大正ロマン婦人世界 大正15年9月号 高畠華宵の挿絵大正15年、今から86年前の雑誌「婦人世界」掲載
高畠華宵38歳ころの作品です。夕べは来る 高畠華宵画

高畠華宵 たかばたけ かしょう (1888-1966)
愛媛県宇和島市生まれ
京都私立美術工芸学校卒、1910に津村順天堂の
「中将湯」の広告イラストで一躍有名になる。
その後、少女画報、少女倶楽部、
少年倶楽部、
日本少年などの挿絵で描かれる、美少年、美少女は
当時の若者の心をとらえ、一世を風靡した。
その画風は当時の挿絵画家に強い影響を与えたが、
現代の漫画家、丸尾末広も華宵の影響を受けたひとり。
-----------------------------------------------------------高畠華宵大正ロマン館http://www.kasho.org/bijutsukan.html弥生美術館http://www.yayoi-yumeji-museum.jp/橋爪 健 作 絵画小説「美難」挿絵
家庭教師の片桐鉄次は
初雄少年のちんまりと腫れぼったい唇が動くのを
うっとりと眺めた。
なんといふ、うぶな水々しい口もとだらう。
雌蕊のやうな柔々しいそのくびれ工合が、
誰かに、さうだ誰かに、似てゐる回想(下右)初め、初雄のくびれた唇をぼんやりと眺めていた彼は、
いつとなく美紀子の唇を思ひ浮かべてゐた。高畠華宵
梶棒(上左)彼は、生まれながらの頑健な四肢に
燃えるやうな希望を秘めながら、
梶棒を引くのであった。矢庭に……(下右)その時である。
どこからか「助けてェ!」といふ女の悲鳴が聞こえてきた。
彼は思はず俥をそこに置き放して欄干に駆け寄った。高畠華宵
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濡牡丹(上左)女は気絶するまでにはいたらなかったけれど、
濡れ牡丹のやうにぐったりと拉がれてゐた、
高貴の家の令嬢らしく、
華美な水色の洋服がぺったり吸ひ付いて、
蝋のやうな肌が透きとほらんばかり
つややかである。
髪の毛は長し(下右)年の頃は二十歳前後らしいが、
形よく裁った断髪が漆のやうに濡れて、
くきやかな襟足にぴったり密着いてゐるためか、
十六七にしか見えない。
園見男爵家(上左)真っ先に駆け寄ったのは、
茶っぽいホームスパンの半洋袴(ニッカボッカ)をはいた
可愛ゆげな少年である「可愛ゆげな少年」かぁ。
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高畠華宵1・月光 雑誌 月光の表紙 昭和59~60年 東京デカド社発行
高畠華宵描く美少年 037 イラストレーター
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高畠華宵2・月光 雑誌 月光の表紙 昭和59~60年 東京デカド社発行
高畠華宵描く美少女 039 イラストレーター
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