↑お見舞いに貰った石鹸の薔薇💜


前回の記事はこちら→出産記録①




緊急帝王切開の宣言されるなり突然病室内に人が溢れた。

わたしも慌てて夫に連絡。9時過ぎのことである。手術まで1時間を切っている、だと……!?

もはや支度は途中で放置。私はベッドに横になり、助産師さんたちが3人がかりで採血や点滴や血圧を測りわたしの準備にかかる。

夫は出張先から丁度新幹線が駅に着いたところだったので、病院に直行してもらった。

立会希望の場合、手術の30分前に来ていてくださいと事前に説明があったから間に合うかなと不安だったけど、丁度30分前に夫も到着。


わたし「ランドリーに……洗濯物がはいってるんだ……」

乾燥機に掛けてきてもらいました。笑



人生初の手術服に着替え、着圧ソックスを履かされ(1人では履けない程の着圧らしい )、引くほど太い点滴針を刺されて手術室へ。(出産のときにしか使わないレベルらしい)


ちなみにわたしは34年生きてきて、今まで転ぶ以上の怪我をしたことの無い人間である。

初の手術がお腹も内臓もかっさばいて赤ちゃんを取り出す事である。

普通に怖い。

でも命とでは天秤に乗せるまでもない。


手術台に乗せられて心電図ペタペター

丸くなって硬膜外麻酔を背骨の隙間に注射。正直右手の引くほど太い点滴針が地味に痛くてここまではなんにも痛く感じず。

その後両腕をマジックテープで固定される。足元の台も開く。ダ・ヴィンチの有名な絵を思い出してしまったw



マジでこんな感じ。


あとは麻酔がきいてるかの確認で、お水を含んだコットンを顔と交互に色々なところにあてて、これは冷たいですか?ぬるいですか?ときかれる。

感覚はあるけど全部ぬるい。

足を動かしてください→うごかないです→OK、はじめます。


ここで手術用のシートをどこにかけるか聞かれる。自分の方にかけてもらった方がテントみたいで安心できそうなのでそうしてもらった。(手術室はとても明るくて広い)

ここで立会人(わたしの場合は夫)が入室。ピンクの不織布の服を着せられていた。かわいい。笑


じゃあはじめますと言われた頃にはもはやわたしは半分ぼんやりしながら、バースプランの変更は伝わっているのだろうか……などと考えていた。

いまからメス入れまーすとか言われたら怖いなぁ~などと思いつつ。

しかし5分後くらいに突然「もう出ますよー」と言われた後ものすごくお腹の中が引っ張られて、未知の感覚に(°д°)!?ってなった。2回ほど。

多分1回目で赤ちゃんが取り出されて、2回目で胎盤が取り出されたんだろうと思われる。

でも健康な前歯抜いた時の頭蓋骨引っ張られる感よりは全然ましなのであった。


執刀した先生(わたしに入院しましょうと言った先生だった)の第一声

「臍の緒ほっそ!!」

「胎盤もちっちゃいね~これは赤ちゃん小さいわけだ~」


現代のエコーでは臍の緒や胎盤は見ることが出来ず、出てきた時に原因がわかることもある、あなたは原因が分からないから多分胎盤だね~と言われていたのでここで納得。

臍の緒を太くすることも、胎盤を大きくすることも、わたしにも赤ちゃんにも医学にもどうしようもできないので、わたしの場合やはり帝王切開で産んでから大きくするのが最善だったのだと思われる。


布の向こうで赤ちゃんのちっちゃい声がほにゃ~ってたまに聞こえる。かわいい。まだ肺が発達しきってないから大声で泣かないのかなあ?

そちらは新生児科の医師が見てくれている模様。

赤ちゃんの体温に合わせて部屋の中は暑い。わたしは麻酔がきいてて体温が下がってるから適温くらいに感じる。


「小腸よけて~」などの声をききつつ綺麗にされて保育器に入った赤ちゃんがわたしと夫の前に連れられてくる。

私の台の位置が低くて、あんまりよく見えないけど横顔は見えた。

どうにか見せてあげよう!って色々してくれたけどあんまり見えなかったw

産道を通ってない赤ちゃんはすこしも苦しまずに産まれてきて、頭も変形していなければ浮腫もないから目も腫れてない。きれいな赤ちゃん。そして小さい。1504g。平均の半分サイズ。

あと4g軽かったら、「超低体重児」になっていた。

スティックシュガー1本より小さな差だけで。


赤ちゃんと共に夫が手術室を出ていく。わたしの避けられた小腸はとっても綺麗な色をしていたらしい。笑

ここからおそらく次の麻酔が入ってきて、わたしは数秒ごとに目が開けられなくなっていく。なんだか面白い感覚である。耳は聞こえる。でもさっきは動かせないのは胸からしただけだったのに、もう手も動かせない。どんどん視界が暗くなるのは目が開けられなくなっていくからかなあ、などと考えつつ縫い終わった、いいね完璧 という声をきく。


