古本屋にて、歴史群像シリーズの三国志下巻を購入。
90年頃に出版された雑誌ですが、読みごたえ抜群です!

曹操が帝位につかなかったのは何故か、は、昔から議論されているのですね。
たくさんの研究者の方の論説が載っているのですが、曹丕の禅譲は主に体裁のために芝居を打ったとの見方をされていました。(立間先生もそんな事書いてました)
まぁ、曹丕自身に私欲があったかはともかく、帝位を戴くことは父曹操の指針ですから…より穏便に、その任務を遂行せねばならなかったのでしょうね。
でもあんまり簒奪者簒奪者言わないであげてください皆様…乱世を憂う様子が詩に表れまくってるデリケートな曹丕様のために(笑)
結果的に劉備や孫権の皇帝自称に繋がってしまったのはまずかったですけどね。
統一してないから魏は正統な王朝じゃない!とも言われちゃうくらいですし。
「曹丕のやつがやってるから自分もー」って大人気ないよ劉備孫権!(笑)
そんなら私も皇后自称するわ!(笑)
と、冗談もほどほどに…劉協が帝のままでも結局は実権は曹家にあった事は間違いないわけで、そこで大きく歴史が変わったかというと実はそうでもなかったんじゃないかな。
劉備孫権の皇帝自称がなければ「三国時代」という括りはなかったけれど。
魏呉蜀の三国の争いか、漢の内乱か、そのニュアンスの違いで結局のところ戦争自体は同じ事やってたと思います。
王朝が代わるというのは世襲的な意味で大問題といえば大問題ですが、この場合そこは優先的に問題視すべきだったのかというと微妙です。
簒奪か禅譲かと議論する以前に、漢王朝が収拾つかないくらい乱れ出して曹操が頭角を顕してからは必然的な流れであったと感じてしまいます。
曹操もかなり唯才主義な人物でしたが、この時代というものが収拾つけるために単純に才ある者のみを求めたんですよ。
劉備だって最終的には諸葛亮に、「息子が暗愚だったらそなたが国を担ってくれ」くらいの事を言い遺しましたし。
それで結局は曹家と同じやり方で司馬家が統一成功するので、やり方自体は間違えてないのでは。
この点に関しては何を言っても賛否両論になりそうですが。。

他にも屯田制や九品中正など、当時を知るのに欠かせない制度の詳しい説明もあったり、三国時代に関する研究に何かと役立ちそうです☆