ちっちゃいことって大きいことだと思うんです。人は一人では生きていけないってみんなわかっていて、だからなんとかお互い顔色を見て、傷つけあわずに生きていこうとするのだけど、ちっちゃいことって本音だから、隠せないし本音だから出てきちゃううし、見つけちゃう、そうなると指先のささくれ見たいに真面目に痛くなったりする。痛いと不機嫌になる、基本形としての不機嫌。

例えば皆さんに、そういう経験があるかわからないけど、何か鉢植えの観葉植物を枯らしちゃったとする。もらいものだからそれほど心が痛まない。でもそのまま放っておいたら何だかよくわからない雑草がニョキニョキ生えてきて、そっちの葉っぱの方が好きになっちゃう。名前も知らない草なのに白いつぼみまで付け始めた。そのたくましさ奔放さが気に入ったし、誰にも大事にされない所や、頼まれても居ないのに出てきちゃった所が愛おしい。それで、その鉢を捨てられなくなって、時々水をかけてその雑草に言葉まで掛けるようになった時、家の人が全部むしっちゃったりする。だらしないからかたずけて置いたよって。こういうことがきっかけになって口をきかなくなったり。きっと他人が聞けばワガママだって逆に叱られちゃうようなことなんだろうけど、いやいや、実に人間はこういったちっちゃなことが噛み合うかどうかが相性というやつで、これがなかなか難しい。家族なら合うのかというと、ほとんど無理だし、どうしてあの親からこの私が(向こうは、どうして私からこの子が)といったケースばかり。


従って人の普通の姿はまぁ化粧をせずに生きていこうとすれば、不機嫌に貫かれることになるねね。

だから不機嫌は正しいのです。

機嫌のいい絵描き・機嫌のいい詩人・そんな人がいないのと一緒で、ちっちゃいことを大切にしようとする人は普通は機嫌が悪い。


だけど、人は一人じゃ生きていけないから、何とか堪えてニコニコ笑おうとしたりする。

好きなものを頭に描いて、好きな自分にかわろうとして。


ある人から言われた言葉、

「人はやりたくないことはやらなくていい」

「自分がやりたいことをやりなさい」

これはちっちゃくて大事なものを台無しにされてきた人の言葉。

発言した人の心の痛みと、辛さを感じて悲しくなった


たくさんのささくれのなかを歩いてきたからその言葉を与えられる人なんだと思う。

ものがわかっている人の方が実はとても辛かったりすることもある。


メルヘンって言葉はドイツ語で、メルがお話という意味。ヘンはちっちゃいという意味の接尾語。

つまり小さな話、短い話というのが本来の意味だけど、私は、小さいことを大切にする話だと勝手に思っている。


ちっちゃいものは、胸の中でずっと呼吸を続けている。

可愛がってあげてね。