ストレッチャーで安静室に連れていかれる。横にもう1人だれかいる気がする。

ほかの部屋でも帝王切開の手術があったんだろうなあなどと思っていたら、集中治療室にうつされた。

安静室には20分くらいいた気がする。

意識が無くなると思ってたから、意識があることに不安があるw

廊下をストレッチャーで行ってるのすごい重体患者感すごくておおう……ってなった。MFICU(母親の集中治療室)についたのがわかったし、そこで三本の点滴が下げられたのも覚えてるけど、

なぜかストレッチャーからベッドに移動したときの記憶はゼロ。

気がついたら、夫と母がNICU(赤ちゃんの集中治療室)からMFICUに移動してきたのがわかった。

母はたまたまわたしの面会時間に合わせて来ようとしていたので、赤ちゃんに会えなくてもわたしの顔を見に来るといって予定通り来てくれたのですが、夫がその場で面会予約を取ってくれたのですぐに赤ちゃんに会うことができたそうです。

ナイス👍👍👍


この時の写真が、産まれてから1週間で1番綺麗に撮れていたので、本当に母に感謝です😊

写真を見せてもらったりしていたのですが、突然気分が悪くなって、そっと寝落ちるなどしていた。

麻酔のせいで時々吐きそうになると、嘔吐反応でお腹がグッと動いてしまうので痛いし気持ち悪いししんどさの極み。

それでも誰かいる時は気が紛れるし、頼み事ができるからまだいいのですが

本当の地獄は夜からだった……。




点滴3本から始まり、動けないため浮腫で血栓ができないよう着圧ソックスをはいて、更にマッサージしてくれる機械がつけられる。

感覚がもどってきても、動けない。振動が地味に傷に響く。でもどうしようもない。動けない。

点滴の灯りが点滅して眩しい……。手術前隣のベッドの人、いつも夜通しテレビ見てるなと思ってたけど完全にこのモニターについてるランプの点滅じゃん。あの人もテレビじゃなくて点滴だったのか。などと思うなどした。

スタッフさんが点滴パックを変えたり血圧を測ったりしに結構な頻度で訪れる。時計は見えないので体感。

同じ方を向いてると良くないと言うので、背中にクッションを入れてもらい、反対側を向く。ベッドサイドにあるテーブルを自分の前にに持ってきてもらう。

入口が見える。あまり眩しさは変わらないというか、点滅って気になるね。

そんな感じでぼんやりウトウトしていると誰かが様子を見に来る。少し目が覚める。下になってる肋骨が痛い……。反対側を向きたい……。誰かが来るのを待つ。待ってると長い。

助産師さんが入ってくる。点滴を変え終わったタイミングで声をかける。

体勢を変える時絶対痛むから、手元の自分で入れる麻酔ボタンを押す。

というのを何回も何回も繰り返し、そろそろ夜が明けたのでは?と思って時計を見るもデジタルで見えない。

携帯をそっと開ける。



20時



泣いた。

泣く以外に出来ることなんにもないんですよ。

そら赤ちゃんも動けないんだから不快感ひとつで泣くわ。(2回目)

2回目どころかこの日1日で100回思った。

動けないんじゃあ赤ちゃんも泣くわな。(3回目)



上記を繰り返しているうちに夜明けまでなんとか漕ぎ着ける。

でも反対側を向いた時に手元に麻酔のボタンがないと不安で不安でもうなにもできなくなるので、寝返りを打つ時にお願いしたのは

・反対向きたい

・背中に枕入れて

・テーブルも反対側に持ってきて

・手元に麻酔のボタンを置く

こんな面倒くさいオーダーを、本当に嫌になるくらい何回も頼んだ。申し訳なかったけどできないと本当に無理だった。

自分の体が思い通りにならない苦痛。泣く。



麻酔の多用のせいか吐いたりしながらようやく明け方を確認。

時折意識が落ちて寝られるけど基本的に寝られない。

ようやく2日目を迎える。

ぼんやりとしか記憶が無いので諸々あんまり覚えてないw


手術の翌日は重湯とスープとジュースが朝ごはんに出た。

重湯って初めて食べたけど意外と美味しい。美味しいけど食べられない。

二日間近く絶食になるのがとても不安だったけど正直それどころではなかった。お腹が空くなどと気にならないほど憔悴している。

でもなんとか寝返りくらいは一人で打とうと思って、腕の力を駆使していたら、明け方までパンパンに浮腫んで痛かった手がお昼にはスッキリもとの手に戻っていた。




余裕がないから写真もほぼない。゚(゚^ω^゚)゚。
写真あっても紙のような顔色をした生命力の感じられない私がいるだけだけど😂

つづく。