♪反省は毎日で 悔やまれることが多すぎて~という歌を思い出す、別に多すぎはしないけど
本日は反省。

今日はダンナが仕事休みだった。
彼のなかなかめまぐるしく不規則な仕事時間がようやく落ち着き、それでもこれまでの
ペースとはガラリと変わったことでわたしのペース変更もしないとな…というところで、
ちょっとそれが上手くいっていなかった。

夕飯の時間や眠る時間を、急に変更となってもそれは無理なハナシで、まあまあそれは
おいおいに馴染んでいくでしょう、自宅仕事の特権でもあるわけだし少しずつと構えては
いたものの、自分としては思うようにいかずちょっとストレスにもなっていたらしい。

加えて仕事も、なかなか佳境。忙しいというよりも納期とペースを睨んでの調整を踏まえ
ながらの作業が続くところで、余計にタイムスケジュールに過敏になっていたというのもある。

今朝、お休みなのでのんびりダラダラしているとわかってはいるのだが、あまりの
散らかしぶりにまずはムカッ。さらに、仕事のキリをつけてコーヒーを汲みにいけばナイ。
キッチンは彼が作ったらしいサンドイッチの作業あとがそのまま。カットした包丁、
パンくずまみれのまな板、使ったマヨネーズなども冷蔵庫になおさず出しっぱなし。
ここで第二のムカッ。テーブルの上にはそれらを食べた残骸そのまま。灰皿も剣山のように
なり、そこにPCやiPhoneが散らばり、PCからは音楽が流れテレビも鳴ってる。さらに
ケアもしていたのか爪切りやヤスリなども乱雑に出しっぱなし。

もう強烈にイライラして、とりあえず「片付けてくれへん?そこらへん全部!
使い終わったもんはちゃんと元の場所に戻して!」とケンケン言うた。
コーヒー飲みたかったけど、淹れるのを待ってると思うとシャクにさわり、自分のぶんだけ
ホットレモンを作って「コーヒー飲みたかったら淹れてよ、そこ片付けてから!」と
ゴミ出し&洗濯。するとのろのろ立ち、お湯をわかし、コーヒーを淹れはじめたが
食べたお皿を持ってきただけでキッチンを片付ける様子がない。

わたしの心のなかは「休みやねんから、洗い物ぐらいやれよ」「あんたは休みでも
わたしは仕事してんねんけど」というドス黒いものでいっぱい。キッチンの片付けも
絶対やるものかとムスッとしていたら彼の携帯が鳴り、休みを返上して急遽出勤に。
自分で淹れたコーヒーを飲む間もなく、素早く用意をして出て行った…

そう。こういうこともある。このごろなかったから忘れてたけど、風邪や何かが増える
この季節は頻発する。個人商店の悲しさで、人が足りなければいつでも行くしかない。
何故なら、誰のでもない彼の店だから。休みを取るのは1日任せられるスタッフの都合次第。
そのスタッフが風邪ひいちゃったりしたら仕方がない。家族が死んだ時以外に臨時休業は
絶対しない、せっかく来たのに閉まってるではお客様に申し訳ないし信用なくすというのが
彼のポリシーでもある。それもこれも、ずっと承知はしていた。

コーヒーポットを見ながら、なんで朝からあんなにキツくケンケン言ってしまったんだろう、
自分のぶんだけホットレモン作る意地悪までして…と、かなり落ち込んだ。

育児をしているわけでもない、大人2人暮らしでの家事など知れている。しかもわたしは
毎朝ちゃんと起きて見送ることもしない。お姑さんがそうであるように、彼も
「散らかってたり、埃では死なない。それより体調が悪い時はのんびり、忙しい時は
そっち優先」で、何ひとつうるさいことは言わない。毎日一応掃除機はあてて、
ざっと拭き掃除はするものの狭い家なので1時間もかからない。夕飯の支度もそんなに
凝ったものも作らない。加えて、かなりの融通がきく自宅仕事のフリーランス。
何をそんなにカリカリと、何にがんばってると主張したかったのか。

