前回の記事で触れた曹休のお墓発見についてー。

元ネタ記事はコレです。


河南省文物局は17日、同省洛陽市孟仁県で、「三国志」で有名な曹操の一族である曹休の陵墓を発見したと発表した。
  同陵墓の所在地は、洛陽市孟仁県宋荘郷三十里鋪村。現地には漢代皇帝の陵墓群があるが、その東側という。多くの墓室があり、墓全体の大きさは東西50.6メートルで、南北21.1メートル。地表からの深さは10メートル。
  墓の中には人骨が散乱しており、50歳前後の男性のものと、40歳前後の女性のものと確認された。墓質内で見つかった銅製の印にあった「曹休」の文字から、葬られていた人物が特定できたという。



経国之大業


三国志フリークとしては、こういう関連話題が日本で取り上げられるのは嬉しいです。

どうやら現地では今、古代ブーム?というか何か発掘が流行ってるらしくて。

でも、むやみに墓を掘り起こすのもどーなの・・・と矛盾した心境になります。

そもそもブームなんて言う前は散々に名所潰して遊園地作ったり畑作ったりしてたじゃーん・・・。

遊園地=趙雲の墓

畑=石兵八陣

と聞いたよ・・・現地の人ではないので詳細や真偽は知れませんが、本当ならヒドすぎる。


話を戻して陵墓発掘ね、曹丕の「薄葬詔」の言葉だけど、発掘や改変を加えることについて

「吾為戮尸地下、戮而重戮、死而重死。」(死してなお辱められ、殺されるようなもの、みたいな意訳)

と書いていて、まさにその通り冒涜だと思うんですよね。

ついでにこの次にさりげなく怖いことを言っている(笑)

「使死者有知、将不福汝。」(死者本人が知ったらあなたに福はない)

興味本位で発掘とかできねぇぇぇ(笑)

詔の最初の方で「骨無痛痒之知」(骨は痛くも痒くもない)と言ってる辺りとか曹丕ってスピリチュアル的なものは信じてないのに、たまにこう言及する辺りが面白いんだよなぁ。

老子の思想に近いような気もする。

不老不死が徳だ云々言う道教とはちょっと違うけど、ありのままを受け入れる姿勢とかがね。

この曹休の墓は薄葬ではないのかしら?写真見た感じだとずいぶん大きいんだけど。

印の他に何か出てきたのかな~。

そもそも当時はまだ儒教が主流だったから薄葬自体が珍しいのよね。

それにしても主君の命日に話題が上がるなんて、曹休は曹丕に何か物申したいことでもあったのか(笑)