不育症…。


それは1つの命をお腹から失ってから知った言葉。

不育症は流産、死産を繰り返し生児を得られない状態を言うそう。
2回までの流産は確率的にあり得るので3回の流産を繰り返したら不育症を疑い検査をした方がよいらしい。
また、12週以降の原因のわからない流産、死産の場合は1度でも不育症と言えるらしい。


12週…。


あの子を失ったのは12週ちょうどのこと。



私には子宮奇形という不育症たる理由があった。
でも、自分が不育症だとは受け入れられなかった…。



子宮だって、エコーで見えづらくて、本当は普通の子宮でしたって言われるかもしれない。

子宮が少し人と違くても問題なく赤ちゃんを産んでる人はたくさんいる。
たまたま運が悪くて流産してしまったのかもしれない。



ハルのことを悲しむ自分と、
早くハルを取り戻したいから次の妊活に進もうとする自分。
そして、流産、不育症を恐れる自分。



ごちゃ混ぜの心のまま、なんとなく過ぎていく日々に少しづつ慣れていった。


泣く回数は減ったけど、とにかく人に会いたくなかった。
会話したくなくて、買い物でさえ嫌だった。



ほとんど旦那さんとしか会話せず1ヶ月が過ぎた頃。


やっぱりこのままじゃだめだ…。



社会から取り残されたような感覚に危機感を感じて、とにかく仕事をしてみようと思った。


でも、人とあまり関わらず少しづつ、人と会話する練習になる仕事を…。
 



選んだ仕事は倉庫内のピック作業。
黙々と指示された品物を選び、運ぶ作業。
時間は午前中のみ。


ハルを亡くしてから2ヶ月がすぎ、すっかり秋の空に変わった10月にリバビリのつもりではじめた。



私は妊娠するまでは保育士として、こどもや保護者、保育士仲間たちと毎日笑顔でたくさんの会話をして人と深く関わる仕事をしていた。



なのに、今は誰とも話さず、関わりを最小限にして仕事をしている…。
周りもやはり訳ありの人ばかり。



なんで、私はこんなところにいるんだろう…。



時々押し寄せる惨めな気持ちに耐えながら、働いて、家事をして、少しづつ普通の生活を取り戻した。




流産くらいでって思う人もいるかもしれない。
でも、私には辛くて辛くて、今でも思い返すと胸が苦しくなるほど、つらくて暗くて、どんぞこの日々だった。



不育症については1度、大学病院でエコーで子宮を診てもらった。
結局は子宮奇形があるが、妊娠に関わるほどの奇形ではなさそうだとの診断。
次の妊娠をしてみて、また流産を繰り返すようなら考えようという話だった。





そうこうしていた12月に、また2度目の妊娠がわかった。