがれんたろうで。

今はゆうじろうと猫とごまことルパーコ。

働く理由も彼らを生かすために私が生きるため。

でも今、そのおかげで人生の折り返し地点を余裕で超えられている。

行動に制限はつくし、ペットに不自由も強いてしまうけど、結果今私もペットも生きてる幸せ。

強烈な愛護家からは非難されそうだけど、私はそれでOKだと思ってる。

だって辛くても苦しくても私は「生きている」からね。

私の場合、生きなければならない理由付けがペットであっただけで、それが家族であったり恋人や友人、推しでもいい。

いまのご時世、自分の人生くらい自分の為に生きられたら一番素敵なのかもしれないけど、誰かの為に生きることだって負けないくらい素敵だと思う。

てか正直な話。

どんなに煌めいてようが、くすんでようが「今生きてること」こそが人生最重要案件なんじゃないかな?

ぶっちゃけ私の中で動物愛護家、特に過激な(他者を攻撃する)人は、十中八九依存症拗らせですよ。微笑

以上、ここ最近の訃報を聞いて感じたことでした。