i am so disapointed.

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以前にも取り上げた東京の若き有望な音楽家、石田想太朗氏が新しいバンド、カラコルムの山々を結成し、デビュー・シングル「東京自転車」をリリースしたということで、今回はそれについて書いていきたい。

 

以前にShibuya Sessionsというプロジェクトでリリースされていた楽曲を聴いた時にも感じた柔軟で豊かな音楽性が、このシングルではロック的な方法論によって展開されているようである。とはいえ、ニュー・ウェイヴ的ともいえるイントロにボーカルのマイルドな雄叫び、オーセンティックなピアノという組み合わせの時点で、すでになかなかおもしろいのではないかと感じさせる。

 

「左右に細々と切り返して どこかに向かっているふう」と、タイトルがあらわしているように、これは実際に東京を自転車で走っている状態をあらわした曲で、それはスタイリッシュな中にパッションを感じるミュージックビデオを見ても分かることである。ボーカルはなめらかではなく、ポエトリー・リーディング的ともいえる感じで、次々と言葉があらわれてはまた消えていく。まるで都会を自転車で走っている時のようだ。「核心又の名を東京」、バンドの中心人物である石田想太朗氏は、高校生の頃に音楽ユニット、Shibuya Sessionsを主宰し、大学に入学するとコロナ禍だった。

 

大人気だったサービスランチと同じようなコンセプトだと思われるメニューは、いまや表参道というネーミングで提供されているらしい、あの学食があるキャンパスに、私もまたはるか忘却の彼方に通っていた。サザンオールスターズの原由子が「いちょう並木のセレナーデ」で学生時代の思い出を「学食のすみであなたがくれた言葉」と歌った、まさにその場所である。この曲はやがて「10年前の僕らは胸をいためて 『いとしのエリー』なんて聴いてた」と1994年に歌った「渋谷系」の王子様、小沢健二によってオマージュを捧げられる。かつて小沢健二が小山田圭吾らと組んでいたバンド、フリッパーズ・ギターのことを、私は確か1989年の秋ぐらいにこの「学食のすみ」で音楽仲間から教えてもらったのだった。

 

いまでもその前を通ることがたまにあるのだが、あまり変わっていないような気もすれば、すっかり変わってしまったように思えるところもある。

 

「永遠に開かない扉」「区切られた社会と下」、そして、「支配層」という単語がありふれているかのように忍び込んでいる。結論づけられてはいないし、そうすることはひじょうに困難な状況の下、違和感や異議申し立ての欠片のようなものが、文学的な言葉で次々と吐き出される。「積み重なったアナログテレビ」のイメージは、実際に私も絶妙に加担している、輝いていたあの頃を懐古するノスタルジー地獄のことをあらわしているのか(そうではない可能性はひじょうに高いのだが、聴き手にこのようなイマジネーションをかき立てるのがまた優れたアートでもあると思うのだ)。

 

そして、こうした言葉とイメージの洪水の末にたどり着くゆったりとした、「東京自転車 漂う」以下のフレーズ、この緩急がまたとても良い。

 

明確な批評性やアイロニーのようなものが感じられながら、そこにあるのはけして悟りきっているわけでも、冷笑しているわけでもない、見えない何かを見ようとする意志、清らかな青さのようなものである。

 

曲が約2分38秒と短いのも良い。何度もリピートして聴いているうちに、すっかり「とーきょーじーてんしゃーただよーう」と脳内で思わず口ずさんでしまうほどになっているのだが、混乱と苛立ちと不安と情熱のようなものをポップ・ミュージックというフォーマットで表現したかのようなこの曲はなかなか素晴らしく、このバンドの他の曲もぜひ聴きたいと感じたのだった。