三国志フェスで発表できなかった洛神賦について…もったいないのでここに書いちゃいます。
自分のブログなので自由ですよね(笑)
タイトルがふざけていますがいいんです、キャッチーな内容にしたかったので。
夢小説は皆さんご存じですかね?
同人サイトなどでよく見かける、小説の初めに自分の名前を入力すると、好きなキャラクターの相手役が自分の名前に切り替わるアレです。

【テーマ】兄嫁・甄氏への隠恋慕

また大層なタイトルをつけてみましたが、やっぱり一番面白いのでこの説で話を進めていきます。
兄である曹丕の妻・甄氏をモデルに詠まれたという説ですね。
このように考えられる理由となる部分を引いてきてみました。

一.「洛水の女神」描写のリアリティー

其形也,翩若驚鴻,婉若遊龍。榮曜秋菊,華茂春松。髣彿兮若輕雲之蔽月,飄飄兮若流風之廻雪。
遠而望之,皎若太陽升朝霞。迫而察之,灼若芙蓉出淥波。
襛繊得衷,脩短合度。肩若削成,腰如約素。延頸秀項,晧質呈露。芳澤無加,鉛華弗御。
雲髻峨峨,脩眉聯娟。丹脣外朗,晧歯内鮮。明眸善睞,靨輔承權。
瑰姿艶逸,儀靜體閑。柔情綽態,媚於語言。奇服曠世,骨像應圖。披羅衣之璀粲兮,珥瑶碧之華琚。
戴金翠之首飾,綴明珠以耀躯。踐遠遊之文履,曳霧綃之輕裾。


《訳》その姿かたちは、不意に飛びたつ雁のように軽やかで、天翔る龍のようにたおやか。秋の菊よりも明るく輝き、春の松よりも豊かに華やぐ。うす雲が月にかかるように朧(おぼろ)で、風に舞い上げられた雪のように変幻自在。
遠くから眺めれば、その白く耀く様は、太陽が朝もやの間から昇って来たかと思うし、近付いて見れば、赤く映える蓮の花が緑の波間から現われるようにも見える。
肉付きは太からず細からず、背は高からず低からず、肩は巧みに削りとられ、白絹を束ねたような腰つき、長くほっそり伸びた項(うなじ)、その真白な肌は目映いばかり。香ぐわしい脂もつけず、白粉(おしろい)も塗っていない。
豊かな髷はうず高く、長い眉は細く弧を描く。朱い唇は外に輝き、白い歯は内に鮮やか。明るい瞳はなまめかしく揺らめき、えくぼが頬にくっきり浮かぶ。
たぐい稀な艶(あで)やかさ、立居振舞いのもの静かでしなやかなことこの上ない。なごやかな風情、しっとりした物腰、言葉づかいは愛らしい。この世のものとは思われない珍しい衣服をまとい、その姿は絵の中から抜け出してきたかのよう、きらきらひかる薄絹を身にまとい、美しく彫刻きれた宝玉の耳飾りをつけ、頭上には黄金や翡翠の髪飾り、体には真珠を連ねた飾りがまばゆい光を放つ。
足には「遠遊」の刺繍のある履物をはき、透き通る絹の裳(も)裾(すそ)を引く。


絵に描いたように具体的な表現が並んでいます。女神のルックスの話だけでこれだけの尺を使ってるわけです。
美人で、高貴な女性のイメージが表れてますね。
曹植の文才を以てすれば架空でもこれほどのイメージを描けると言ってしまえばそれまでですが、実際に見てきたものを並べたのではと考えられるのが一般的で、まずここでモデルの存在が示唆されてくるということになります。
次に、彼女を人間の女性ではなく女神としたこと。
主人公の自分との間柄にも注目です。

二.人間と女神、叶わぬ禁断の恋

執眷眷之款實兮,懼斯靈之我欺。(中略)洛靈感焉,倚傍徨。(中略)恨人神之道殊兮,怨盛年之莫當。
抗羅袂以掩涕兮,涙流襟之浪浪。悼良會之永絶兮,哀一逝而異郷。
「無微情以効愛兮,献江南之明璫。雖潜處於太陰,長寄心於君王。」
忽不悟其所舎,悵神宵而蔽光。


《訳》私は切々たる慕情を抱いているが、一方で、この女神が欺くのではないかと不安を覚えた。(中略)洛水の女神は、私の態度に感じ入り、立ち去る様子もなく辺りをさまよう。
(中略)そして、人と神との越えることのできない隔たりを恨み、二人で楽しい時間を過ごすことはできないことを嘆くと、薄絹の袖をあげて咽(むせ)び泣き、涙ははらはらと襟にこぼれ落ちる。
これから先は逢瀬の途絶えてしまうことを悲しみ、ひとたびここを去れば、住む世界を異にすることを哀しんだ。
「これより先は、ささやかな愛の言葉も語れません。今、江南の真珠の耳玉を献じましょう。たとえ、姿は鬼神の住む世界に隠れてしまっても、心はいつまでも君を想っています」そう言い残すと、女神の所在は分からなくなり、悲しくも幽暗のうちに、その光芒を沈めてしまった。


二人は決して結ばれてはいけない運命にある、ということ。 「住む世界を異にする」というのは、言うなれば帝の正室との身分の違いではないでしょうか。
実際に、実は甄氏も陰ながら曹植を慕っていた、なんていう話もあるようです。
陳舜臣先生の『曹操残夢』にもそういった流れがありました。
相手も自分のことを想っていたというのは曹植の願望からきたのか、それとも本当にこのような会話が交わされていたのか、詳しくは不明ですが。
女神が自分の世界を「鬼神の住む世界」と言っているのも引っかかりますね。
そのように喩えることが曹丕へのささやかな抵抗だったのかも。