わたしは昔から友人関係、恋人、仕事すべての面で人とコミットする時、「自分だけが
しんどい」「自分が一番ワリを食っている」「自分は我慢してるのに」という類の
被害者意識が一番いけない、危険なことだと思ってきた。自分がそういったメンタルに
なることは勿論、例えばチームでプロジェクトにあたる時にそういう気持になる人間が
ひとりでもいれば、上手くいかなくなるうえに誰もハッピーではなくなる。
「自分だけが」という共感性や想像力をすべて放棄したメンタル状態で、良いことは
何ひとつない。

仕事ならまずはそう思わせてしまった環境、状況を改善しなければいけないが、状況に
かかわらず人間誰しも、少なからずそういう気持は芽生える時もある。
疲労が溜まったり個々の精神状態によって同じ状況、同じ人でも「わたしだけしんどい」と
思うか「わたしに任せろ!一番がんばってるから!」にいくかの分岐もある。
一種の視野狭窄なのだろうが、その状況が改善できないのならば、せめてものフォローが
必要だったり、根本から見直さないといけない。疲れたり、ネガティブに陥ると
目に見えない不公平に敏感になり、被害者意識は自分をなぐさめるかわりに関わる人を
イヤな気持にさせ、負のループになってしまう。

それを今日、自分がやってしまった。「家にいるけど、わたしだって仕事してるのに」
「わたしばっかり」と。食べたあとキッチンに持っていくぐらい、余ったものを小さい
器やタッパーウェアに移し替えてラップして冷蔵庫になおすぐらい、なんでしてくれないの。

おそらくハタから見ても家のダンナは「何もしない」部類に入るだろうとは思う。
同棲時代からこちら、掃除と洗濯は一度もしたことがないような気もする。
けれど、それで良しとしてきたのはわたしでもある。育児で奥さんが忙しかったり、
身体が悪いなどの場合を除けば、妻帯者の男性が家事をすることがあまり好きではない。
趣味で「男の料理」やバーベキューを仕切るのはいい。洗濯物をたたんだりしている
姿など、どうにもいたたまれず「そんなことしなくていいよ!」となる。スーパーで
興味深そうに調味料や食材を選んでいる男性はいいが、お惣菜ばかりをカゴに入れている
男性を見ると勝手にダメージを受ける、そんな感覚。

家事をさせないことで自分の嫁としてのレゾンデートルを見出しているのかもしれないが
(そのわりにちゃんとしてないけど・笑)家では何もせず、のんびりとくつろいで
くれればそれが一番。靴下すら「どこにあるのかわからない」状態でいい。

…という理想(笑)

現実は「いいよね君は。タンスを開けたらいつでも洗濯された衣類が入ってるものね、
それ当たり前だと思ってる?冬になれば冬用のお布団に冬用のカバーリングが
かかってるのも自動的に変わってると思ってるやろ」…などなど、とにかく真っ黒。
せやからいうてそれらのことをされようモンなら「やらんでいい!置いといて!
わたしがやるから!」と慌てるのだから、向こうからすりゃ「どーせーっちゅうねん」
でしょうなぁ…面倒クサイね、本当に。


とりあえず、もう落ち込むだけ落ち込んで反省もした。こうして文章にしてスッキリも
したし整理もできた。このごろは、こういう時に必ず「これが最後のお別れになったら」と
考えてしまう。事故や災害が起こり、この最悪な朝が最後になってしまったらと。
ペシミスティックなようだけど「これが最後」と認識することはできないのだから、
せめていつでも、どの顔でも「最後にあの顔が見られてよかった」と思える状態に
しなければと。これももう何度も思ってきたはずなのに、なかなか常に実行できてない…
スティーブ・ジョブズが言った「毎日毎日、今日が人生最後の日だと思って生きよう」を。


今日は好物を用意して、笑ってなんでもイイヨイイヨー言おう。帰ってくること、
夜になれば会えることを、それでもまだ無条件に信じられる幸運に感謝して。