よく見に行っているブログで

宗教とモラルについて書いてあったのを読んでちょっと考えて見た。


モラルっていうのは、人々の倫理観だからねえ。

「今の社会のモラルを遵守する人々」に関してなんだけれど、
もしもモラルが真逆の世界に生きていたとしたら、
精神病として逆に病院に閉じこめられたりするという意見には懐疑的です。
彼らは、世界が違っても、
やはり同じようにその世界のモラルを遵守するような気がしてならない。

ヒットラーが世界を煽っていた頃、熱狂的にはまっていた人っていうのは
カレを「正しい」と信じていたからなんじゃないだろうか?

世界がぶれたとして、それでもまっすぐ立っているというのは、
なかなか普通の人には出来ることじゃあないような気がします。

残酷な慣習を持つプリミティブな部族があったとしたら、
そこの部族に生まれた人たちはみんなその慣習を守っていくわけじゃない?
「他の生物は実際共食いもあるし」というけれど、
カニバリズムを持つ文化って人間でも散見されるよ☆。

まあ、いずれにせよ、モラルというのは難しいね。

宗教というのは、そういう意味では非常に便利な存在かもしれません。

例えば平気で殺人をするような人たちがいたとして。
「殺人をすると地獄に堕ちて永遠に焼かれるぞ」と言うのは効果的ですね。
だって、誰も死後の世界なんてみたことないんだから。
(この場合、臨死体験したような「半死人」は除きます。)
あるいは、「自分の殺人を悔いて、以後優しい人になった」ような人に、
阿弥陀様とか天使様とかが現れて、なんか良いことをしてくれたり、
天国にいけちゃったりする、という話も効果的です。

「なんで人を殺しちゃいけないの?」
という問いに関して、あたしたちはあまりにも無力だからです。

「ダメだからダメ」だと説得力にかけるし。
「あなたが殺されたら痛いでしょ?」って言っても、
ちょっとそういう話とも違う気がするし。

こんなに各宗教・各国の法律がこぞって「殺人はダメ」といっても、
それでもなくならないってことは、
なんか必然性があるんじゃないかとか、
人というモノは、殺人をしないと論理矛盾になる存在なのかもしれないとか、
そんなことまで考えてしまう程です。

「殺してはダメ」って言っても、
「殺した方がよりよい世界が作れるから」という大義名分だとか、
「神さまの為の聖なる戦いなのだ」という思いこみだとか、
「敵討ち」だとか「プライドの問題」だとか、
まあ、いろんな理由で、なくならないものなのですよ。
抑止力があってすらこうなのですからね。
なかったらどうなんでしょ。こわいもんです。

ま、無駄話はともかくとして、
「こうしないと天罰がくだるぞー」というのは、
モラルの統一にはとても都合のいいものだろうと思われます。
「神さま」という形を借りた方が
モラルの統一がしやすいという点で評価しています☆。

文化がいろいろだから、「神さま」もいろいろになってしまうんだろうけれどね