文は気を以て主と為す。
曹丕が「典論」の中で書いた言葉です。
この「気」って何?と質問されたことがあります。
これが、どうにも口頭で伝えるには難しくて。
人によって微妙に違う呼吸法とか発声のニュアンス…とか言ってもピンと来ないんですよね。

譬諸音楽、曲度雖均節奏同検、
至於引気不斉、巧拙有素、雖在父兄、不能以移子弟。


と、曹丕自身も音楽に例えているので、私も音楽を例に取って解釈を語ってみようかなと。
巧拙は素質にある。
曹丕は言ってますが、歌や楽器だと技術的には上手くなくても゙なんが伝わる、とか、逆に技術的には上手いのに゙なんがパッとしない…なんてこともありますよね。
私的に、「気」というのはこの゙なんがの部分だと思います。
もしくは、インスト曲のアレンジメント。
私が持っている、とある恋愛系アニメのサントラなのですが、番組のメインテーマはピアノ一本で演奏されているもの。
テンポもゆっくりで少し哀愁がある印象の曲でした。
主人公のテーマは全く同じメロディーラインなのに、キラキラしたデジタルなアレンジが加えられていて幸せな印象の曲に。
極論ですがこういったアレンジ要素に当たるものこそが、文章になると「素質」であり個性となるのでは。
曹丕の言う「巧拙」もこういうことなのか、単に作文の技術的なことだけを言っているのかは微妙ですが。
どちらにしても、努力はさておき素質が全てと言い切っちゃう辺り、なかなかやりますね曹丕様(笑)
この人、感性というところに重点を置いている感があります。
本人は、幼少期から四書五経を諳んずるまで読み込んだり、かなりの努力家だったようですが。
父子や兄弟を引き合いに出すところには、自分自身の立場がそこにある気がしますね。
自らも才を持ちながらも、非凡な父弟と比べないでほしいと暗に訴えているようにも取れます(苦笑)