ちょっと面白い詩を。
遊仙詩というと曹植のイメージが強かったりしますが、実は曹操もこんな詩を遺しています。


精列 曹孟徳

厥初生
造化之陶物
莫不有終期

莫不有終期
聖賢不能免
何為懷此憂
願龍之駕
思想崑崙居

思想崑崙居
見欺於迂怪
志意在蓬莱

志意在蓬莱
周孔聖徂落
會稽以墳丘

會稽以墳丘
陶陶誰能度
君子以弗憂
年之暮奈何
時過時來微

-----------
厥初に生ずるや
造化のつくりし物
終わるとき有らざるはなし
終わるとき有らざるなきは
聖賢も免かるあたわず
何すれぞ此の憂いを懐かん
願わくは龍に之れ駕し
崑崙の居を思い想う
崑崙の居を思い想うに
迂く怪しきに欺かれん
志意は蓬莱にあり
志意は蓬莱にあれど
周孔は聖なるに徂落す
会稽は墳丘をもってす
会稽は墳丘をもって
陶陶と誰か度すあたわん
君子は憂いなきをもってす
年の暮るるを奈何せん
時は過ぎ時は来たるや


曹操の詩は、龍のように豪勢なものを描く、スケールの大きい表現が目立つ気がしますね。
また、永遠でない人の命の儚さ(これは曹丕の文にもよく見られる)もよく詠まれています。
神仙に憧れるがそうもいかないと、理想と現実の狭間で悩み、落胆する詩人の心がここには表れてます。
ところで、曹操の詩は全て音楽に合わせて歌われたものだそうですが、この詩はどんなリズムで奏でられたんでしょう。
便宜上区切ってみましたが、同じフレーズが言葉遊びのように繰り返されるんですよね。
区切った通りそのフレーズに合わせるとすると、段落のまとまりがばらばらになります。
そもそも五言詩といいつつ出だしは三言で始まってるという。
曹操の時代はまだ詩の形が完成されてない(というか六朝に通じる基盤を作ったという意味で寧ろ曹操が先駆者)ので、形式的な事を突っ込むのは野暮なのかも知れないけど。
神仙の世界という概念が当時は当たり前にあったようですが、曹操までもが触れるとは意外ですね。
不可能だと認識しているとはいえ。
曹植は自分の詩を美しく見せるポイントを知った上でファンタスティックな遊仙詩を作っていたように思えるけど(笑)
そもそも左慈とかは実際…どうだったんでしょうね。。
単純に今も昔もファンタジー物は人気、というだけなのか、謎です。