表題の本を図書館で読んできました。

安西篤子さんという方が書かれています。

その場で読んだので手元に本が無いので、ホントに適当な感想しか書けないですが、良かった!うん。


曹丕のパパコンプレックスが色濃く表れていました(笑)

曹操に褒められたくてとにかく良い子ちゃんして頑張ってる幼少曹丕が健気です。

そして、曹昂と仲が良かったんだけど、例の戦で曹昂は父を庇って亡くなります。

決して曹操は曹昂から無理矢理馬を奪ったわけではないけれど、生き延びるために、覇業を成し遂げるために愛息子の犠牲すらやむを得ないとする曹操に対して、曹丕はここで畏怖を覚えます。

そしてそれが呪縛のように、皇帝即位後の親族への待遇に表れる。

最期まで父に心から愛されることはなかったと思ったまま。

しかし自分が親になり、曹叡と一緒に鹿狩りに出かけた時にある事に気付きます。

例の、曹丕が母鹿を射殺して曹叡に子鹿を射ろと命じた時、曹叡が「母を殺されているのに、子まで殺すなんて」と言う話ですね。

恐らく母鹿=甄皇后、子鹿=自分を重ねたのではという見方が強いです。

曹丕はこの発言を聞いて、曹叡を後継ぎにしようと決心したという説もあります。

この小説の中では、ここで父親になった現在の自分と曹操を重ねます。

父は自分を愛していなかったんじゃなくて、手をかける必要がなかっただけだったんだ、と。

まぁ今じゃ手のかかる子ほど可愛い、なんて言葉もあったりしますけど。


私は、三国志に興味を持って5年間、覇業のために愛する者だろうと犠牲にするという理念が、どうしてもずっと理解できませんでした。

それは乱世だから、今とは常識そのものが違うから、と逃げるように片づけてきました。

でも、1800年前だって現代だって、乱世だって治世だって、人間は人間なんだと数々の小説を読んで気付いてきました。

もちろん私が読んでいる小説は殆どが今も御存命の方が書いている、現代の小説です。

それでもどの作品の人物にもカンタンには言い表せない「心」がある。

作者一人一人の解釈に違いはあっても、心を持って、葛藤を持った人物達がいる。

そして本人が書き遺した詩賦を読んで、私の解釈は決定的なものになっていった。

人の気持ちが分かるほど私は出来た人間じゃないですが、考える余地はあるんだと思いました。


例えば現代の会社での「クビ」は昔の「首斬り」から由来しているように、現代で本当に殺してしまう事はまず無いですが、「斬る」行為は私たちも日常的に行っているんです。

生き抜く事そのものが、沢山の選択肢の中から選んでいく事で、苦渋の決断を強いられる時も少なくない。

人に依存するか、自分自身を立てるか・・・現代で言えばそんなような決断が、曹操や曹丕がした事であり選ぶべき手段だったのではないでしょうか。

自分の意に沿うかどうかは別として。

後世の評判では非情だと謗られる行為だとしても、涙ひとつ流さなかったわけではないような気が私にはしてるんです。

正しい道と分かっていても、その道を選ぶのは辛い。

だから常人は他のところに妥協してしまうんですね。