一応漢詩ネタ。ですが、明日、三国志クラスタさんの前でちょっくら講義的なもの?をやる流れになっているので、なんかフレッシュなネタを…ということで、新たに載せていなかった漢詩を持っていこうかと。

そのためのメモです。まぁ何かのお役に立てれば。。


今回は曹丕の秋胡行です。三篇あるうちの其の三です。個人的に三が一番好きだから!w



泛泛綠池 中有浮萍

寄身流波 隨風靡傾
芙蓉含芳 菡萏垂榮

朝采其實 夕佩其英
采之遺誰 所思在庭

雙魚比目 鴛鴦交頸
有美一人 婉如清揚

知音識曲 善為樂方


広々たる緑池の 水中に浮草あり
流れる波に身を寄せ 風に随いなびき傾く
芙蓉は芳しきを含み 蓮華は栄を垂る
朝にその実を採り 夕に其の英を佩びる
採ったら誰に贈るか 思う所は庭に在り
双魚は目を比し 鴛鴦は頸を交える
美しきひとり有り 婉如にして清揚
音を知り曲を解し 善く音楽の則を修める



庭にいる美しい人に花を贈りましょう、だなんてロマンティスト子桓様☆

…文帝様の名誉のための弁解は後ほど。

最初3行で情景を詠んで、4・5行目で自分(詩の主人公)の思い、6行目で情景と見せかけて仲良しカップルを表現m7・8行目では相手の女性の説明、で終わりですね。

6行目が上手いです。

一旦ブレイクを入れることで、その後の女性の美しさの描写を際立たせますし、つがいの魚とオシドリ(どちらも幸せ夫婦の象徴)を持ってくることで、こんな風になりますようにという恋愛成就への想いが表れます。

婉如は「おしとやか」という意味ですが、「清揚」の意味がまた興味深くて。

日本国語大辞典先生によると、「目もとが涼しく眉じりが上がっていること。また、そのさま。美しい眉目の形容。」とのこと。

後者の形容という方を取って、おしとやかな雰囲気のみならず眉目秀麗でルックスも抜群!とするのが無難なんでしょうが、もし前者だったら「目もとが涼しく眉じりが上がっている」女性の顔が曹丕のタイプだったのかなーと妄想できて楽しいですw可愛い系より綺麗系が好きなのね、みたいな(笑)

以前も書きましたし、今回もうちょっと詳しく触れようと思うのですが、詩は必ずしも自分のことを詠んでいるとは限りません。でも、極限の美しさを表現しようとしたら、自分が一番美しいと思ってるものが出ません?(笑)


ちなみに、花を贈る描写にはおそらく元ネタがあります。

「雜詩九首 其四」です。


渉江採芙蓉    
蘭澤多芳草    
採之欲遺誰    
所思在遠道


江を渉りて芙蓉を採る
蘭澤芳草多し
之を採りて誰にか遺らんと欲する
思う所は遠道に在り


秋胡行とは違って、こちらは「思う所は遠道に在り」ですから、想い人と遠く離れている(死別かもしれません)寂しさを詠ったものになります。

詩人の名前を明らかにするようになったのは、それこそ建安文学の時代からなので、こちらの詩は詠んだのが女性か男性か分かりません。芙蓉は女性の象徴ですが、男性から女性に贈る場合も大いに有り得ます。

この詩を受けて曹丕は対照的に身近な想い人に対する詩を作ったわけですね。花を贈れる人が傍にいる当たり前で貴重な幸せを大切にしたいということかもしれません。

更にちなみに、もうちょい後に陸機もこの「雜詩九首 其四」を模した詩を書いています。曹丕のは引用だけど、陸機のは擬作です。

脱線するので今は詳しくは触れませんが。二陸も好きなのでそのうちね。この人達はどうしても曹操ネタでいじりたくなってしまうんだけど(笑)「短歌行」がヤバイ。


さて、この「秋胡行」、これが本人の気持ちそのものです!と言われたらすごく萌えるのですが(w、そうとは限りないと言っておきましょう。

昔は、文学は本人の気持ちを察せる史実だと夢見てましたが、そんなことないよ虚構もあるよ。何でって私も作詞しますもん。嘘は書かないけど虚構しか書かないですもん。シンガーソングライターではなく提供するだけなので、作曲者の意向、歌い手の意向、企画者の意向ありきで言われたことのまとめを書きます。

当時の詩人達は自分で作って自分で歌うことも多かったようですが、曹丕に関しては特に、そうでもない可能性があります。


『楽府詩集』の引用です。


《古今樂錄》曰:“王僧虔《技錄》雲:‘《短歌行》“仰瞻”一曲、魏氏遺令、使節朔奏樂、魏文製此辭、自撫箏和歌。歌者雲“貴官彈箏”、貴官即魏文也。此曲聲製最美、辭不可入宴樂。

とあります。魏文が曹丕のこと。自分は伴奏したりハモリ?を入れる程度で、歌は別の人に歌わせていたようです。
初めて七言詩を作ってみたりと新しいものを生み出していってることからしても、単なるカタルシス的要素にとどまらず芸術としての意識が強かったと思われます。現代のクリエイターにも通じます。
「燕歌行」や「寡婦」のように女性になってみたり、「上留田行」のように民になってみたり、明らかに自分のことではない詩も多数ありますからね。
リスナーがあっと驚いて話題になる斬新さを追求したり、かと思えばときには時勢に合った共感されるものを目指したり、まさにアーティストですね。
曹植もいわゆる「物語音楽」みたいな世界観のものが多いですが、(「洛神賦」や「野田黄雀行」など)登場人物に自分を投影していると思われる節があります。


これだけ書けばネタ拾えるかなぁ…ここから(弱気)