前回の続きです。



方法は、まず何も考えずにただ空を見ることです。


昼間の空も良いし、夜空も良いです。

そのうち、坂本九ちゃんの「見上げてごらん夜の星を」や

中島みゆきさんの「糸」の“遠い空の下ふたつの物語・・”

などを口ずさみながらでもいいです。

基本的には、何も考えずにただただ観ているだけでいいのです。


日頃、実は皮膚表面で宇宙の波動(音楽ですね)を

受けているのですが、観ることでさらに強く感じることができます。


とても良い気持ちになるはずです。

深く安らぎ癒され元気(元の氣は本当は空に由来します)になれます。



それはなぜでしょう。



空すなわち天は、私たちの魂の故郷であり

父なる神・神なる父だからです。

無一物中無尽蔵の宇宙空間に、ある時、陰陽の渦が発生します。

銀河系の端にある太陽系も当初はその形はなかったのですが、

その渦のなかで現在では秒速217kmといわれるような猛スピードで

回転しながら徐々に形ができてきたとされます。

やがて惑星が形を成してきますが、地球は水の惑星として残ります。


まず、原始の海が最初にでき、そして陸地ができてきます。

海に生物が誕生し、後に大地に上陸して人にまで進化します。


よく、「母なる海」とか、「母なる大地」といわれますが、

海や大地は天の父に対して母なのです。

海は「産み」であり、海の字には「母」という字が入っています。


こうして天が位相転換して海や大地ができるのですが、

天は父に譬(たと)えられ海や大地は母に譬えられます。

私たち人は天地という父母・両親から生まれ、

そして今も生かされていることがわかります。


呼吸や心臓の鼓動は海の波のリズムとシンクロしていますが、

海の波のリズムは地球の回転のリズムとシンクロしています。

さらに月や太陽、太陽系、銀河系、

大宇宙のリズムとシンクロしているのです。

私たちの体は宇宙の動きそのものなのです。

天地の父母がそのまま具現したものなのです。

まさに私たちは本来、神の子なのです。


初めは何も考えずに空や海を観ると良いのですが、

以上のようなことを考えながら空や海を見るのもまた良いのです。

視覚・皮膚感覚を通して空や海の波動を無意識下に感じて、

懐かしくありがたく嬉しくリフレッシュして元気になれます。

海はなかなか場所的に何処でもというわけにはいきませんが、

空は何処でも観れます。


弘法大師・空海は19歳の時、

室戸岬の波打ち際の空と海しか目にしない洞窟で

虚空蔵菩薩求聞持法(こくうぞうぼさつぐもんじほう)を

修して悟りを得て、そこから空海を名乗るようになったとされていますが、

虚空蔵真言(ノウボウアカシャキャラバヤ オンアリキャマリボリソワカ)を

唱えながら空と海に直面することが神や仏との一体感

あるいは悟りを誘発したのだと思われます。


空は何もありませんが(虚空)、すべてがあります(蔵)。

それにあやかって、虚空蔵真言を唱えながらというのも良いでしょう。

「私は宇宙・宇宙は私」、の感覚が

そのうち訪れるようになるかも知れません。


この空と海の観想は“円・球”の意識を高めるのに大切なものですが、

“中心帰一”の意識を高めるには太陽と月を観想することです。

空という円球(天球)の中心は昼間は太陽、夜は月で、

しかも太陽も月も円球です。

太陽は昼間は眩しいので朝陽と夕陽、

月は満月が円球でもっとも良いと思いますが、

新月や上下弦の月も良いです。


仏教とくに密教で、日輪観(にちりんかん)や

月輪観(がちりんかん)がありますが、

その簡易法を日常で行うという感覚です。


私たちは太陽がなければ存在しないし、生きても行けません。

また、月がなくても存在しないし生きても行けないのです。

昼間、太陽が出ている時に活動してエネルギーを発散し、

夜間、月が出ている時に休息して修理固成するのです。


内臓の名前には胃腸や肝臓・膵臓・脳等々、月が付いており、

月経という言葉もあります。

正に、私たちは地上における日月の化身でもあるのです。


空海日月観想健康法、一度、いや何度でもお試しあれ。