三国志街道などでもしばしば議題にされる「泣いて馬謖を斬る」について。
自分が孔明の立場だったら、馬謖を斬るか斬らないかという議論ですが。
私は、斬ります。
蜀は人材不足だったし、一人でも多く補佐する者がいれば孔明の寿命ももうちょっと伸びていたかも知れない。
そういった考えも踏まえた上で、斬ると判断したのは、馬謖の性格も加味して「再犯を恐れるから」。
表面的な理由として、もちろん軍の規律というものもありますけどね。
この時の孔明の涙のわけには二つの説があります。
一つめは、孔明は馬謖をとても可愛がっていたから。
二つめは、馬謖に重要箇所を任せるという失策をした、自らの不明のため。
孔明は同時に責任を取って自分の位をも降格させているので、後者の説が有力とされています。
私は敢えて、「どちらも」という選択肢を提唱します。
これだから文学者は・・・と非難されるかも知れませんが、何度も言っている通り、公と私をどちらも持っているのが人間で、何かを決める時の理由だって考えだって、たった一つで済まされるほど単純じゃない。
私が孔明の立場なら、どちらも理由になり得ると思います。
そして、期待したのに指示を無視され裏切られた、という絶望感にも苛まれると思うんです。
赦して、また同じ事があったら。
街亭の失敗は蜀の北伐失敗の根本的な原因とも言われるくらいなのに、その度にどんどん国力は疲弊していく。
この懸念が公の部分。
そして、何度も命令を反故されては自分も責任を感じる精神的苦痛で、余計に寿命も縮まりかねない。
これが私の部分。
人材不足の蜀にあって、自分は絶対しっかりしてなきゃっていう強い使命感も孔明にはあったと思いますから、それだって十分な理由になり得る。
あとは、斬られる側の気持ちと意識ですが・・・これは難しいですね。
個々の性格や考え方にもよるだろうけど、信用を失い居場所を危うくしながら生かされる方が残酷だ、と考える人もいるかも知れません。
特に、小さい会社なんかでの話じゃないですからね。相手は天下の諸葛亮。
同じように、曹丕が甄皇后に死を賜ったのも、非難しきれずにいる自分がいます。
ここからは完全に私の考え方で、良い子は真似しちゃいけませんなんですけれども。
長年信頼し合った、愛し合った、その暁に何らかの理由で突き放されるくらいならば、自分のために手を汚してくれた方が優しさだと感じてしまいます。
失くしたまま何十年も傷を抱えて生きていく方が辛いです。
戦を間近で見て、常に表裏一体な生と死を肌で感じていた時代の彼らなら、なおさら強くそう思っていた者がいてもおかしくない気も。
うーん・・・いつか私、男に刺されるかなぁ(苦笑)