お待たせしましたー。(待ってた人いるのか!?)

曹丕さんのたんかこーです。


「短歌行」曹子桓


仰瞻帷幕  俯察几筵
其物如故  其人不存
神霊倏忽  弃我遐遷
靡瞻靡恃  泣涕漣漣
呦呦遊鹿  銜草麑鳴
翩翩飛鳥  挟子棲巣
我孤煢独  懐此百離
憂心孔疚  莫我能知
人亦有言  憂令人老
嗟我白髪  生一何早
長吟永歎  我聖考懐
曰仁者寿  胡不是保


仰いで帷幕を瞻る  俯して几筵を察る
其の物は故の如く  其の人は存ぜず
神霊は倏忽とし  我を弃てて遐遷す
瞻るを靡き恃むを靡く  泣涕 連連たり
呦呦として鹿遊び  麑は鳴き草を銜み
翩翩たる飛鳥  子を挟み巣に棲まう
我は孤り煢独  此の百離を懐う
憂心 孔だ疚ましく  我を能く知る莫し
人 亦言うに有りて  憂いは人を老わしむ
嗟 我が白髪  生ずること一に何ぞ早き
長吟 永歎し  我が聖考を懐う
曰く仁者は寿なり   胡ぞ是れを保たざる


顔を上げては帷幕を見て、俯いては机や筵を見る。
それらの物は以前と変わらない、でもその持ち主はもういない。
魂は忽然と、私を捨てて遠くへ行ってしまった。
もう見ることも頼ることもできず、涙が止まらない。
鳴きながら鹿が遊び、小鹿は草を食む。
軽々と鳥は飛び、その子を挟んで巣に暮らしている。
私はただ独り身寄りもなく、この遠い遠い距離を憂う。
憂鬱な心は病のように巣食い、私のことを理解できる人などいない。
人はよく言う、「憂いは人を老け込ませる」と。
あぁ、私の白髪は、 何と早く生じてくるのだろうか。
声を長く引いて吟じ、嘆息し、敬愛する私の父を想う。
偉大な者は長生きすると言うのに、どうしてそうならなかったのか。


パパがいなくなったお部屋を見て、悼んではしょんぼりしている子桓様です。

弃我遐遷」という表現が痛ましさや辛さ、そして曹丕から見た曹操像を彷彿とさせます。

「私を置いて」じゃなくて「私を捨てて」というニュアンスなんですよね。

曹丕からすれば曹操パパのことが大好きで、愛されたいと思っていたけど、こういう言い方をするということは最期まで叶わなかったのかなと思うとなんだか悲しくなりますね。

鹿や鳥の親子を引き合いに出して自分の孤独を語っているあたりは、この世でたった一人ぼっちになってしまったような喪失感を感じていたのでしょう。

実際は奥さんもいれば立派な側近もたくさんいたけど、大勢でいても感じる孤独といったところでしょうね。

そこで「莫我能知」は「私のことを理解できる人などいない」と訳しました。

長吟永歎」は「短歌行」と題される詩の吟じ方のようなので、ここで敢えて曹操の「短歌行」と重ねたことをアピールしたのかもしれません。

曹操の短歌行では前半に人生の儚さを憂う表現が出てきますし。

でもね、総合三国志ラジオでも言ったけど、偉大なのに何で長生きしなかったの!?曹丕様!(苦笑)

曹操はこの時代にしてはそんなに早死にではないと思う…笑