いろいろ余裕が出てきたこのごろ、日々の仕事はあれど溜まっている本を読んだり映画を見たり、
また購入を控えていたものを買ってみたりとのんびり過ごしております。

そのなかで、去年の秋に映画が公開され、復刻版が出版された絵本「くるみ割り人形」を購入。



幼いころ何百回も読み、夢中でページをめくり、眺めていたのはこの表紙だった。


何歳ぐらいかは覚えていないが、名前やいろいろを覚えているということは文字は読めた=
小学校には入っていたのかなぁ。これと同じかどうかは知らないけれど「くるみ割り人形」の
バレエを観に行くのに「まだ小さいからダメ」とわたしは留守番で、姉だけ連れてってもらった
恨みと連動しているので(笑)幼児だったのか…ううむ。

てなことはさておき、時代が変われば表紙も変わる。そりゃ復刻版だものね、仕方ないよねと
思うものの、まさか中身も変わってるとは思わなかった。

この本は全篇フルカラーの人形絵本で、その出来栄えたるやアメイジング。人形劇ではこれとNHKの
「三国志」は双璧だと思う。背景、小物に至るまで幼かったわたしには人形ではなく実物としか
思えなかった。あんなに大好きで大事な絵本だったのに、引っ越しや何かにまぎれて失い、
ようやくまた巡り会えた感動はとても大きかった。

30年以上経ってページをめくると、まずは懐かしさで涙が出た。夜9時を過ぎても眠らない
子供の部屋にやってきて、魔法でネズミにかえてしまうジャンカリン(当然のごとく子供のころは
信じていたし、親もジャンカリン来るよ!と言い聞かせに使っていた。本当に怖かった)ちょっと
不気味なドロッセルマイヤーおじさん、これまた怖すぎる二つ頭の白ネズミ「マウゼリンクス夫人」と
その息子である悪いネズミのシュヌルル。マウゼリンクス夫人にかけられたお姫様の呪いを解く
ために割る「クラカトウクのくるみ」授けられる真珠の剣。このややこしげなカタカナ名称を全部
覚えていたものね…

それほどに読み込んだ絵本だけあり、ページをめくるうちに子供心の遠い記憶との違和感が次第に
大きくなる。ネットで調べて確信したが、ページのレイアウトがかなり違うのだ。

昔のほうは、写真をページ全体に配してその上に文字をかぶせていたレイアウトが多かったのに
対し、復刻版はコマを割っているというか文字と写真を完全に分けているのが目立つ。

同じシーンで比較すると、とてもよくわかる。

旧版


新版


こちらも旧版と


新版


文字の読みやすさに配慮した結果だろうが、物語への引き込まれ度は格段に落ちた…と思うのは
大人になったわたしの心が硬く、狭くなったせいだろうか。絵本にしては文字の多い物語なので、
文字による余白が多いのはいかがなものかと大人の視点で思う。子供は文字などなくとも、または
その内容をきちんと理解できなくとも物語世界に入るのはとても簡単なのに。まして、ここまで
細部にわたり精巧で美しく、人形であることもわからなくなるほどの画像ならば。

表紙の違いでもわかるとおり、全体的にダークな怖い印象が軽減されている気もする。これも
時代の流れや意思なのかな…怖いのに引き込まれる、あの感覚よりも可愛らしいファンタジー色が
強い。

あとはマルチパン王国の夢のシーンで、旧版ではキキララの馬車の画像があり、とても可愛かったのに
丸ごと削除されていた…が、これは仕方ないのかな。「あのキキララはないかもしれない」と予想は
していた。

というわけで、読めば読むほど「これなんだけども、コレジャナイ。でもやっと再会できたしな…」
という複雑な気持ちになり、某オークションで旧版の購入を検討している次第でございます。


幼少期の大切な思い出と、大人になってから出会うのは良いと悪いの紙一重。
まずは「懐かしさ補正」で感動はするものの、あの頃の柔らかで新鮮な心がとっくに失われている
ことも自覚させられる。今回のように、復刻されたものが改変されていた場合は特に顕著になる。
「こんなんじゃなかったのに」と感じるのは、モノそのものの変化のせいか、知識や経験という
さまざまなメガネを装着している今の自分自身のせいか。


思い出は美しく。

昔を振り返って懐かしんだり涙したするには、まだ早いということなのかしら。
戻るには遠すぎるけれど、ノスタルジーに浸るにはまだ近い。

晩年のお楽しみにとっておいたほうがいいのかもね。