心の師と言っても過言ではない人の命日でした。
一周忌。

とはいえ私がほぼ一方的に憧れていたアーティストの方で連絡先とか知ってるわけではないので、亡くなったことも一週間後くらいに聞いて死因も分からないんですけど…沢山話したり、戴いた物もあり、思い出が溢れるほどあります。

いい笑顔で一緒に撮った2枚の写真は、まだベッドの横の壁に貼ってあります。1枚は変なポーズ要求したら快くやってくれたので、変な写真です(笑)女子高生だった私も若い。

三国志の武将の命日だと、好きキャラの誕生日のように笑って祭り上げるけれど、れっきとした同じ時代に生きた方なので、当たり前ですがそんな気にはなれません。

日本語の美しさ、四季やこの世の美しさ、古い本から歴史や感性を学ぶことの大切さを教えてくれた人でした。
それがあったから、大学では日本文学を専攻して、時代に関わらず「言葉」を読むことも書くことも極めたいと思いました。
だいぶ前ですが、ご自身は紀貫之が好きだと話してくれました(笑)
そのせいかは分かりませんが、彼が記す言葉の端々は繊細で、女性的で、温かくて、当時の私には衝撃的でした。…あれ、どこか曹丕の作風に似てるのかも。

「夢絵巻」「偲びの華」「華添え詩」の純和風歌詞は彼がいなかったら生まれなかったでしょう。
そもそも、歌詞で表現することを選んだのも、少なからず彼の訃報が影響していたと思います。
実行に移せたのは11月ですが、時間が無限じゃないことを知って、高校時代から培わせてもらった日本語を通しての感性を欠片でも残しておく場所が欲しくなって。
そんな、日本語を全面に出した歌詞を書く時、頭の中で再生されるのは悲しいほどに綺麗なあの声で。それがもっともっと感情を助長していって、まだ少なくてもネットの向こうの誰かに届く詞になる。
エゴだろうけど、こんな音楽制作クラスタの片隅にも彼の残したものは息づいてるのだと証明したくなります。
きっついなー、自分才能ないなって落ち込むことも多いけど、思い出すとまだ頑張ろうと背中押されます。
亡くなる二ヶ月前に戴いた手紙にあった「前に進めていますか?」という内容に対する返事を、いつか自信持って書けるように。
同じくらいの時期の、最後の記憶もそれまで忘れません。打ち合わせ中(?たぶん)だったのに私に気付いて笑顔で手を振ってくれた姿。。


ちなみに、「華添え詩」がカラオケ配信の可能性ありみたいです。
まだ交渉中の段階で、全然確定ではないですが、そわそわしています。
あと、たぶん8月に歌詞提供した曲のCD出ます。詳細はまた後日言えればと!
確定事項になれば音楽カテゴリでしっかり書きます。
さて、少し寝て今日も割と大きい作詞の仕事の続き。
漢詩や三国志ブログ全然書けなくてごめんなさいね。忙しすぎて…ある意味良いことなんですけど(苦笑)